人間関係 コミュニケーションと人間関係

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人間関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 03:01 UTC 版)

コミュニケーションと人間関係

イヌやネコも、イヌやネコなりにコミュニケーションをしていてそれなりに関係を築いているが、しかし人間みたいに、こまやかな関係をつくることはできない。「刎頚の交わり」という言葉があるが、これは首を切られても悔いが無いような親しい友人関係のことである。このような言葉があるほどに、人間は親密になることも可能である。なぜ、このようなことが可能なのか。 それは、人間が「ことば」を使えるからであり[11]、お互いに「わかる」ことができ、共感 (empathy) を持つこと、共感することができるからである[12]

ひとりの人間の内部に発生している状態ときわめてよく似た状態がもうひとりの人間の内部に生ずる過程、それが共感である。例えば、誰かが「痛い」と言う。その「痛い」という言葉を聞いた時、聞いた人の内部ではひとつの過程が発生する。「痛い」という言葉によって表現されたからだの状態に似た状態を、聞き手はみずからの体験に即して想像する。聞き手はべつだんその部分に痛みを感じるわけではないが、「痛い」という言葉によって表現しようとしている身体の状態がどのような性質であるかを知っているのである[13]。また、共感はしばしば、生理的な次元でも起きる。例えば、母親と子供といったこまやかな関係においては、痛みはたんに想像上経験されるだけでなく、実際の生理的な痛みとして体験されることもある。子供が「痛い」と言うたびに、母親もその箇所が実際に痛くなったりするのである[13]。共感は「同一化」(identification)と表現されるプロセスと重なりあっている部分も多く、例えば人は映画を見ている時など、登場人物が危機的な場面に陥るとハラハラしたり、胸がドキドキしたり(つまり心拍数が上がったり)、手に汗をにぎったりする。人間は、映画のなかの登場人物に自分自身を置き換えると言える。人間は「相手の身になる」能力を持っているのである[13][14]

ところで、ことばを用いた共感についてであるが、これは日常的に行われている平凡なことであるが、よくよく考察すると奇妙なものなのである。例えば、小説を読んでいるときの人間の心のうごきを分析してみると、前述のごとく、読者は作品のなかの登場人物の「身になって」物語を追う。これは平凡な現象である。だがしかし、よくよく分析すると、この物語とは何かというと、紙の上に点々と黒くしみついているインクのシミのあつまりにすぎぬ。人間はそれを文字という名で呼ぶが、物質的に言えば(実在という観点からは)、ただの紙とインクを見つめているだけなのである。例えば、仮に文字を知らない宇宙生物でもいて人間のやっていることを見たら、人間を珍奇な生物と思う可能性はある。なにしろ、紙の上のインクのシミを見て、ニヤニヤと笑ったり、シクシクと泣いたりしているのだから[15]。つまり人間というのは、実在的世界の速記法として、記号の世界を泳ぐ能力を持っているのである。[注 2]

人間は記号によってうごき、人間と人間は記号を用いて互いに共感しあうことができる。この共感の過程がコミュニケーションだと言えよう[16]

共感がつみかさねられてゆけばゆくほど、人間関係は深くなってゆく。人間関係はコミュニケーションの累積だと言ってさしつかえないのであり、お互いに記号を交換しあうことなしに成立する人間関係というのは、ほとんど想定できない。何度も往復する手紙メール、繰り返されるデートおしゃべり会議など、友人関係・恋愛関係であれ、師弟関係であれ、取引関係であれ、およそ人間関係というのは記号、言葉の交換を通じて成立しており、「ことばをかける」ということは人間関係の基本的な条件である[17]

非言語コミュニケーション(NVC)

人間はコミュニケーションを行う時、言葉を使い互いの感情や意思を伝えあってもいるが、「目は口ほどにものをいう」といった諺にも示されているように、言葉よりも、顔の表情、視線、身振りなどが、より重要な役割をになっていることがある。

日常的に人間は複数の非言語的手がかりを使いメッセージを伝達しあっている。これを非言語的コミュニケーション(nonverbal communication: NVC)という[18]。この非言語的なコミュニケーションは、意識して用いていることもあれば、無意識的に用いていることもある[18]

顔の表情、顔色、視線身振り、手振り、体の姿勢、相手との物理的な距離の置き方などによって、人間は非言語的コミュニケーションを行っている[19]

コミュニケーションの難しさ

人間は、いくらことばをたくさん使っても、理解しあうことが難しい。対話は、人間の内部で起きているからである[20]

ひとりの人間の内部には"もうひとりの自分"がいる。それは別の表現でいえば、"とりこまれた他人"ということでもある。ふたりの人間のあいだで進行しているようにみえるコミュニケーションは、実は、ひとりの人間の内部でのコミュニケーションでもある。ある学者は、この人間内部のコミュニケーションを「個体内コミュニケーション Intrapersonal communication」と呼んで、「対人的コミュニケーション Interpersonal communication」と区別した[21]

個体内コミュニケーションがうまくいっていない例をひとつ挙げると、ワンマン的な社会関係、社会学者が言うところの「権威主義」的な社会では、ワンマンは"もうひとりの自分"を持っていないので「理解」能力のない人と呼ばれる。多数の人は、"もうひとりの自分"におしひしがれてしまっている。わからずやの方には、なんらかの自己満足があるものの、ハイハイと言っている側の人間には何の喜びもない[22]

共通項を探す

まったく見知らぬ人間同士が、初対面の気づまりの乗り越えて、打ちとけてゆくプロセスでは、お互いの共通項をさがし出そうとする努力が見られる[23]

現代では、人間の人生経験は、ひどく多様である。家庭環境が違い、学校が違い、職業が違う。職業などは、かつて職業の分化が比較的単純な時代では、たいていの職業は常識的に理解できた。「大工です」と聞けば、家をつくる人だと見当がついた。しかし現代では、名刺の肩書きを読んでも、さてこの人は何をしているのか、その分野の人間でないとまったくわかりかねる職業が多数出現している。総理府の職業分類表にはすでに数千の職業がある[24]

このようにして人間は、互いの接点がどこにあるのかさっぱり見当がつかなくなり、戸惑う状況になった。そのどうしていいかわからない状態が、いわゆる「社交」術を発展させた。ひとつの古典とも見なされるデイル・カーネギーの書『友を得、ひとに影響をあたえる方法』には「相手の趣味や嗜好を知れ」という項がある。ひとと会うときには、あらかじめ相手が関心を持ちそうな話題をさがしておき、その話題をきっかけに人間関係をつくれ、というものである[25]。カーネギーの本のあとを継ぐように、多くの社交術の本が、アメリカでもヨーロッパでも日本でも出版された[26]

現代の都市中産階級、サラリーマン社会などでは、「話題のゆたかさ」に、あこがれる人が多い。この「話題がゆたか」ということはどういうことかと言うと、それは、たいていのことを共通の話題にする能力をもっている、ということである。相手が釣りの趣味を持っていると判れば、釣りを共通項にする。サッカーなら、即サッカーで話をあわせられ、映画、絵画、演劇、、、と何でも合わせられること。それは家族が、血縁から社縁へと大きく転換したことを明確にしめしてくれている。「常識」に関する試験が行われることがあるが、今日、「常識」とは、他人との普遍的共通項ということなのかも知れず、常識が豊かということは、とりもなおさず、様々な種類の他人とわかちあうことのできる共通項を豊富に用意している人、誰とでもなめらかにつきあってゆける人物、ということになる。そして、ひとつのことに偏執的(モノマニアック)に集中して、ほかのことには興味を示さないような人は、現代では、一般に毛嫌いされるような傾向が現れるようになった[27]

共通項を作る

共通の話題を「さがす」立場のほかに、共通の新しい経験を「つくる」という立場も考えられる[28]

ひとつの目的にむかって、ふたり以上の人間が協同作業をする場合のことである。どんな目的であれ、とにかくひとりではできないことを、何人かで知恵を出し合いやれば、そこではその作業とその成果が、そのまま新しい共通項になる[28]

川喜田二郎は『パーティ学』において、そのような種類の共同作業のなかで共通経験を「つくる」ための方法論、社会工学を提示した。川喜田は言う[28]

「わずか数日のチームワークであろうと、ふつうのおつきあいの数年以上の心のふれあいが生じたこともあります。かような体験をした人は、いたずらに長年月のおつきあいのみがチームワークに必要な人の和を作るものではないことを知るでしょう」

注釈

  1. ^ 心理学者のH・キャントリルは、老子から現代アメリカの風刺作家ジェームズ・サーバーまでの古今東西の著作を集めて『人間のいとなみへの考察』(1960)という本を書いていて、時代を経ても変わらないその様子がそこには読みとれる(『人間関係 理解と誤解』p.8)
  2. ^ ここで言う記号とは何かと言うと、C・モリスの定義のように「あるモノが眼のまえに存在していないにもかかわらず、それが存在しているかのような反応をおこさせる刺激」ということである。(『人間関係 理解と誤解』p.71)

出典

  1. ^ 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 15.
  2. ^ a b c d 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 2.
  3. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 5.
  4. ^ a b c 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 8.
  5. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 6.
  6. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 23.
  7. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, pp. 24-25.
  8. ^ a b c 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 29.
  9. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 34.
  10. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 35.
  11. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 64.
  12. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 65.
  13. ^ a b c 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 66.
  14. ^ 関連項目 -- 心の理論自閉症
  15. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 71.
  16. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 74.
  17. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 76.
  18. ^ a b 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 22.
  19. ^ 『人間関係の心理と臨床』 1995, pp. 25-27.
  20. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 82.
  21. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 83.
  22. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 85.
  23. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 48.
  24. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 49.
  25. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 50.
  26. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 51.
  27. ^ 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 53.
  28. ^ a b c 『人間関係 理解と誤解』 1966, p. 55.
  29. ^ a b c 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 63.
  30. ^ 安藤延男 1985「仲間づくりと心の健康」(狩野素朗『現代社会と人間関係』)九州大学出版会 pp.97-113)
  31. ^ 清水将之1975「青春期の以上心理」(『現代のエスプリ 別冊 現代人の異常性 -日本人の精神病理』至文堂 pp.141-157
  32. ^ a b 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 130.
  33. ^ 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 140.
  34. ^ 鶴元春「青年期の問題行動とその指導」(教育心理学概論、北大路書房 pp.143-161)
  35. ^ 永田法子1992「対人恐怖症」(『心理臨床大事典』、培風館、pp.800-801)
  36. ^ a b c d e 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 138.
  37. ^ 鍋田恭孝1989「対人恐怖症」(『性格心理学 新講座 3 適応と不適応』金子書房、pp.299-315)
  38. ^ 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 139.
  39. ^ a b 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 196.
  40. ^ Allport, G.W. 1937, "Personality ; A psychological interpretation.", NewYork : Holt, Rinehart & Winston
  41. ^ a b 『人間関係の心理と臨床』 1995, p. 205.
  42. ^ 洞察とユーモアの評定の相関は0.89という高い値である。(『人間関係の心理と臨床』p.206)
  43. ^ 人生の意味にも関連記述あり。


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