丸の内
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 01:00 UTC 版)
概要
旧麹町区に当たる麹町地域内である。西は千代田区皇居外苑、北は同区大手町、南は同区有楽町・日比谷、東は中央区(銀座・八重洲)との境界に当たる。およそ皇居外苑と東京駅に挟まれた地区で、北に隣接する大手町や南に隣接する有楽町(日比谷)と共に日本屈指のオフィス街・超高層ビル街として発展し、東京の中心業務地区(CBD)として機能している。大手銀行(メガバンク)の本店や大企業の本社ビルが建ち並び、日本の金融・経済の中心地の一つとなっている。三菱財閥総帥岩崎弥之助率いる「三菱社」が国から払い下げを受けた約10万坪の草地であったことから明治期には「三菱ケ原」と呼ばれ[4]、三菱が広大な荒地をロンドンのシティを模範とした大規模なビジネス街として開発していった[5]。そういった歴史的経緯から三菱グループ(旧三菱財閥)各社の本社が集中し、「三菱村」とも呼ばれている[6][7][8]。特に三菱グループの御三家といわれる三菱UFJ銀行、三菱商事、三菱重工業の本社は全て丸の内に位置している[8]。現在でも三菱地所が丸の内一帯に30棟ものオフィスビルを所有しており、俗に「丸の内の大家」とも言われている[9]。
丸の内一丁目には日本の中央駅である東京駅が位置している。多数の在来線・新幹線の起点となっており、東京を代表するターミナル駅である。 赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したものであり、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されている。丸の内駅舎は太平洋戦争中の東京大空襲により被災したが、2012年に完全に元の姿に復元された。
丸の内二丁目の明治安田生命保険相互会社本社本館(明治生命館)は国の重要文化財に指定されている。帝国劇場(帝劇)もこの地区にある。1991年に新宿区西新宿二丁目に移転するまで東京都庁舎も丸の内に所在していた(都庁跡地は現在の東京国際フォーラム)。都庁の一部があった場所を含め、東海道線の線路の東側にも丸の内に属する部分が一部存在する。
マンションなどの住宅や終夜営業の飲食店・居酒屋や商業施設が殆ど無いため、昼間人口と夜間人口の差が極端なのが特徴[10]。平日昼間はサラリーマンやOLで賑わうが、深夜は行き交う人も疎らである。2000年代初頭までは昼間であっても週末・祝日は閑散としていたが、低層部に商業店舗が多く入居する丸の内ビルディング(丸ビル)が2002年に完成して以降は再開発が進み[11]、平日夜の早い時間帯や休日の人通りが大幅に増えた。サラリーマン関係のニュースが報道される際、東京駅丸の内北口から多くのサラリーマンが歩いているニュース映像が流れることが多い。朝の気象情報では東京駅近辺の映像が流れるが、これは住友不動産丸の内ビルから撮影しているものである。
山手線西側の新宿副都心(西新宿)などが台頭し、1997年8月3日に「漂流するオフィスビル超一等地――黄昏の街、丸の内」という特集が『日本経済新聞』夕刊9面[12]で報じられるなど、かつては地盤沈下が指摘された。2000年代に入ってからは上記のように丸ビルなど老朽化したビルの建て替えや、地区の中心を南北に通る丸の内仲通りにある高層ビルの低層階に高級ブランドや飲食店を誘致するなど商業機能を強化し、三菱地所主導の再開発で盛り返している[注釈 1]。また東日本旅客鉄道(JR東日本)主導で東京駅も東京ステーションシティとして再開発を行なっており、地下にある駅ナカ商業施設が充実している。
三菱地所の調査によると、再開発に伴い丸の内では、店舗数が約280店(2001年)→約870店(2017年)、土日の訪問者数は約4万6000人(2002年)→約11万4000人(2016年)と大幅に増えた。ビルの建て替えや店舗の増加で街全体の魅力が高まり、企業の転入・回帰も進んだ。2014年時点の事業所数は約4300(1996年比で1.2倍)、従業員総数は約28万人(同5万人増)となった[13]。
大手町・丸の内・有楽町をあわせて、大丸有とも呼ばれる。無料巡回バスである丸の内シャトルが本地区を中心に、大手町地区から有楽町地区までの範囲を周回している。
千代田 | 大手町 | |||
皇居外苑 | 八重洲 京橋 | |||
丸の内 | ||||
有楽町 | 銀座 |
注釈
出典
- ^ a b “町丁別世帯数および人口(住民基本台帳)”. 千代田区 (2024年3月13日). 2024年3月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月2日閲覧。
- ^ “三菱ケ原の美人死体(下)被害者と元俳優の意外な接点”. 産経新聞 (2015年8月29日). 2020年10月1日閲覧。
- ^ “3:丸の内の『一丁倫敦』 ~ 丸の内・大手町 | このまちアーカイブス | 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産”. smtrc.jp. 2022年1月9日閲覧。
- ^ “丸の内に「三菱村」復活 重工が本社機能再び”. 日本経済新聞 (2016年10月31日). 2024年3月5日閲覧。
- ^ “東京駅と丸の内、「師弟」で築いた赤レンガの街”. 東洋経済オンライン (2020年1月26日). 2024年3月5日閲覧。
- ^ a b “三菱重工が16年ぶり里帰り、丸の内で改革総仕上げ”. 日本経済新聞 (2018年11月19日). 2024年3月5日閲覧。
- ^ “三菱地所、「丸の内の大家」は凄みを増す”. 日本経済新聞 (2017年2月16日). 2022年1月9日閲覧。
- ^ a b c 大手町・丸の内・有楽町・永田町地域の歴史・概況 (PDF)
- ^ a b c d e f g h i “3分で分かる「丸の内の歴史」”. Youtube (2015年). 2021年5月24日閲覧。
- ^ 漂流するオフィスビル超一等地――黄昏の街、丸の内[リンク切れ]
- ^ “丸ビル15年、丸の内一変/立地花マル、高まる活気/銀行統廃合、跡地に飲食・ブランド店”. 『朝日新聞』夕刊. (2017年9月6日) 2020年10月1日閲覧。
- ^ 「新語も八重ブラ」『日本経済新聞』昭和30年1月21日
- ^ 三菱地所『丸の内百年の歩み 三菱地所社史下巻』1993年3月6日、102-103頁。
- ^ 同年2月2日、自治省告示第22号「住居表示が実施された件」
- ^ “区立小学校の通学区域”. 千代田区 (2017年8月17日). 2018年1月2日閲覧。
- ^ “区立中学校の通学区域と学校選択”. 千代田区 (2017年10月26日). 2018年1月2日閲覧。
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