仏塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 17:33 UTC 版)
歴史
起源
ストゥーパはもともと、仏教の開祖の釈迦が荼毘に付された際に残された仏舎利を納めた塚である。釈迦入滅後に仏舎利は8つに分けて配られ、容器と灰土を合わせて10基のストゥーパが造られた。アショーカ王はそれらのストゥーパを壊して8万4000に細分化し、各地に新たなストゥーパを建設したといわれる[4]。その後、仏教が各地へ広まると、仏教の盛んな地域にもストゥーパが建てられ仏舎利を祀るようになった。
その後、ストゥーパが増え仏舎利が不足すると、宝石、経文、高僧の遺骨などを、しかるべき読経などをしたうえで仏舎利とみなすようになった。
アショーカ王時代のストゥーパの原型は、円筒形の基壇(サンスクリット:Medhī)[5]の上に覆鉢と呼ばれる半球体を乗せたドーム状の構造物である[4]。覆鉢の頂点に平頭と呼ばれる仏舎利を収めた箱が置かれ、その上に傘蓋が付けられた。古代インドでは、貴人の頭上に傘蓋(さんがい)をかざして歩いたことから、傘蓋は尊貴のシンボルとされ、やがてストゥーパに対する供養としての傘蓋は幾重にも重なり、楼閣・塔となっていった。塔の頂部につけられる相輪は、原初的な仏塔にある傘蓋の発展したものと言われる。 こうした原初的な形態に近いストゥーパはスリランカやネパールに見ることができる。
グプタ朝の時代にサールナートやブッダガヤで、それまでのドーム状ストゥーパとは全く異なる高塔形式のストゥーパが造られた。続くクシャーナ朝では、台基の下に基壇が設けられた縦長のプロポーションとなり、基壇全体に装飾が施されるようになった。
伝搬と発展
- 日本
- ストゥーパは中国を経由し日本に伝播した。日本では五重塔・三重塔・多宝塔など、木材(檜など)を使って建てられることが多い。なお、小型のもの(宝篋印塔や五輪塔など)は石造や金属製(青銅など)のものが多い。形は大きく変わったものの、本来のストゥーパのもつ意味は変わっていない。多くは信者の寄進によって立てられる。
- 東南アジア
- ミャンマーやタイ王国など東南アジアのストゥーパは、セイロン仏教とともにヒンドゥー建築の影響を強く受けている[4]。パゴダの類型は時代によって変化しているが、円形もしくは方形の基壇をピラミッド状に積み上げ、釣り鐘型の覆鉢と滑らかにつながった構造が基本となっている。イラワジ川周辺のストゥーパ群はミャンマー最古のパゴダの遺例だが、7世紀のボーボージー・パゴダに見られる上に伸びた砲弾型の覆鉢など、原初のストゥーパとは異なった特徴を持つ。パガン王朝の時代には多くの堂塔が造られたが、祠堂の上にパゴダ状の塔を乗せたものが一般的である。一方、1814年にジャワ島で発見されたなボロブドゥール遺跡は、林立するストゥーパ群という異例の形態をもつ。8世紀にシャイレーンドラ朝に伝わった密教の影響により、ストゥーパによって曼荼羅を描いているという説もある[4]。
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