丸亀市 行政

丸亀市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/15 22:40 UTC 版)

行政

歴代市長

氏名 就任日 退任日 備考
初代 新井哲二 2005年4月24日 2013年4月23日 旧・丸亀市長
2代 梶正治 2013年4月24日 現職

経済

農業
野菜モモハッサクキクなどが主要な生産物となっている。
工業
うちわの生産量は全国の9割を占めているが、機械化により事業所数と従業員数は減少し、市内に残る竹うちわの工房は2017年5月時点でわずか2軒となっている[5]。また、海岸の埋立地は工業団地となっており造船などが行われている。
商業
国道11号さぬき浜街道などの幹線道路沿いに新たな店舗が開き、郊外化が進んでいる。主な商業施設としてゆめタウン丸亀フジグラン丸亀などがある。

姉妹都市・提携都市

姉妹都市
親善都市
友好都市
交流都市
提携都市

地域

郊外の多くはかつて農村であったが、北部と幹線道路沿いは市街化も進んでおり、他の地域も新興住宅地が増えてきている。

市域のうち六郷・南・郡家・垂水の各地区と中心部の西側は旧那珂郡(後に仲多度郡)、それ以外は旧鵜足郡(後に綾歌郡)であった。飯野町、土器町、柞原町、川西町、郡家町、三条町、原田町、垂水町は旧高松藩領。

中心部

旧丸亀藩からの城下町(市井と呼ばれていた)で丸亀市の中心市街。 かつては外堀から内は番丁(外郭)と呼ばれ、一般市民は自由に立ち入りできなかった場所である。

丸亀城(現存天守
丸亀城本丸から見た市街
丸亀市役所
丸亀駅と広場
太助灯篭と京極大橋
通町商店街
風袋町(ふるたいまち)
丸亀藩主京極長門守高朗が当地に敬止堂と呼ばれた学館を設立。一般庶民にも開放し、教育水準の向上に努めた。
瓦町(かわらまち)
城北小学校がある。
小学校の近くに広がる東汐入川緑道公園は外堀(東汐入川)を埋め立てたものである。
葭町(かやまち)
古くは霞町とも書いた。
米屋町(こめやちょう)
松屋町(まつやちょう)
商店街がある。松屋町と通町の間の地域は畳屋町と呼ばれていた。
魚屋町(うおやまち)
宗古町(そうこまち)
西平山町(にしひらやまちょう)
元々は鵜足郡津野郷土居村の一部であったが、築城の際に宇多津の平山から水夫が移住し町となった。
通町(とおりちょう)
通町商店街(全蓋式アーケード街)を持つ。かつては丸亀市のみならず,周辺地域の商業中心地として栄えた。
富屋町(とみやまち)
大手町と丸亀駅を繋ぐ商店街がある。かつては兵庫町と呼ばれていたが、元禄4年に現在の名前に改称された。通町と並ぶ大型の全蓋式アーケード街だったが老朽化に伴いアーケードを撤去している。
浜町(はままち)
西汐入川はこの浜へと流れ込み海水と合流していたという。広場に面して丸亀駅丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、市立図書館などが建つ。浜町の西端は月見町と呼ばれていた。全蓋式アーケード街があるが車が通れる。浜町と浜町ガレリアの二本の商店街がある。
本町(ほんまち)
富屋町と通町を繋ぐ全蓋式アーケード商店街がある。かつては横町とよばれていた。
福島町(ふくしまちょう)
西讃府志によると、かつては中須賀と呼ばれていて塩屋村と地続きの州崎であったという。元禄4年(1691年)3月に浜町との間の堀に掛かった橋を、時の藩主である京極高豊が福島橋と名付けた事から名を改めた。
今も塩飽諸島へと向かう旅客船が出入りする丸亀港フェリーバースがある港町
新町(しんまち)
福島町と浜町の間にある。町域は東西に細長く南北は狭い。かつて福島町の東(現在のみなと公園)で海水と合流していた西汐入川を埋め立てた場所。
塩飽町(しわくまち)
かつては堀側町と呼ばれていた。
南条町(なんじょうまち)
寺院が多く寿覚寺、宗泉寺、本照寺、法音寺などがある。
西讃府志によれば上南條町下南條町に分かれていた。
一番丁(いちばんちょう)
丸亀城がそびえる。
六番丁(ろくばんちょう)
かつて藩に仕える武士が住んだ。城西小学校、丸亀高校がある。
七番丁(しちばんちょう)
かつて藩に仕える武士が住み、今は閑静な宅地となっている。
八番丁(はちばんちょう)
かつて藩に仕える武士が住み、現在は閑静な宅地となっている。
九番丁(くばんちょう)
かつて藩に仕える武士が住み、今は閑静な宅地となっている。
十番丁(じゅうばんちょう)
かつて藩に仕える武士が住み、今は閑静な宅地となっている。十番丁と城南町の境には、近年まで唯一残っていた外堀があったが、現在はここも埋め立てられ公園となっている。
城南町(じょうなんちょう)
城の南方に位置する。旧地方村の一部。
土居町(どいちょう)
旧城下町と土器川の間に位置する農村であったが、宅地化が進んでいる。
旧名は、鵜足郡津野郷土居村で丸亀藩の領地で唯一、鵜足郡に属していた場所である。
城東町(じょうとうちょう)
城の東に位置し、外堀を埋めた道が南北を貫く。旧外堀の中はかつて五番丁と呼ばれ藩に仕える武士が住み、明治に入ると軍用地となった。
御供所町(ごぶしょちょう)
名は古代に讃留王が宇多津で大魚を討った際に、この地から水夫を供した事に由来すると伝わる。
北平山町(きたひらやまちょう)
元は土居村の一部であったが、築城の際に宇多津の平山から水夫が移住し町となった。
北平山、西平山、御供所で三浦という。この三浦には寺院が密集している場所があり、その周辺は寺町とも呼ばれていた。
西本町(にしほんまち)
本町の西にある。旧船頭町
幸町(さいわいちょう)
かつては、丸亀市役所がここにあった。旧地方(じかた)村の一部。
城西町(じょうせいちょう)
城の西方に位置する。城西小学校の西側の地域は鷹匠町と呼ばれていた。
中府町(なかぶちょう)
旧名は那珂郡柞原郷中府村。
旧城下町のすぐ西に位置する。那珂郡の府が在ったといい、元は農村であったが市街化が進んでいる。
かつては南条町のすぐ南側の場所は農人町、農人町の南西側は餌指町、會下天満神社付近は景川町、西中学校の南側は栄町と呼ばれており城下町の一部であった。旧地方村の一部も含まれる。
前塩屋町(まえじおやちょう)
旧地方村の一部。法然上人が掘ったといわれる井戸が正宗寺(光明庵)にある。
大手町(おおてちょう)
重要文化財の丸亀城大手門正面で、藩の頃は家老が住んだ。市役所丸亀市民会館丸亀郵便局簡易裁判所中学校私立学校などが並ぶ。1丁目は銀行や証券、企業のオフィス街で、2丁目は主に市役所や警察署、消防署、県の出先機関などが集まる官公庁街である。3丁目は飲食店やスナック、クラブが集まる歓楽街となっている。
かつては旧外堀のすぐ南側が一番丁、市役所の南端あたりが二番丁、その南側が三番丁、内堀のすぐ北側が四番丁と呼ばれていた。

六郷

1917年6月1日の丸亀市編入以前はほぼ全域が「仲多度郡六郷村」として存在した地区。1890年2月15日町村制施行に伴い、那珂郡今津村・津森村・新田村・塩屋村・上金倉村・下金倉村の6村を併せて六郷村が発足し、その後に丸亀市と合併した。

今津町(いまづちょう)
旧名は那珂郡柞原郷今津村。
城坤小学校がある。
天満町(てんまちょう)
天満天神社が在る。もともとは今津村の小字。今津村天満と呼ばれていた場所である。
津森町(つのもりちょう)
旧名は那珂郡柞原郷津森村。
津森天神神社がある。
津森の語源は、港の警護人(津の守)が住んでいたことによる。との説がある。
河川改修前の金倉川(旧名称は四條川)の河口が、当地にあったらしい。
新田町(しんでんちょう)
塩飽島から移った又右衛門が承応年間(1652年1654年)に開拓し、安政5年(1858年)頃になっても町名を得ず町新田とも丸亀新興とも呼ばれており、今では新田が町名となっている。新田町から金倉町にかけて丸亀市総合運動公園がある。
塩屋町(しおやちょう)
旧名は那珂郡柞原郷塩屋村。旧塩屋村の大部分にあたる。
慶長20年(1615年3月7日播磨国赤穂から人が移り住み塩田を拓いた事を町名の由来とする。塩業は衰えたが、地場産業であるうちわの製造が盛んであり、町工場と宅地が混在している。西本願寺塩屋別院(塩屋御坊)がある。
香川県立丸亀競技場
金倉町(かなくらちょう)
旧名は那珂郡金倉郷上金倉村。その他金倉郷は上金倉、下金倉(中津)、金蔵寺の3村から成る。
金倉川が流れ、香川県立丸亀競技場が在る。
新浜町(しんはまちょう)
旧塩屋村の一部。
大型商業施設や私立高校等がある。福島町とは西汐入川を挟んで西側に位置する。
中津町(なかづちょう)
旧名は那珂郡金倉郷下金倉村。中津の由来は、この地に那珂郡の津があったことによる。
金倉川河口に位置し、浜街道沿いに中津万象園が在る。

1951年4月1日の丸亀市編入以前は原田町を除く全域が「仲多度郡南村」として存在した地区。1890年2月15日町村制施行に伴い、那珂郡田村・山北村・柞原村の3村を併せて南村が発足し、その後丸亀市と合併した。

田村町(たむらちょう)
旧名は那珂郡柞原郷田村。
田村天満宮、城南小学校があり、国道11号周辺等には、郊外型の商業施設が数多く立ち並ぶ。
山北町(やまきた、やまのきたちょう)
山北八幡宮が鎮座する。山北八幡宮はかつて亀山の北に在ったが、丸亀城を築く際に山の南にあるこの地に移った。
丸亀城搦め手口から南へ伸びる道をまたぎ、石造りの鳥居が建つ。
柞原町(くばらちょう)
旧名は那珂郡柞原郷柞原村。
かつては柞木が多かったという。
原田町(はらだちょう)
旧名は那珂郡喜徳郷原田村で、丸亀市に編入される前は善通寺市原田町、金蔵寺町(旧龍川村)の一部であった。
原田町の番地は、善通寺市時代のものがそのまま使われている場所が多い。
小字には下所、三分一(現在は西三分一、東三分一と呼ばれている。)がある。
原田団地(はらだだんち)
原田町東三分一と田村町の間にある。

川西

1954年3月31日の丸亀市編入以前は全域が「綾歌郡川西村」として存在した地区。1890年2月15日町村制施行に伴い、鵜足郡西二(にしふた)村西小川村を併せて川西村が発足し、その後丸亀市と合併した。

土器川の西に位置する。城辰小学校がある。

川西町北(かわにしちょうきた)
旧名は鵜足郡二村郷西二村。
川西町南(かわにしちょうみなみ)
旧名は鵜足郡小川郷西小川村。

土器

丸亀平井美術館
蓬莱橋付近の土器川

1954年5月3日の丸亀市編入以前はほぼ全域が「綾歌郡土器村」として存在した地区。旧名は鵜足郡津野郷土器村。

土器町西(どきちょうにし)
小字には高津、西村、川古などがある。
土器川西岸に位置する農村であったが、宅地化が進んでいる。
土器町東(どきちょうひがし)
土器川東岸からに青ノ山の間に位置する農村であったが、宅地化が進み南北を貫く土器線と呼ばれる道路沿いには新たに建った店舗が多い。青ノ山麓に位置する田潮八幡宮の秋祭りでは、氏子が神輿を担いで土器川に入り暴れる事で知られ、両岸と近くの蓬莱橋を見物人で埋める。また、浜街道沿いに丸亀平井美術館がある。

郡家

1954年10月17日の丸亀市編入以前は全域が「仲多度郡郡家村」として存在した地区。郡家という地名の由来は、当地に那珂郡の郡衙(ぐんが、古代の郡の役所)が存在していたことによる。市内最大の人口を誇る地区で、新興住宅街が建ち並ぶ。県道18号(善通寺府中線)沿いには商店が立ち並ぶ。

郡家町(ぐんげちょう)
旧名は那珂郡郡家郷郡家村。小字には原、大林(おおばい)、田代(でんだい)、八幡、地頭、領家、重元、下所、辻などがある。
郡家小学校や南中学校があり、新興住宅地が数多い地域である。北は柞原町、南は垂水町、東は川西町、西は三条町に接している。
三条町(さんじょうちょう)
旧名は那珂郡喜徳郷三條村。小字には黒嶋(くるしま)、中三条、宮、上三条などがある。三条という地名は、三条町の西側の善通寺市原田町に四条、五条という小地名があることから、古代に当地で施行されていた条里制に由来するものであると思われる。
北は田村町、南は善通寺市与北町、西は善通寺市の原田町、木徳町、東は郡家町に接している。

飯野

1955年5月3日の丸亀市編入以前は全域が「綾歌郡飯野村」の一部として存在した地区。1890年2月15日町村制施行に伴い、鵜足郡東二村・東分村・西分村の3村を併せて飯野村が発足し、その後の大部分が丸亀市と合併した。ただしその際旧飯野村のうち大字東分の一部は宇多津町へ編入され、現在は宇多津町大字東分(鍋谷、津の郷など)となっている。

飯野山山頂から西に広がり、田畑が広がるが宅地化も進んでいる。

飯野町東二(いいのちょうひがしふた)
旧名は鵜足郡二村郷東二村
飯野町東分(いいのちょうひがしぶん)
旧名は鵜足郡津野郷東分村
飯野町西分(いいのちょうにしぶん)
旧名は鵜足郡二村郷西分村

垂水

1958年5月1日の丸亀市編入以前は全域が「仲多度郡垂水村」として存在した地区。

垂水町(たるみちょう)
旧名は那珂郡垂水郷垂水村。
垂水小学校がある。こちらも新興住宅地が増加している。北は川西町南と郡家、南はまんのう町の東高篠と公文、西は善通寺市の与北、東は土器川を挟んで東小川と岡田西に接している。なお、垂水郷は垂水村と公文村で構成されていた。

綾歌町

綾歌町周辺は、古くは鵜足郡栗隈郷と呼ばれていた。

また、鵜足郡の井上郷から岡田の四村が分かれて、岡田郷と呼ばれた。

1890年の自治体成立に伴い、鵜足郡に栗熊村、富熊村、岡田村が成立した。

岡田

岡田上(おかだかみ)
岡田下(おかだしも)
岡田東(おかだひがし)
岡田西(おかだにし)

久万玉

栗熊東(くりくまひがし)
栗熊西(くりくまにし)
綾歌市民総合センター(合併前の綾歌町役場)や総合文化会館アイレックスニューレオマワールドなどがある。
富熊(とみくま)

飯山町

土器川付近から見た讃岐富士

古くは、当地周辺は鵜足郡に属しており、坂本郷、井上郷、小川郷が存在していた。

法勲寺

上法軍寺(かみほうぐんじ)
下法軍寺(しもほうぐんじ)
香川県立飯山高等学校がある。
東小川(ひがしおがわ)

坂本

西坂元(にしさかもと)
真時(さんとき)
川原(かわはら)
飯山市民総合センター(合併前の飯山町役場)がある。
東坂元(ひがしさかもと)

塩飽諸島

塩飽諸島は塩飽島とも呼ばれ、瀬戸内海に浮かぶ大小合わせて28の島々から成り、名の由来は「塩焼く」とも「潮湧く」とも言う。戦国時代には塩飽水軍が活躍し、江戸時代は人名(にんみょう)による自治が行われた。

丸亀市は本島広島手島牛島小手島の五つの有人島と、上真島下真島烏小島白石長島弁天島向島の七つの無人島を市域としている。

埋立地

オークラホテル丸亀
うちわの港ミュージアム

主に昭和に入って埋め立てられた工業地帯。

港町(みなとまち)
港に面した埋立地。うちわの港ミュージアムがあり、福島町との間に港をまたいで青のアーチの京極大橋が架かる。
蓬莱町(ほうらいちょう)
昭和町(しょうわちょう)
昭和42年(1967年)から49年(1974年)にかけて埋め立てられた工業地帯であり、今治造船などが操業している。
富士見町(ふじみちょう)
讃岐富士と呼ばれる飯野山を見られ、丸亀競艇場オークラホテル丸亀などが建つ。

明治頃に埋め立てられた。第一次世界大戦時は軍の演習場だった。

土器町北(どきちょうきた)
土器川河口東に位置し工業地帯となっている。北岸は浜辺で潮干狩りを行える。








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