五千円紙幣
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現在発行されている五千円紙幣は、2004年(平成16年)から発行されている樋口一葉の肖像のE号券である。
この他にかつて発行されたC号券とD号券があり、これまでに発行された五千円紙幣は全部で3種類存在する。いずれも法律上有効である[1]。
C号券
1957年(昭和32年)9月17日の大蔵省告示第200号「昭和三十二年十月一日から発行する日本銀行券五千円の様式を定める件」[2]で紙幣の様式が定められている。主な仕様は下記の通り[3]。
- 日本銀行券
- 額面 五千円(5,000円)
- 表面 聖徳太子[2]
- 裏面 日本銀行本店本館
- 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉発券局長
- 銘板 大蔵省印刷局製造
- 記番号仕様
- 記番号色 黒色
- 記番号構成 記号:英字1 - 2文字+通し番号:数字6桁+記号:英字1文字
- 寸法 縦80mm、横169mm[2]
- 製造実績
- 発行開始日 1957年(昭和32年)10月1日[2]
- 支払停止日 1986年(昭和61年)1月4日[1]
- 有効券
1953年(昭和28年)にB壱万円券の発行方針が公表されるも、当時は通貨インフレーション発生に対する警戒感が非常に根強く一旦は断念していた[5]。1955年(昭和30年)頃から神武景気と呼ばれる飛躍的な経済成長が続き、当時の最高額面のB千円券が紙幣発行高の85%を占めるようになった[6]。やがて経済成長と共に国内経済が安定しかつてのようなインフレーションの心配もほぼなくなり、更なる高額紙幣発行の反対意見も収まりを見せたことから改めて一万円紙幣と五千円紙幣の発行が決定された[6]。依然としてインフレーションや釣銭の扱い等を懸念する声があることも踏まえ、当初は一万円紙幣(C一万円券)を先に発行予定であったところ、様子を見ながら五千円紙幣から順に発行することとなった[6]。
C一万円券よりもこちらの方が1年ほど先に発行されているため、初の五千円紙幣としてC五千円券の発行が開始された時点では最高額面の紙幣であった。発行開始当時の大卒初任給が1万3000円程度ということもあり、当時はこのような高額紙幣は発行する必要があるのかという議論がなされ、小銭を扱う業種では釣銭への対応が難しいといった高額紙幣に対する不安があったが[7]、折しも高度経済成長が始まった時期でもあり高度経済成長の進展とともに順調に流通量が増えていった。
B千円券やC一万円券と同じく肖像は聖徳太子であるが、これらの紙幣との識別性向上のため聖徳太子の肖像は表面中央に描かれている。聖徳太子の肖像については、同じ原画を基にしているものの各券種で別に彫刻されたものであるためそれぞれ表情が僅かに異なっている[6]。裏面中央には東京都中央区にある日本銀行本店本館が描かれているが、かつて甲百圓券に描かれた際とは構図が異なり、さらに甲百圓券発行当時はまだ存在しなかった日本銀行本店3号館[注 1]も本館の東側(右奥)に隣接して描かれている[6]。裏面右側には積み上げられた6箱の千両箱の上に立つ2頭の獅子(ライオン)が日本銀行行章を掲げ持つ図柄が描かれているが、これは日本銀行本店の扉や門などに彫刻されている紋章と同じものである[6]。なおB号券からE号券までの各券種では題号の「日本銀行券」、漢字表記の額面金額、銀行名の「日本銀行」といった各種文言は表面の中央か左側に纏めて3行構成で表記されているが、C五千円券に限ってはそれぞれ離れた場所に記載されている。大型の寸法の券面のため、記番号は4ヶ所に印刷されている[6][注 2]。
透かしも聖徳太子の肖像であるが、笏を持たない姿を描いている点で表面中央に印刷された肖像と異なっている。B号券以前の透かしよりも精緻で明瞭となったほか、B号券とは異なりその部分には印刷がされていないためこれを容易に確認できる[6]。更に左側の地模様の印刷と重なる部分にも「5000」の数字の透かしが入れられている[6]。乙五圓券以来の透かしの図柄が人物画で、透かし部分が空白となっている紙幣である[6]。紙幣用紙は三椏などを原料とするものであるが、洗濯機の普及により誤って洗濯機にかけられて紙幣が損傷するなどの事象が多発したため、用紙の強化を目的に尿素樹脂が添加されている[8]。
B号券では製造効率の向上のためにB五十円券を除き縦方向の寸法を同じにして、横方向の寸法のみを額面金額が上がるにつれて8mm間隔で長くしていたが[9]、C号券では券種識別性向上のために額面金額が上がるにつれて縦方向に4mm、横方向に5mmずつ長くする形式に変更された[10]。
使用色数は、表面9色(内訳は凹版印刷による主模様2色、地模様5色、印章1色、記番号1色)、裏面5色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様3色、印章1色)となっている[11][3]。新技術である多色凹版印刷が盛り込まれ[6]、凹版印刷による主模様が途中から色の変わる2色刷りとなっている[12]。地模様も印刷色が大幅に増加し、従来の券種と比較すると幾分カラフルな見た目の券面となっている[6]。
沖縄の本土復帰に伴う通貨交換(第五次通貨交換)用の特殊記号券が存在し、記番号の英字の組み合わせのうちいくつか特定のものがこれに当たるがその現存数は非常に少ない。
D号券
1984年(昭和59年)6月25日の大蔵省告示第76号「昭和五十九年十一月一日から発行する日本銀行券壱万円、五千円及び千円の様式を定める件」[13]で紙幣の様式が定められている。主な仕様は下記の通り[3]。
- 日本銀行券
- 額面 五千円(5,000円)
- 表面 新渡戸稲造[13]、太平洋を中心とした地球
- 裏面 富士山(本栖湖に映る逆さ富士)、赤松
- 印章 〈表面〉総裁之印(ミニ改刷後は特殊発光インキ) 〈裏面〉発券局長(ミニ改刷後は特殊発光インキ)
- 銘板 大蔵省印刷局製造/財務省印刷局製造/国立印刷局製造(製造時期により3種類あり)
- 記番号仕様
- 記番号色 黒色/褐色(製造時期により2種類あり)
- 記番号構成 記号:英字1 - 2文字+通し番号:数字6桁+記号:英字1文字
- 視覚障害者用識別マーク 丸印が縦に2つ(透かし・左下隅)
- 寸法 縦76mm、横155mm[13]
- 製造実績
- 発行開始日 1984年(昭和59年)11月1日[13]
- 支払停止日 2007年(平成19年)4月2日[1]
- 有効券
C五千円券の発行開始から20年以上が経過しC号券で使用された紙幣製造技術や偽造防止技術が陳腐化してきたことや、飛躍的な印刷技術の向上を背景に1980年代初め頃から精巧な偽造券が散見されるようになったことから、偽造防止対策強化のためにD号券が発行された[15]。D一万円券、D五千円券、D千円券の3券種同時の改刷であるが[15]、日本銀行券で3券種が同日に改刷されるのは第二次世界大戦以降では初めてである。またこの頃にはATMや両替機、自動販売機(自動券売機)といった紙幣取扱機器も広く普及し始めていたことからこれも念頭に置いたうえで改刷が行われた[15]。
D号券では各額面の人物肖像に文化人が採用された[16]。世界的な傾向として国家元首や政治家だけでなく、文化人も紙幣肖像に採用されるようになったことがD号券で文化人が採用された理由である[16]。五千円券の肖像には女子教育に尽力した教育者の新渡戸稲造が選ばれ、表面右側に肖像が描かれている[17]。新渡戸稲造が慶祝用の白のネクタイを着用しているのは、養女の結婚式に出席した際に妻と共に撮影した写真を原画としたためである[17]。この肖像の原画となった写真では新渡戸稲造が首を傾げているため(新渡戸稲造は首を右側に傾ける癖があった)、首の傾きを修正した上で使用している[17]。額面の下には太平洋を中心とした地球が描かれているが、これは新渡戸の「我、太平洋の架け橋とならん」という言葉に因んだものである[17]。D五千円券を除くD号券およびE号券の紙幣の表面は全てが左側に漢数字で額面金額等の表記、中央に透かし、右側に肖像などの図柄となっているが、D五千円券は額面金額と透かしの位置が入れ替わっている。
裏面中央には本栖湖の湖面に富士山が映る逆さ富士が描かれている[18]。これは現在の山梨県南巨摩郡身延町の本栖湖畔で撮影された岡田紅陽の「湖畔の春」という写真を基にして描かれており[18]、同じ原画はE千円券にも使われている。湖面に富士山が映る光景は年に1、2度しかないといわれる珍しいものである。また左側には赤松の木があしらわれている[18]。なお日本銀行券では日本銀行行章は裏面にのみ入っているものが多い中、このD五千円券は表面の額面金額の文字に重なっている所にも日本銀行行章が入っている数少ない例の一つである。
初期の記番号は黒色で印刷されていた[13]が、1993年(平成5年)12月1日発行分から記番号の色を褐色に変更する[19]とともに、「ミニ改刷」と呼ばれる一部改造券を発行した[20]。従来のデザインはそのままに、追加でマイクロ文字、特殊発光インキ(紫外線照射により発光するインキであり、表面印章「総裁之印」のオレンジ色発光と、裏面印章「発券局長」の赤色発光が確認できる。)等の偽造防止技術が施されている[20]。なおミニ改刷前の黒色記番号は記番号の組み合わせを全部使い切っていなかった。
中央省庁再編及び独立行政法人化に伴う製造者の名称変更に伴い、褐色記番号の紙幣紙幣の製造者名の銘板表記については、当初は「大蔵省印刷局」[13]、2001年(平成13年)5月14日発行分から「財務省印刷局」[21]、2003年(平成15年)7月1日発行分から「国立印刷局」[22]と3度変更されている[20]。
D五千円券の変遷の詳細を整理すると下表の通りとなる。下記の4タイプに分かれる。
発行開始日 | 記番号色 | マイクロ文字 | 印章 | 銘板(製造者名) | 変更理由 |
---|---|---|---|---|---|
1984年(昭和59年)11月1日[13] | 黒色[13] | なし[20] | 特殊発光なし[20] | 大蔵省印刷局製造[13] | |
1993年(平成5年)12月1日[19] | 褐色[19] | あり[20] | 特殊発光あり[20] | 偽造防止力向上のための様式変更(ミニ改刷) | |
2001年(平成13年)5月14日[21] | 財務省印刷局製造[21] | 製造者の組織変更 | |||
2003年(平成15年)7月1日[22] | 国立印刷局製造[22] | 製造者の組織変更 |
透かしは肖像と同じく新渡戸稲造であり、従来よりも大型で白黒の階調のはっきりしたすき入れとなっている[23]。ただし肖像と透かしでは新渡戸稲造の肖像の図柄が左右反転になっている。視覚障害者が触覚で容易に券種を識別できるよう、表面から見て左下隅に識別マークとして点字の「い」を模した「丸印が縦に2つ」透かしにより施されている[23]。透かしによる視覚障害者用識別マークは世界初である[23]。
寸法については前代のC五千円券と比べて縦方向・横方向ともに小型化している[15]。これは世界的な紙幣の小型化の流れに合わせたものであるほか[15]、製造能力の向上や省資源化[24]、機械等での取扱上の利便性などを考慮したものである[25]。同時に改刷されたD号券3券種で比較すると縦方向の寸法は同じで、横方向の寸法のみを額面金額が上がるにつれて5mmずつ長くする形式となっている[15]。なお後に発行されたD二千円券と比較すると横方向は1mmしか違わない。
使用色数は、表面9色(内訳は凹版印刷による主模様2色、地模様5色、印章1色、記番号1色)、裏面4色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様2色、印章1色)となっている[13][3]。複写機やイメージスキャナなどでの色分解を困難にするため、なるべく原色を避け中間色を多用した印刷となっている[26]。
余談
当初、大蔵省は女性を採用することで、清新さをアピールするつもりで紫式部・清少納言・与謝野晶子・樋口一葉らを候補に挙げていた。しかし紫式部と清少納言は写真が存在せず、与謝野晶子は反戦歌を作ったことと孫が当時の国会議員である与謝野馨であること、樋口一葉は短命であったことがマイナス材料となり結局見送られた(後述するように樋口一葉はE号券で採用)。最終的に人選が決まったのは1980年(昭和55年)6月のことで、東京女子大学の初代学長で女子教育に力を入れた新渡戸稲造が採用されることとなった。なお当時の鈴木善幸首相の出身地は新渡戸と同じ岩手県である[27]。
注釈
- ^ 日本銀行本店3号館は1938年(昭和13年)建築。
- ^ B号券以降の日本銀行券の中で記番号が4ヶ所に印刷されている紙幣は、この紙幣とC一万円券のみである。
- ^ 改造紙幣には神功皇后の肖像が描かれていたが、これは日本銀行券ではなく政府紙幣であった。また、二千円券の裏面には紫式部が描かれているが、これは肖像画ではない。
- ^ マイクロ文字、特殊発光インキ、深凹版印刷、潜像模様、パールインク等。
- ^ このほか、E一万円券は「左下隅L字・右下隅逆L字」、D二千円券は点字の「に」を模した「丸印が縦に3つ」、E千円券は「横棒」の識別マークである。
- ^ B号券からE号券までの紙幣では全券種ともに製造番号の両端の英字が各1桁、つまり「A000001A」から始まっていた。「Z900000Z」まで使い果たすと左側の英字だけ「AA」と2桁に変わるが、右端の英字は必ず1桁であったため最終番号は「ZZ900000Z」となり、それを使い果たすと文字色を変更して「A000001A」に戻る形式だった。新紙幣では1桁制が廃止され両端とも初めから2桁の英字、すなわち「AA000001AA」から製造開始される形となった。
出典
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