人民寺院 ジョーンズタウンでの大量殺人/集団自殺

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人民寺院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 03:25 UTC 版)

ジョーンズタウンでの大量殺人/集団自殺

1978年11月18日夕方に約900人の信者が集団自殺していく様子を録音した約45分のカセットテープ音源。

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ジョーンズタウン
ジョージタウン
ポート・カイトゥマ
ガイアナにおける人民寺院の関係地

1974年に人民寺院はガイアナで土地を借り受ける契約を結んでいる[82]。この土地に作られたコミュニティは、ピープルズ・テンプル・アグリカルチュラル・プロジェクト英語: Peoples Temple Agricultural Project)、非公式にジョーンズタウン英語: Jonestown)と呼ばれた。1977年初頭には、50人程度の移住者しかいなかった[83]

ジョーンズは、ジョーンズタウンを「社会主義者の楽園」であり、キンソルヴィングの記事に始まるメディアの調査からの「聖域」でもあるとみなしていた[84]。元信者のティム・カーターは、ジョーンズタウンへ移住した理由を、「74年(1974年)、アメリカ合衆国で私たちが見たものは、蔓延するファシズムだった。」と述べている[85]。カーターは、「企業、多国籍会社は、巨大になり、政府の中で影響力を増大したし、アメリカ合衆国は人種差別国家である」と説明している[85]。カーターは、教団はガイアナを「我々の黒人信者たちが平和に生活することができる黒人国家である」、「社会主義政府である」そして「南アメリカで唯一の英語が公用語の国である」と結んだ[85]

1977年に元信者による告発によって、メディアからの監視が更に強まったことは、ジョーンズに更なる圧力を加えることになった[28]。具体的には、ニュー・ウェスト・マガジン誌に掲載されたマーシャル・キルダフ英語版による記事が挙げられる[28]。このニュー・ウェスト・マガジン誌が出版される前に、編集者のロザリー・ライトはジョーンズに電話を掛け、その記事を彼に読み聞かせた[86]。ライトは、「カリフォルニア州知事(ジェリー・ブラウン)から我々が受け取った擁護の手紙」や他の人々からの受け取った手紙から、出版前にこのような行動を起こしたと説明した[87]。この記事での主張を電話で聞いている間、ジョーンズは部屋にいる人民寺院信者達に書付を書き、「我々は今夜発たねばならない。ジョージタウンへと」と言った[87]

ジム・ジョーンズはガイアナへと逃れた後、教団信者達に彼に続くように呼びかけた。1978年終わりごろまでに、ジョーンズタウンの人口は900人を超すまでに増大した[83][88]。ジョーンズタウンへと移住した人々は、南国の楽園、想定された外界の邪悪から自由となることが約束された[89]

1978年11月17日、カリフォルニア州第11区選出のアメリカ合衆国下院議員のレオ・ライアンが教団による人権蹂躙の調査のためにジョーンズタウンを訪れた[90]。この訪問の間、何人かの人民寺院信者が、ライアンにジョーンズタウンを離れたいと申し出た[91]。そしてこの信者達は、11月18日の午後、ライアンに同行しポート・カイトゥマ英語版の空港に向かった[92]。そこで、彼らは人民寺院の自警団によって襲撃された[93]。ライアン、3人のジャーナリスト、1人の教団離反者が殺害された[93]。銃撃が開始されてから数秒の映像が、ボブ・ブラウンによって撮影されていた[93]。彼は、この襲撃で殺害されたジャーナリストの1人であった[93]

11月18日夕方、ジョーンズタウンにおいて、ジョーンズは集会を開き、ブドウ味のフレーバー・エイド英語版シアン化物の混合飲料を飲ませた。

余波

人民寺院の建物(ロサンゼルス・南アルヴァラード通り1366番地)

全体で918人が死亡し、内276人が子供であった[94]。この集団自殺は、現代における同様の惨劇の中でも最大規模のものであり、2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件が発生するまで、アメリカ合衆国民の故殺において最多の被害者数を記録した事件であった[95][96][97]。この人数には、同日夜にジョージタウンの人民寺院本部で死亡した4人も含まれている[98]

人民寺院のサンフランシスコ本部は、全国メディアやジョーンズタウンの犠牲者の親族に取り囲まれた[99]。この出来事は、ギャラップによる調査によれば、アメリカ史の中で最も知られている出来事のひとつであり、タイム誌を含む様々な雑誌の表紙や、数ヶ月間新聞の一面を飾ることとなった[100]

加えて、様々な雑誌の取材によれば[101][102]、ジョーンズタウンでの集団自殺の後、アメリカ合衆国で生存していた人民寺院信者は、ジョーンズタウン生存者の「テロ組織」による攻撃対象になるという危険性を公表した。同様に、1979年AP通信は、アメリカ議会補佐官の証言として、「120人の白人、ジョーンズタウンからの洗脳された暗殺者達が、殺害の指示が出るのを待っている」という記事を掲載した[103]

人民寺院会員のマイケル・プロークスは、ソビエト連邦共産党に人民寺院の財産を詰めたスーツケースを運ぶ命令を受けていたが[104][105]、ジョーンズタウンでの集団自殺から4ヶ月が経過した1979年3月に自殺した。この自殺の数日前、プロークスは30枚に及ぶ人民寺院について書き残した書付を数人の人物に送っていた。コラムニストのハーブ・カンはサンフランシスコ・クロニクルのコラムの一部を再印刷した[106]。プロークスは、モデストのモーテルの部屋で記者会見の準備を行った。この記者会見には8人の記者が参加し、プロークスは声明を読み上げた。彼は自身の弁明を行ってから、トイレに立ち、そこで頭を撃ち抜き自殺した[106]

この惨事の前、人民寺院信者のパウラ・アダムスは、ガイアナのアメリカ合衆国大使、ローレンス・"ボニー"・マンと恋愛小説的な縁で婚約していた[107]。アダムスは、後にマンと結婚した[108]。しかし1983年10月24日、マンはアダムスと自身の子供を射殺した後、自殺した。教団離反者のハロルド・コーデルは、この集団自殺によって、教団信者の家族20人を失っている[109]。同じく教団を離反したボグ一家は、彼らの娘マリリー(当時18歳)を失い、別の離反者ヴァーノン・ゴスニーは息子のマーク(当時5歳)を失っている[110]

人民寺院の集団自殺は、世の中の人々に全ての新宗教が破滅的なものであるという認識を深く刻み込むこととなった。ブライアン・R・ウィルソンは、この認識に対して実際にこのような出来事を引き起こした宗教団体はたった5つに過ぎないと指摘している[111]。ウィルソンに挙げられたのは、人民寺院に加えてブランチ・ダビディアン太陽寺院オウム真理教そしてヘヴンズ・ゲートであった[111]

破産と消滅

1978年の年末、人民寺院は破産を宣告され、その資産は管財人の手に渡った[112]民事訴訟の面では、1978年12月4日に教団法人弁護士チャールズ・ゲイリーが、人民寺院の解散を申請した。この申請は、1979年1月に開かれたサンフランシスコ上位裁判所で承認された[113]。少数の人民寺院信者がガイアナに残り、1979年5月まで残務整理を行ってから、アメリカに戻った[112]

ロサンゼルス、インディアナポリス、そしてレッドウッド・ヴァレーにあった教団の建物は手をつけられることなく、その内いくつかは教会の集会に使われていた[112]セントラル・スパニッシュ・セブンスデー・アドベンチスト教会は、現在、元々人民寺院のロサンゼルス支部のあった建物[注釈 17]に置かれている[114]。人民寺院のサンフランシスコ本部があった建物[注釈 18]は、1989年に発生したロマ・プリータ地震で崩壊し、現在ではアメリカ合衆国郵便公社の建物が建っている。

アメリカ合衆国下院外交委員会は、5000ページに上る人民寺院に関係するとされた文書を保有している。情報公開法英語版によって、30年の間に複数の人物からこの情報の情報公開申請が成されたが、いずれも却下されている[115][116][117]




注釈

  1. ^ ガイアナへの移転前。
  2. ^ 20,000以上と主張されたが、実証されたことは無い。
  3. ^ 実証は無く、実態は3,000から5,000人程度であったとされる。
  4. ^ この人物とジョーンズは、アメリカ共産党を通じて知り合った訳ではなかった。
  5. ^ 「解放の翼」の意。
  6. ^ ただし、イジェムズは早々に組織化された人民寺院を辞している。
  7. ^ 人民寺院は設立メンバーに対して「宗教は人々を麻痺させるものだ」と公に説経していた[20]。それ故、「宗教の麻薬に麻痺している人々は、教化 - 社会主義化しなければならない[21]と言い、ついには「人々を教会へと連れて行き、その人々を無神論へと導く」と公に述べていた[22]。ジョーンズは、「もし貴方達が、この教会で、社会主義者の革命の中で生まれていたならば、あなた達は罪の中で生まれてくることなど無かったのです。あなた達が資本主義国家アメリカ、差別主義国家アメリカ、ファシスト国家アメリカで生まれたならば、あなた達は罪に塗れ、大きな張り型と共に生まれてきたのです。しかし、もし貴方達が社会主義の中で生まれてきたならば、あなた隊は罪に塗れて生まれて等来なかったのです。」などと説教をするなど、これらの考え方をしばしば混合させた[23][24]
  8. ^ 半分が黒人であった。
  9. ^ ニューヨーク州シラキュース出身で24歳。
  10. ^ 当時31歳で、15歳の時にジョーンズとの間に子供をもうけてから、共産主義者であった。
  11. ^ 社会サービス部門で働いていた。
  12. ^ ジョーンズの秘書。
  13. ^ 海軍軍人の子供で平和主義者となった。
  14. ^ 夫婦は後に人民寺院を離反している。
  15. ^ 7編の内、最初の4編が掲載された。
  16. ^ この際には、編集者は屈強な教団の「赤旅団」の警備員に挟まれて座らされた。
  17. ^ ロサンゼルス・南アルヴァラード通り1366番地(1366, South Alvarado Street, Los Angeles)。
  18. ^ サンフランシスコ・ギアリー・ブールバード1859番地(1859, Geary Boulevard, San Francisco)

出典

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