京都・大阪連続強盗殺人事件 廣田雅晴

京都・大阪連続強盗殺人事件

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廣田雅晴

廣田 雅晴
個人情報
本名 神宮 雅晴[64]
生誕 (1943-01-05) 1943年1月5日(81歳)[30][65][66]
日本千葉県山武郡成東町成東(現:山武市成東)[65]
国籍 日本
出身校 千葉県立成東高等学校[67](普通科:1961年3月卒業)[22]
職業 京都府警察官巡査部長:事件前に懲戒免職
殺人
犠牲者数 2人
日本
都道府県 京都府・大阪府
凶器 包丁・拳銃
司法上処分
罪名 強盗殺人銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反
刑罰 絞首刑(未執行)
有罪判決 死刑確定:1998年1月16日)[24][25][26]
司法上現況 死刑囚死刑確定者
犯罪者現況 収監中(死刑確定から26年4か月と20日経過)
収監場所 大阪拘置所[66](2021年9月20日時点)[68]
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本事件の犯人は、廣田 雅晴(ひろた まさはる、1943年〈昭和18年〉1月5日[30][65][66] - 、本事件当時41歳)である。「広田 雅晴」とも表記される[3][21]。上告審弁論後に改姓届を出し、姓を結婚前の「神宮」(しんぐう)に戻している[64]。本事件を起こした当時、身長は161.5 cm、体重は63 kgだった[20]

刑事裁判により、1998年平成10年)1月16日死刑判決確定[24][25][26](死刑確定から26年4か月と20日経過)。2021年令和3年)9月20日時点で[68]、廣田こと神宮雅晴(現在81歳)は死刑囚死刑確定者)として大阪拘置所収監されている[66]

経歴

生い立ち

雅晴は1943年1月5日、大阪市で5人兄弟姉妹の第三子(次男)として生まれた[69]。雅晴の父親[注 4]は運送会社に勤めており、結婚して妻(雅晴の母親)の故郷である千葉県山武郡成東町(現:山武市)に住み着いていたが、雅晴の出生当時は大阪に在勤していた[70]。1歳のころ、雅晴は家族とともに成東町に転居した[22]。その後、農業を営む両親[注 5]のもとで育ち、地元の小中学校を経て、1961年(昭和36年)3月[22]千葉県立成東高等学校[67](普通科)を卒業[注 6][22]。高校卒業時、雅晴は兄に対し「警察官になりたい」と話していたが、兄は雅晴について「小さいころから暗くなると一人で外へ出れないような臆病者」と感じていたため、「無理だ」と反対していた[70]。その後、石川島造船化工機[72]東京都江東区)に就職したが、高所での作業を嫌い、1年余りで退社[67]。都内で電気溶接工や司法書士事務所事務員として働いた後、関西に渡った[22]

京都府警時代

1964年(昭和39年)6月の深夜、製麺業従業員として働いていた雅晴(当時21歳)は、京都・五条通七条警察署の署員(東洞院六条派出所に配属)から職務質問を受けたが、その署員は体格が良く、実直な雅晴に好感を抱き、職務質問を終えると「警察官にならないか」と勧誘した[注 7][70]。雅晴はこの誘いを受けて仕事を辞め、同年の京都府警察の採用試験に合格[70]、同年10月1日付で巡査として採用される[22]。1965年(昭和40年)9月に京都府警察学校を修了し、九条警察署(現:南警察署)警ら課に配属され、下殿田派出所などで勤務した[22]。巡査時代は、巡回先で「ダッコちゃん」の愛称で呼ばれていた[73]

1967年(昭和42年)4月に結婚して「廣田」に改姓し、妻との間に3児をもうけた[注 8][22]。また、1968年(昭和43年)3月には年間勤務優秀で本部長賞誉を受けており、その検挙率の高さから、刑事への登用も検討されていた[76]。一方、友人は少なく、休日には1人で競輪に出かけることもあり[77]、昇任試験で面接の幹部と言い争い、腹を立てたり[76]、上司の指示に不貞腐れて反発したりするような一面もあった[78]。九条署でかつて廣田の直属上司だった府警OBは、廣田の性格について「自分の意に反することにはすぐカッとなるが、じっくり話し込み、信頼してやればとことんやる男だった」と評している[78]

1971年(昭和46年)に巡査部長昇任試験に合格すると、翌1972年(昭和47年)3月には初の外勤幹部として峰山警察署(現:京丹後警察署)に赴任し、2年間にわたって外勤在所主任を務めた[76]。この間、署長褒章を4回受けており、当時の署長は廣田について「みんなから頼られて声を掛けてもらえる立場で生き生きしていた」と評している[76]。一方、京都市内の中心署である西陣署への配転を希望し[78]、1974年(昭和49年)3月からは西陣署外勤課などに配置換えされた[22]。そして、1977年(昭和52年)3月から、後述の強盗事件までは西陣署十二坊派出所[注 1]で勤務するようになっていた[22]。しかし、廣田がこのころ、パトロール中に出会った知人に対し「寝ずに勉強して巡査部長になったのに交番勤めとはバカにしている」と不満を漏らし、同僚から教わった競馬にのめり込んで多額の借金を抱え、強盗事件を起こす半年前ごろからは、借金返済のために仕事を休んで消費者金融を回るようになったという旨や[78]、派出所へ転出させられる前後には競艇小豆相場に手を出し、それも借金を抱える要因となったという旨が報じられている[79]。一方、強盗事件当時の直属上司であった西陣署外勤第一係長は「廣田は西陣署へ着任した当時、司令室に配属されたが、実質1人勤務で『こんな忙しいところはかなわん。性格的にも向いていない』と自ら派出所配転を訴えた」と主張し、廣田が犯行に走った動機について「峰山署で在署幹部として活躍していた廣田は、市内署でも幹部として活躍することを夢見ていたが、市内署は巡査部長の数も多く、異動前に抱いていたイメージと現実との落差からプライドを傷つけられた」と考察している[80]。また、ある府警OBは『サンデー毎日』の取材に対し、廣田は当時、人事権を強く振りかざす上司と折り合いが悪かったという旨を証言している[81][82]

強盗傷人事件

略地図
1
廣田がバイクに発砲した現場(枳殻邸北側)
2
札ノ辻郵便局(南区東九条石田町)
3
六孫王神社の手水舎

1978年(昭和53年)7月17日8時30分ごろ、廣田(当時35歳)は西陣署の拳銃保管庫から、同僚が保管していた実包5発入りの拳銃1丁を盗む事件を起こした[83]。当時、廣田は非番で自分の拳銃を収めに西陣署に行ったが、その際に幹部の立会がなく、人もいなかったことから[注 9]、拳銃保管庫の扉の影に隠れ、同僚の巡査[注 10]の拳銃をサックから取り出し、自分の持っていた紙袋に入れて署外に持ち出した[85]。廣田は17日から18日にかけ、盗んだ拳銃を自宅の押し入れに隠し、19日にハンカチで包んで紙袋に入れ、制服で隠して持ち出すと、船岡山公園の失対事務所床下にハンカチでくるんだ状態で隠した[85]。拳銃の所有者である巡査は19日朝、自身の拳銃がなくなっていることに気づき、それ以降は府警が特捜班を編成して西陣署に出入りした派出所員や、祇園祭の応援に出た署員ら13人をリストアップし、アリバイなどを調べていた[86]

20日16時30分ごろ、西陣署近くの公衆電話から、上鴨警察署(現:北警察署)へ「田中」と名乗る中年の男が「西陣署の拳銃はわしがやった。拳銃は後日、東寺の方から通っている警官を通じて返す」という電話をかけている[87]。同日18時ごろ、廣田はタクシーで船岡山公園に行って拳銃を取り出し、自宅に持ち帰ると、21日9時40分ごろ、拳銃を持って自宅を自転車で出た[85]

同月21日11時45分ごろ、廣田は京都市下京区上珠数屋町通河原町西入ルの路上[83]枳殻邸北側)で[88]、バイクで通りかかった近畿相互銀行[注 11]京都支店の店長代理男性(当時32歳)めがけて1発発砲し[89]、現金を奪おうとしたが、風防ガラスを貫通したのみで、男性がそのまま走り去ったため未遂に終わった[83]。その直後の12時10分ごろ、札ノ辻郵便局(南区東九条石田町[注 12]に強盗目的で押し入り[83]、窓口係職員の女性(当時45歳)に対し、銃を突きつけて金を出すよう迫ったが、相手が悲鳴を上げたため、拳銃で頭を殴りつけて1週間の怪我を負わせ、自転車で逃走した[91]。同日16時ごろ、再び上鴨署に「田中」と名乗る男が「拳銃は今でも持っている。全弾山で撃った。薬莢はそちらに送る」などという電話をかけている[87]

発覚・逮捕

同月22日、廣田は「犯人から自宅に電話があり、ピストルの隠し場所を教えてきた」と届け出、六孫王神社(京都市南区八条通)の境内で[注 13]、盗難された拳銃(ニューナンブ38口径、実包4発入り)と空薬莢1個が回収されたが、当時の廣田の状況説明に曖昧な点が多かったことや[注 14][93]、捜査中に不審な言動を取っていたこと[注 15]、そして廣田が事件当日、署の外勤室で数分間一人になり、拳銃を保管庫から自由に取り出せる状態にあったことなどから、廣田は重要参考人として取り調べを受けた[93]。廣田は「自分は拳銃の発見に努力したのに、疑われて残念だ」などと容疑を否認し、ポリグラフ検査を拒否するなどしたが、23日に窃盗容疑で逮捕された[94]。翌24日、廣田は窃盗・銃砲刀剣類所持等取締法違反・火薬類取締法違反の容疑で京都地方検察庁送検され、同日付で懲戒免職処分を受けた[95]。さらに同月26日には郵便局での強盗傷人容疑で再逮捕され[96]、8月17日には窃盗・銃刀法違反・火薬類取締法違反・強盗傷人の罪で京都地方裁判所起訴された[97]

廣田は逮捕後も容疑を否認し、強盗事件が起きた21日当時の行動について「新聞を買いに出た」「子供を散歩に連れて出た」「南区の知人宅で話し込んでいた」とアリバイを主張したが、それらの主張はすべて虚偽であることが判明[98]。7月27日になって犯行の一部を認め[98]、逮捕から10日目の8月1日には犯行をほぼ全面的に自供した[85]。動機については、当初は「信頼していた直属の上司が自分の病気欠勤のことで悪口を言っているとの噂を聞き、『拳銃がなくなれば困るだろう』ととっさに思いついた」と供述し、計画性を否定した[97]。しかし、多額の借金があったことを追及され[85]、強盗については「借金返済のために金が欲しかったため、かねてから事情を知っていた札ノ辻郵便局を襲った」と自供したが、拳銃窃盗の計画性については一貫して否定した[97]。なお、銀行員銃撃事件については被害者が「廣田らしき男を追い越した直後、至近距離から発砲された」と主張したことや、現場の道幅は狭く、人通りがあれば必ず目に入るであろう場所であったことなどから、(強盗)殺人未遂容疑の適用も検討したが[88]、廣田は強盗の犯意は認めたものの、殺意に関しては否認し、殺意の存在を裏付ける証拠もなかったため、強盗未遂罪での立件となった[97]

当時は田岡一雄山口組組長)が銃撃される事件が発生したばかりで、暴力団の対立抗争が激化し、拳銃などの武器摘発に全国の警察が躍起になっている中で発生した事件であり、京都府警に衝撃が走った[99]。また、同年1月には制服警官女子大生殺人事件が発生しており、警察官の規律が大問題となっていた[注 16]直後に本事件が発生したことで[101]、社会に衝撃を与え[102]、警察の威信は大きく失墜する形となった[101]。それまでの警察不祥事事件は多くが20歳代など、比較的年代の若い警官に集中していた一方、廣田によるこの事件は「安定した世代」と見られていた中堅級警察官による事件であったことも注目された[103]

一方、本事件をきっかけに京都府警における拳銃取り扱い規定が順守されていなかったことも問題視された[99]。一連の事件を受け、京都府警本部長の佃泰は8月18日付で引責辞任し、廣田の直属の上司だった西陣署長の小西昭が6か月間の減給処分(100分の10)と警備第一課長への左遷を受けるなど、合わせて11人が懲戒処分を受けた[97]

懲役7年が確定

廣田は一連の犯行で、窃盗・銃刀法違反・火薬類取締法違反・強盗傷人・強盗未遂の罪に問われた[22]。同年10月16日、京都地裁第3刑事部(吉田治正裁判長)で初公判が開かれたが、被告人の廣田は盗まれた拳銃を所持していたことこそ認めたものの、それ以外の犯行については「みんな警察の作り事だ。真犯人は別にいる」として、起訴事実を全面的に否認した[104]。そのため、18回にわたる公判では廣田の犯意・計画性・実行行為など、犯罪の事実認定をめぐる攻防が繰り広げられた[105]。また公判中、京都拘置所に勾留されていた廣田は、『人民新聞』に「公安の実態を暴く これが警察の内状だ」と題した投書を寄稿し、その中で冤罪を訴え、西陣署長の小西を名指しで非難するとともに、「出所した折りは、私は京都府警に対し「ふくしゅう」をしてやるつもりでいます。そうでなければ私は死んでも死にきれないのです。」など、京都府警への怨嗟を綴っていた[106]。同紙に投書を寄せたきっかけは、拘置所時代に連合赤軍加藤倫教と知り合ったことだが[107]公安関係者や、同事件で弁護人を務めた堀和幸(後に115号事件でも弁護人を担当)は、「廣田は思想的に新左翼に傾倒していたわけではなく、反権力・反警察という点で新左翼と利害が一致したにすぎない」と考察している[107][43]

1980年(昭和55年)3月3日の公判で、廣田は検察官から懲役8年を求刑された[105]。一方、廣田の弁護人を務めた堀は同年3月24日の最終弁論で、「廣田の自白以外に確たる証拠はなく、その自白も信用性が低い」として無罪を主張、廣田本人も最終意見陳述で「警察側の証人は、裁判所の判断を誤らせようと、故意に真実を隠したりして全く卑怯だ。検察官の求刑には“ノシ”を付けて返したい」などと陳述した[108]

京都地裁第3刑事部(吉田治正裁判長)は同年6月10日、廣田に懲役5年(刑期に未決勾留日数650日を算入)の実刑判決を言い渡した[83]。同地裁は、捜査段階における廣田の自供が、各種状況証拠と一致することや、廣田が信頼していた上司から説得を受けて自白に至ったという経緯などから、自白の任意性・信用性を認定した上で、拳銃も部外者が盗み出すことは不可能な状態だったことも併せ、「内部の者による極めて短時間の犯行」として、一連の事件を廣田の犯行と認定した[83]。その上で量刑理由では、犯行動機となった巨額の借金は廣田自身が招いた事態である点や、市民を犯罪から守るべき立場の現職警察官による悪質な犯行であり、刑事責任が重大である点を指摘した一方、犯行が「無計画・衝動的」なものであり[注 17]、社会的制裁を受けている点などを考慮した[83]。同日、廣田は京都地裁へ護送された際、群がる報道陣に唾を吐きかけ、蹴り上げようとしていた[109]。同月21日、京都地検は量刑不当を理由に控訴した[110]。一方、無罪を主張していた廣田は控訴せず、弁護人を担当した堀に対し「もう裁判はあきらめます。早く服役し、出所して警察の腐敗ぶりを告発したい」と発言していた[111]。その後、廣田は控訴審の公判には出廷しなかった[112]

大阪高等裁判所第4刑事部(吉川寛吾裁判長)は1981年(昭和56年)2月19日[113]、「派出所主任という地位にある現職警察官が犯した重大かつ悪質な犯罪」[114]「言語道断の犯行で、市民に与えた不安は大きい。反省もしておらず、一審の量刑は軽すぎる」として[113]、原判決を破棄自判し、廣田に懲役7年の実刑判決を言い渡した[114]。廣田は上告を勧める弁護人に対し、「検察も裁判所も信用できない。服役して出所後のことを考える」と答え[115]、上告することなく同判決が確定した[116]

服役生活

廣田は同年3月26日から1984年8月29日まで、4年5か月24日間(未決勾留日数を除く)にわたり、加古川刑務所に服役した[117]。満期は1985年(昭和60年)8月29日で、府警が加古川刑務所に確認したところ、1983年(昭和58年)5月26日に「満期まで仮釈放はない」という公式な返答を得ていた一方、裏ルートで調べたところ、「出所近し」の情報も入手していた[118]。廣田は仮出獄許可決定を受け、1984年8月30日に出所していた[22]。服役中、廣田はボイラーマンの2種免許(乙種)や危険物取扱主任(乙種)の資格を取得し、簿記・そろばんに励むなど、成績は「良好」とされていた[117]。仮釈放が認められた理由は、「引受人として成東町に家族がいる」「委員会での面接調査で改悛の情、更生の意欲が確認できた」の2点で、廣田が公判中に『人民新聞』に警察への復讐の念を書き綴った文章を投稿したり、刑務所内で待遇改善を求める闘争を続けていた事実は、刑務所側から近畿地方更生保護委員会には報告されていなかった[117]。一方、廣田は同房者に対し、「西陣署に仕返ししてやる」と漏らしていた[112]。捜査関係者は、廣田が真面目に服役していた理由について「早く出所して早く(京都府警に)復讐しようという計算のためではないか」という推論を述べている[119]


注釈

  1. ^ a b c d 西陣警察署十二坊警察官派出所は、2022年時点では北警察署十二坊交番(所在地:京都市北区紫野十二坊町33-4)となっている[4]
  2. ^ a b c d 廣田が京都事件で凶器として用いた包丁(刃体の長さ約16.9 cm)は[1]、細身で堅刃の柳刃包丁[5]
  3. ^ a b c d e 澤地和夫は1980年1月、21年あまり勤務した警視庁を退職し、新宿に大衆割烹店を開店したが、経営が悪化し、1983年8月には1億5,000万円の負債を抱えて閉店に追い込まれ、一攫千金を狙って強盗殺人を計画した[45]。1984年10月11日、澤地は自分と同じく借金に苦しんでいた仲間の男2人(猪熊武夫・Pの両名。それぞれ死刑と無期懲役が確定)と共謀し、東京都北区の宝石商男性(当時36歳)を山梨県南都留郡山中湖村の別荘に誘い出して絞殺、現金や指輪など6,000万円相当を奪い、死体を床下に埋めた[45]。次いで同月25日、猪熊と共謀して埼玉県上尾市の女性金融業者(当時61歳)を土地をめぐる融資話で誘い出し、浦和市(現:さいたま市浦和区)内を走行中の車内で絞殺、現金2,000万円や指輪、預金通帳などを奪い、死体を別荘床下に埋めた[45]。1987年10月30日、東京地裁刑事第2部(中山善房裁判長)は澤地・猪熊を死刑、Pを無期懲役とする判決を言い渡し[45]東京高裁第9刑事部(内藤丈夫裁判長)も1989年3月31日に3被告人の控訴をいずれも棄却する判決を言い渡した[46]。その後澤地・猪熊の両被告人は最高裁に上告していたが、1993年3月に死刑執行が3年4か月ぶりに再開されると、澤地はそれに対する抗議の意図で[47]、最高裁第二小法廷(大西勝也裁判長)に対し上告取下書を提出[48]。同年7月7日付で上告取下書が送付・受理され、死刑が確定した[49]。しかし死刑は執行されず、再審請求中の2008年12月16日に東京拘置所で病死している(69歳没)[50]。なお、共犯の猪熊は1995年(平成7年)7月3日に最高裁第二小法廷(大西勝也裁判長)で上告棄却の判決を受け[51]、判決訂正申立も同月24日付の決定で棄却されたため[52]、同月25日付で死刑が確定している[53][54]。Pも7月3日付で第二小法廷から上告棄却の決定を受け[55]、同決定に対する異議申立も同月12日付の決定で棄却されたため[56]、無期懲役が確定している[57]
  4. ^ 雅晴の父親は1968年に死去している[30]
  5. ^ a b c d 本事件当時、成東町の実家には雅晴の母親と、弟夫婦が住んでいた[71]
  6. ^ 5人兄弟姉妹のうち、高校まで進学したのは雅晴だけだった[72]
  7. ^ 当時はオリンピック景気で警察官の希望者が少なく、京都府警は同郷の知人へのはがき作戦など、優秀な人材の確保に躍起になっていた[70]
  8. ^ 廣田の子供3人はいずれも男の子(1978年の事件時点でそれぞれ11歳、7歳、4歳)[74]。1984年12月時点では長男が17歳、次男が14歳、三男が11歳だった[75]
  9. ^ 西陣署では通常、派出所勤務の警官が当直明けや非番の日には、いったん拳銃を本署に預けて帰宅する規定になっているが、拳銃は幹部立ち会いのもとに保管庫に入れ、幹部がさらに確認することになっていた[84]
  10. ^ 廣田に拳銃を盗まれた巡査は、廣田とは別の金閣寺派出所に勤務していたが、16日夕方に拳銃を本署に預けて帰宅し、拳銃を盗まれた17日は非番、18日は公休で、19日の点検の際に初めて自分の拳銃がなくなっていることに気づいた[84]
  11. ^ 近畿相互銀行は、後の近畿大阪銀行(現:関西みらい銀行)。
  12. ^ 現場となった札ノ辻郵便局(南区東九条石田町)は当時、竹田街道の十条上ル約150 mに位置していた[90]
  13. ^ 拳銃が発見された場所は、六孫王神社の手水舎で、昼は近所の子供たちや散歩の人たちで賑わう場所だった[92]
  14. ^ 廣田の説明は、まず21日18時ごろ、自宅に男の声で「東寺で会って返す」という電話がかかり、次いで22日14時40分ごろになって「六孫王神社に隠しておく」という電話がかかってきたというもので、前者の「電話」を受けた際には署長に連絡していたが、結局「男」は姿を見せなかった。しかし、2度目の電話は拳銃の置き場所を変更する重要な電話にも拘らず、それを署長に連絡しないまま1人で現場に行ったことや、拳銃に素手で触れたり、実弾を抜き取るなど、「警察官としての初歩的な常識に欠ける行動」を取っていたため、廣田はそれらの不審点を追及された[93]
  15. ^ 廣田は「自宅に『犯人』から電話がかかってきた」として東寺境内に行き、「犯人」との接触が不成功に終わったにも拘らず、西陣署の幹部に対し「今日は犯人が現れなかったが、そのうち見つかりますよ」などと電話していたり、盗まれた拳銃を所持していた同僚の巡査に対し「君はこの事件のことで退職を考える必要はない」と話したりなど、拳銃発見の目処が立たない時期に不審な言動を取っていた[94]
  16. ^ 1978年に懲戒処分を受けた警察官の人数は272人(うち、免職者数は26人)で、どちらの人数も1979年(昭和54年) - 1983年(昭和58年)の人数を大きく上回っていた[100]
  17. ^ 京都地裁 (1980) は、拳銃窃盗が廣田の思惑とは異なり、警察の内部処理では済まず、予想外の社会的大騒ぎになったことや、郵便局強盗事件では被害者に騒がれ、簡単に諦めるなどした点から「衝動的な犯行」と認定した[83]
  18. ^ 廣田が購入したボウガン(ボウガン・モデル1300)は、最大有効射程距離25 mで、近距離なら瞬発力が強く、フライパンを貫通する威力があった[122]
  19. ^ 冒頭陳述で、検察官は廣田がボウガンを凶器として用いることを断念した理由について「試射がうまく行かなかったため」と述べている[75]
  20. ^ 廣田からの電話に応対した巡査部長は、同僚の巡査と2人で亀山公園まで出向いたが、バイクを見つけることは出来ず、派出所へ戻った[125]
  21. ^ 西陣署では、通常の派出所勤務では正午から13時まで休憩時間となっており、この時間帯にパトロールに出掛けることはほとんどなかった[131]。通常の巡回連絡の場合は、連絡簿などの書類を携帯して出掛けることが普通だったが、Aは事件当時、それらの書類を派出所に残していた[6]
  22. ^ 廣田と思しき男を目撃したタクシー運転手2人はいずれも、無線基地からの指示に基づいて目撃後、直ちに基地に通報した上、警察署に出頭している[141]
  23. ^ 「あんどれー」の従業員である女性は、廣田が来店した時間について「15時10分ごろ以降」と証言している[146]
  24. ^ 同店は、大阪事件現場の「永井ビル」から約56 mほどしか離れていなかった[146]。主に若い女性向けの店で、廣田のような中年男性が来客することはほとんどなかった[147]
  25. ^ この男は借金を申し出たが、身分証明書の提示を求められ、立ち去った[6]
  26. ^ 捜査段階では最終列車1本前の「ひかり530号」(京都駅20時37分発、東京駅23時42分着)に乗車したと見られていたが[160]、検察官の冒頭陳述によれば、乗車した列車は20時29分発である[161]
  27. ^ 警視庁は5日2時、警備中の各方面本部長に「廣田警戒」を連絡している[29]
  28. ^ また、大阪府内ではこの2件とは別に、9月6日 - 14日にかけて相次いで3件の殺人事件が発生・発覚していたため、府警はそれらの事件の捜査にも追われていた[167]
  29. ^ 消印は同月23日[169]
  30. ^ 『読売新聞』 (1984) では「7時25分ごろ」となっている[139]
  31. ^ 現:千葉市中央区都町。
  32. ^ 4人とも、当時は作業服を着用していた[180]
  33. ^ 当時の東京駅発東海道新幹線の最終列車。
  34. ^ ヘタを売る」とは、京都の極道筋の間で「面子を潰す」という意味合いで使われる言葉である[119]
  35. ^ 準抗告を行った理由は、「廣田は犯行を全面否認しており、犯行立証のために目撃者らに顔を確認してもらう必要があるが、拘置所にはその設備がない」「拘置所では時間の制約(起床時間が7時20分、就寝時間が21時)があり、十分な取り調べができない」「弁護人以外の接見を認めると、証拠隠滅などを図る虞がある」などだが、京都地裁は「被害者は現職警官であり、廣田は犯行を否認し、警察に強い反感を持っていることを考慮すれば、京都拘置所を拘置場所に指定した原判断は正当で、拘置所での面通しや実況見分が不可能とは認め難い。共犯者や組織を背景にした犯行とも認めがたく、廣田と共謀・同調して証拠隠滅を図る者がいるとも想定しにくい」との理由から、準抗告を棄却した[187]。目撃者たちに対する面通しは、京都地検で行われている[163]
  36. ^ バッグは発見時点でチャックが全開になっており、中には何も入っていなかった[156]
  37. ^ 廣田が「一緒に船岡山に行った」と自供した刑務所仲間3人のうち、1人は既に死亡しており、もう1人は服役中だったほか、残る1人もアリバイがあった[189]
  38. ^ この供述を受け、警視庁や京都府警などは、廣田のカバンが発見された地点から約6 km上流の江戸川に架かる市川橋国道14号)や総武線・京成本線の両鉄橋などの付近を捜索した[198]
  39. ^ 被告人質問が開始されるより前[40]
  40. ^ a b 京都府警では国家公安委員会規則に基づき、各警察官に貸与される拳銃については試射を行った上で、試射弾丸と試射薬莢を銃番号によって登録・保管する扱いになっている[229](参照[230])。
  41. ^ 「12時50分ごろ、以前のノミ行為の客に対する未回収金を取り立てるため、Xと2人で金閣寺小学校近辺にいた」[1]「13時ごろ、映画館に行った」と主張した[212]
  42. ^ 検察官は、死刑を選択する量刑事情を「強盗殺人の被害者が2人の事例を原則とする」と明言した[219]
  43. ^ この3人の目撃証言は、いずれも大阪事件直後(同日夜)から翌5日午前にかけて都島署で得られたが、3人ともまだ廣田に関する新聞報道やテレビニュースが出る前に証言を行っており、また互いに別々の部屋で聴取を受けていたため、3人で男の特徴などについて口裏合わせを行う機会はなかった[151]
  44. ^ 京都・千葉間の新幹線など利用料金(1往復半)で約3万5,000円、ボウガンの購入で約8万円を、また特殊浴場で2万円、ピンクサロンで10万円、着替え用衣服などで5万円を遣ったほか、宿泊代・食事代・タクシー代などで相当額を費消した[156]
  45. ^ 1999年(平成11年)11月25日、最高裁第二小法廷が再審請求事件についてした即時抗告棄却決定に対する特別抗告を棄却する決定[事件番号:平成11年(し)第182号]を出した[268]。2000年(平成12年)12月5日にも、第二小法廷が特別抗告棄却の決定[平成12年(し)第267号]を出している[269]
  46. ^ 福島は国政調査権を使い[270]、2008年7月に死刑確定者たちへアンケート用紙を郵送し(最終締切は同年8月末)[271]、郵送相手105人のうち78人から回答を得ている[270]
  47. ^ 2011年12月時点で新たな死刑確定者にも同様のアンケートを送付している[274]
  48. ^ a b 久間は冤罪を主張していたが[277]森英介法務大臣が発した死刑執行命令により、2008年(平成20年)10月28日に収監先の福岡拘置所で死刑を執行されている[278]
  49. ^ 大阪拘置所や大阪法務局が廣田の原稿の写しを作成したのは、2013年の訴訟における控訴理由書を作成するためだった[291]
  50. ^ 小林から取材を受けた警視庁OBは、1961年(昭和36年)から1962年(昭和37年)ごろは60年安保の後遺症から、若者の間で警察が不人気だった頃に高度経済成長も重なり、高卒者の求人が殺到していたことや、70年安保に向けて警察官の増員が求められていたことから、採用に当たっては質より人数が優先されたという可能性を指摘している[301]
  51. ^ 中国管区警察局長の鈴木達也は、大都市圏(首都圏や関西圏など)は警察官の需要の高さに反してなり手が少なく、地方出身者を多数採用する傾向にある一方、警察官の間では都会志向はあまり強くないため、優秀な地方出身者の多くは地元に残り、それより劣る者が大都市圏で警察官として就職し、「田舎者」としてのコンプレックス由来のストレスを抱えたり、周囲に知人がいないことで誘惑に弱くなったりすることで不祥事を起こす、という旨を指摘し、「地方出身者の指導は特に配慮が必要」と指摘している[302]
  52. ^ 刑事に不祥事を起こした者が少ない理由について、元近畿管区警察学校講師の板谷多一は「刑事は世間の裏表を知り尽くしており、上からの締め付けも厳しいため、人間的にできていないと務まらない。また、自分が逮捕して刑務所に送った者の家族がどれほどつらい目に遭っているかも知っているからだ」という旨を指摘している[303]

出典

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    • 主文
      1. 被告は、原告に対し、1万円及びこれに対する平成26年9月25日から支払い済まで年5分の割合による金員を支払え。
      2. 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
      3. 訴訟費用は、これを300分し、その299を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
    • 裁判官:清水知恵子(裁判長)・進藤壮一郎・池田美樹子
    • 訴訟代理人弁護士:大野鉄平・赤羽悠一・若林亮
    • 被告:国(代表者:法務大臣)
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  93. ^ a b c 『読売新聞』1978年7月23日東京朝刊第14版第一社会面23頁「【京都】巡査部長が短銃“拾う” 西陣署盗難、事情に不審」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号811頁。
  94. ^ a b 『京都新聞』1978年7月24日夕刊第16版一面1頁「広田巡査部長を逮捕 西陣署けん銃盗難事件 潔白、証明できず 核心黙秘 犯行は否認 異動で不満、報復?」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号761頁。
  95. ^ 『京都新聞』1978年7月25日朝刊第16版第一社会面19頁「西陣署けん銃盗難事件 広田、否認のまま送検 府警 懲戒免職処分に」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号811頁。
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  97. ^ a b c d e 『京都新聞』1978年8月17日夕刊第6版一面1頁「ピストル窃盗 郵便局強盗 広田元巡査部長を起訴 発砲事件も追送検 「金を奪うつもり」 広田自供」「佃本部長が辞任 後任に相川氏 竹林刑務部長を戒告 国家公安委」「西陣署長ら減給処分」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)8月号509頁。
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