人民寺院 カリフォルニア州移転前

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人民寺院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 03:25 UTC 版)

カリフォルニア州移転前

インディアナでの創立

インディアナ州インディアナポリスにあるジム・ジョーンズが初めて務めた教会

教団を設立する前、ジム・ジョーンズは共産主義に魅了され、アメリカ合衆国における共産主義者に対する嫌がらせにストレスをためる様になっていた[2]。この事情と、他の出来事も合わさり、ジョーンズに精神的着想をもたらした。彼は、伝記録音の中で次のように自問自答している[2][3]

私は決意した、どうやって私のマルキシズムを実証するのかを。その考えとは、教会に潜入するということだ。だから私は意識的に、その展望を調査する決断をしたのだ。

ジョーンズは、自身が共産主義者であることによる過激な反発を恐れていたが、メソジスト教区長英語版[注釈 4]は、ジョーンズが共産主義者であることを知っていたにも関わらず、ジョーンズが教会に所属できるように尽力し、ジョーンズを驚かせている[4]1952年にジョーンズは学生牧師として、ソマーセット・サウスサイド・メソジスト教会(英語: Sommerset Southside Methodist Church)に所属するようになる。しかし、ジョーンズの集会にアフリカ系アメリカ人達を参加させることを教会のリーダーが禁止したことが原因となってジョーンズは同教会の牧師を辞している[3]1954年に、ジョーンズはインディアナポリスのレンタルスペースで自身の教会の運営を開始した[3]。設立当初の名前は、コミュニティ・ユナティ・チャーチ英語: Community Unity Church)であった[3]

ジョーンズは、以前セブンスデー・バプテスト英語版による心霊治療を目にし、この様な心霊治療は、人々を惹き付け、収入を生み、ジョーンズの目指す社会を実現する一助になると結論付けた[3]。結局、教団の財政が困窮しており、それを補填するためにも収入源を拡大する必要があり、ジョーンズと人民寺院信者達は、仕込みを行った心霊治療を行うに至った[3]。これらの「心霊治療」には、肝臓や他の動物の臓器が用いられていた。ジョーンズ(そして共謀した人民寺院信者達)は、肉体から取り除かれたに侵された臓器であると主張した[5]

1956年、ジョーンズはインディアナポリス近郊の様々な人種の人々が住む場所に初めての教会となる建物を購入している。ジョーンズはこの教会をウィングス・オヴ・デリヴァランス英語: Wings of Deliverance[注釈 5]と名付けた[6]。ただし、同年終わりごろに、ピープルズ・テンプル・フル・ゴスペル・チャーチ英語: Peoples Temple Full Gospel Church)と改名している[3]。ジョーンズが初めてピープルズ・テンプル英語: Peoples Temple)のフレーズを使ったのがこの時である[3]。ジョーンズの心霊治療と、主張していた透視能力は、唯心論者達を惹き付ける結果となった[6]

インディアナポリスでの拡大

一般での認知度を高めるために、人民寺院は他のペンテコステ派の牧師と共に大規模な宗教「集会」を主催した。この中でも、ジョーンズは自身の目指す社会を作り上げるために宗教を利用しているという事実をひた隠しにし続けていた[6]。この集会は、11,000人近くの参加者を集め、ジョーンズや他の説教者は心霊治療を実演していた[6]。更には、個人情報を暴露することによって、出席者に強烈な印象を残した。この個人情報は、日常的によく使う番号が使われており、例えば住所電話番号、または社会保障番号のような物が使われたが、実際には探偵を使うことで、事前にこれらの情報は容易に手に入れることが可能だった[6]。ジョーンズと人民寺院信者は、インディアナ州オハイオ州を車で回り、信者と資金獲得を目指した[7]

人民寺院は、平等主義理想を強調しており、信者達には貧しい人々でも気兼ねなく集会に参加できるように、カジュアルな服装で出席するように伝えており、恵まれない人々に避難所を提供していた[8]。人民寺院信者に占める黒人信者の割合は上昇の一途をたどり、当初全体の15%だった黒人信者の割合は50%近くに達するまでになったが、その中で、人民寺院がアフリカ系アメリカ人の聖職者アーチー・イジェムズを採用したことで、この傾向が強まった[注釈 6][6]。牧師イジェムズは、ジョーンズによる社会主義共同体計画に最初に参加した人物であった[8]1959年、人民寺院はディサイプルス派クリスチャン・チャーチに加入し、名前をピープルズ・テンプル・クリスチャン・チャーチ・フル・ゴスペル英語: Peoples Temple Christian Church Full Gospel)に改名している[3]。このクリスチャン・チャーチへの加盟は、減少していた信者数を上昇に転じさせ、教団の評判を回復させるという2つ面で成功であった。

1960年2月、人民寺院は貧民向けの炊き出しを始め、家賃援助、就業先の紹介、缶詰衣類、そして冬用の燃料の無料配布へと社会保障サービスを拡大していった[8]。ジョーンズ夫妻自身も、増大する炊き出しを助けており、1か月で平均2,800食を配布している[8]

ジョーンズに、インディアナポリスの人権委員会英語版への参加要請があったことで、人民寺院の知名度は更なる高まりを見せた。彼は、人種差別のないビジネスを試みることを公に約束し、多くのローカルメディアで取り上げられることになった。

変化と「宗教的共同体主義」

ジョーンズは、ファーザー・ディヴァインに関する記述を広く読み漁った[9]。このファーザー・ディヴァインは、インターナショナル・ピース・ミッション・ムーヴメント英語版の創始者であった[9]。ジョーンズと他の人民寺院信者達は、ディヴァインの元に何度も通い、ジョーンズはディヴァインの著書や説教のテープを学んでいたという[10]。人民寺院はディヴァインの文章を信者のために書き写し、信者達に性行為を慎み、養子をとる様に説教を始めている[10]

1959年、人民寺院のデラウェア・ストリート寺院での説法において、ジョーンズはディヴァインが用いたような炎を使った華美な方法を実践した[11]。ジョーンズは集団の前で、個々の信者に対して話を行う際には、穏やかな部分と語気を強め強調する部分を使い分けることで信者達を魅了した[11]。このスピーチでは、「我々対彼ら」という文句を基礎とした人民寺院の始まりでもあった[11]。ジョーンズは注意深く間を縫うように、人民寺院の高齢者のための家を設立した[12]。この設立の際には、カール・マルクスの「ゴータ綱領批判」より引用された「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」というスローガンを基にしていた[12]。ジョーンズは、キリスト教徒の聴衆達には、この言葉が「使徒言行録 (4:34–35)」に記述された「それぞれの必要に応じてそれぞれに分け与えられた」と類似していると気付くと考えていた[12]。ジョーンズは、イエス・キリストが共産主義者であるという一節として何度も主張していた[12]。ただし、ジョーンズはそれと同時に聖書の数多の文章に対して、攻撃を加えていた[12]

人民寺院は、他の教会よりも多くを人々に要求するなど、組織の強化を開始した[8]。特に、神への感謝の祈りやクリスマスの際には、血の繋がった親族よりも人民寺院の「家族」と共に過ごすように要求した[8]。これは、信者を親族達から引き離すための工作の始まりであり、信者の人生全てを人民寺院の目指す社会的、政治的なゴールへと傾倒させるためのものであった[8]。ジョーンズは社会主義集団の取り決めを提案し始めた。ジョーンズ自身は「宗教的共同体主義」(英語: religious communalism)と呼んでおり、その中では、人民寺院信者達は彼らの求めるものを与える教団と引き換えに、自身の重要な財産を教団に寄付することとされていた[8]。人民寺院聖職者のイジェムスは、最初のこれに応じた人物の中の一人であった[8]

人民寺院は、宗教と偽装されていたものの、アメリカ合衆国中西部の人々を共産主義者の理想に染め上げる様な運はほとんどなかった[13]キューバフィデル・カストロによる1959年のフルヘンシオ・バティスタ追放に感化され、ジョーンズは1960年にキューバへと渡った[13]。そして、キューバの貧しい黒人たちをインディアナの彼の会衆にすることを試みたが、この計画は失敗に終わった[13]

人民寺院の宗教的なメッセージはこの時期に変わり始め、無神論とジョーンズをキリストの様な象徴的存在として扱うという主張との奇妙な折衷へと変わっていった[14]。人民寺院の補佐官が私的に苦言を呈したにもかかわらず、ジョーンズはこの新しいメッセージは、人民寺院の掲げる大義に対して、信者達が献身する心を育てるために必要なことだとして取り合わなかった[14]。ジョーンズは、この様な内容を仄めかす内容を、1970年代中盤から後半に至るまで何度も言及していた[14]

1961年、ジョーンズはシカゴ核攻撃に曝されるという幻影を見たと発言した[15]。彼は、インディアナポリスも同様にして壊滅すると主張し、人民寺院は新しい本拠地を探す必要があると補佐官たちを説得した。

1962年エスクァイア誌が、核戦争が勃発した際に安全な9つの場所という記事を掲載した[16]。この記事の中では、ブラジルミナスジェライス州ベロオリゾンテが最も安全な都市として記載されており、その理由はその地理的な特徴と大気条件にあるとしていた[16]。ジョーンズは、1962年から1963年初頭にかけて、ブラジルを縦断する旅行を行った[17]リオデジャネイロに滞在している間、ジョーンズは寺院から資金を引き出そうとしたが、寺院側にはそれに応えるのに十分な財力は無かった[17]。ジョーンズの不在によって人民寺院の財政状態は悪化していたのである[17]。ジョーンズは、ブラジルで人民寺院の聖職者となった人物をインディアナに送り、寺院の立て直しを図った[18]




注釈

  1. ^ ガイアナへの移転前。
  2. ^ 20,000以上と主張されたが、実証されたことは無い。
  3. ^ 実証は無く、実態は3,000から5,000人程度であったとされる。
  4. ^ この人物とジョーンズは、アメリカ共産党を通じて知り合った訳ではなかった。
  5. ^ 「解放の翼」の意。
  6. ^ ただし、イジェムズは早々に組織化された人民寺院を辞している。
  7. ^ 人民寺院は設立メンバーに対して「宗教は人々を麻痺させるものだ」と公に説経していた[20]。それ故、「宗教の麻薬に麻痺している人々は、教化 - 社会主義化しなければならない[21]と言い、ついには「人々を教会へと連れて行き、その人々を無神論へと導く」と公に述べていた[22]。ジョーンズは、「もし貴方達が、この教会で、社会主義者の革命の中で生まれていたならば、あなた達は罪の中で生まれてくることなど無かったのです。あなた達が資本主義国家アメリカ、差別主義国家アメリカ、ファシスト国家アメリカで生まれたならば、あなた達は罪に塗れ、大きな張り型と共に生まれてきたのです。しかし、もし貴方達が社会主義の中で生まれてきたならば、あなた隊は罪に塗れて生まれて等来なかったのです。」などと説教をするなど、これらの考え方をしばしば混合させた[23][24]
  8. ^ 半分が黒人であった。
  9. ^ ニューヨーク州シラキュース出身で24歳。
  10. ^ 当時31歳で、15歳の時にジョーンズとの間に子供をもうけてから、共産主義者であった。
  11. ^ 社会サービス部門で働いていた。
  12. ^ ジョーンズの秘書。
  13. ^ 海軍軍人の子供で平和主義者となった。
  14. ^ 夫婦は後に人民寺院を離反している。
  15. ^ 7編の内、最初の4編が掲載された。
  16. ^ この際には、編集者は屈強な教団の「赤旅団」の警備員に挟まれて座らされた。
  17. ^ ロサンゼルス・南アルヴァラード通り1366番地(1366, South Alvarado Street, Los Angeles)。
  18. ^ サンフランシスコ・ギアリー・ブールバード1859番地(1859, Geary Boulevard, San Francisco)

出典

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