中華人民共和国主席 概要

中華人民共和国主席

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 02:59 UTC 版)

概要

1949年10月1日の中華人民共和国建国当初、元首の職権を行使したのは中央人民政府委員会であった[2]。同委員会は、対外的には中国を代表し、対内的に国家政権を指導する機関と定められ(中華人民共和國中央人民政府組織法第4条)、条約の批准や政務院総理(首相)の任免、大赦・特赦の発布、などの権限を有した(組織法第7条)。

9月30日中国人民政治協商会議第1回全体会議において毛沢東中央人民政府主席に選出され[3][4]、翌10月1日に就任した[4]。中央人民政府主席の権限は「中央人民政府委員会の会議を主宰し、併せて中央人民政府委員会の活動を指導する」(組織法第8条)と定められていた。

1954年9月20日中華人民共和国憲法が制定され、国家代表として中華人民共和国主席が設置された。9月27日、毛沢東が改めて初代国家主席に就任した。

毛沢東や劉少奇の時代の国家主席は、最高国務会議国防委員会の議長、国政の最高責任者として位置づけられていた。しかし、文化大革命において現職国家主席である劉少奇が打倒の目標とされ、中国共産党内外からの非難と糾弾の末に解任された。それ以降、国家主席は空席となり、国家副主席が職務を代行した。1970年3月に毛沢東が国家主席の廃止を提案し(国家主席の廃止も参照)、1975年1月の憲法改正によって国家主席は廃止された。

国家主席廃止後、その職権は中国共産党中央委員会主席党首)と全国人民代表大会常務委員会(国会議長)に委譲され[注 2]、全人代常務委員会が集団で元首機能を有した。1978年の憲法改正では、全人代常務委員長が法律の公布や国家の栄誉称号の授与を行い、対外的な元首機能を行使することが定められた。

鄧小平時代の1982年に制定された憲法によって、国家主席は儀礼的国家代表として再設置された。再設置当初の国家主席は、全人代常務委員長や全国政治協商会議主席と同様に、かつて鄧小平の同輩であった中国共産党・中国人民解放軍の長老を礼遇するための名誉職として用いられた。1989年第二次天安門事件に際して党内の対応が分裂したとき、李鵬国務院総理(首相)の権限において戒厳令を発動させたことは、政局に大きな影響を与えた。

1993年楊尚昆が退任すると、中国共産党中央委員会総書記党中央軍事委員会主席江沢民が国家主席に就任した。それ以降、中国共産党の最高指導者が総書記・国家主席・中央軍事委員会主席を兼任して党・国家・軍のトップを独占し、権力を集中する状況が続いている。

そのため江沢民以前は、国家主席ですら就任する人物によってはソビエト連邦最高会議幹部会議長のように半ば名誉職と化していた一方、鄧小平最高実力者であるなど、地位と実権が必ずしも一致しなかった。


注釈

  1. ^ 1949年から1975年までの英語表記は「Chairman of the People's Republic of China」だったが、1982年よりchairmanからpresidentに変更された。
  2. ^ 1975年の憲法改正では、中国共産党中央委員会主席が軍の統帥権を保有し、国務院総理以下、国務院の構成員の任免を決定すること、全人代常務委員会が外交使節の接受、海外駐在全権代表の派遣・召還、条約の批准および廃棄などを行うことが規定された。
  3. ^ 1949年の中華人民共和国建国の際、最高軍事指導機関として設置された中央人民政府人民革命軍事委員会が、1954年の憲法制定によって改組され、国防委員会が成立した。1975年の憲法改正で廃止。
  4. ^ 1954年憲法第27条第6項では、「国家主席が国防委員会副主席および委員を指名し、全人代が選出する」と定められていた。
  5. ^ 国家主席・国家副主席・全人代常務委員長(国会議長に相当)・国務院総理、およびその他の人員で構成。国家主席が必要と認めた場合に招集される。1975年の憲法改正で廃止。
  6. ^ 2004年の憲法改正で国家主席の職権から「戒厳令の発布」が削除された。
  7. ^ 2004年の憲法改正で「国事活動の遂行」が国家主席の職権に追加された。これは「元首外交」を活性化させるためであり、また国家主席の憲法的地位が高められたと解釈されている。土屋英雄「{{{1}}} (PDF) 」『レファレンス』国立国会図書館、644号、2004年9月、79-80ページ。
  8. ^ 孫文の夫人

出典

  1. ^ a b 中国全人代、主席任期の制限撤廃=習氏の長期政権可能に-99.8%賛成で憲法改正”. 時事通信 (2018年3月11日). 2020年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月10日閲覧。
  2. ^ 江(2012年6月)、144ページ。
  3. ^ 中国人民政协第一届全体会议胜利闭幕 毛泽东当选中央人民政府主席 朱德刘少奇宋庆龄李济深张澜高岗当选副主席 中央人民政府委员会委员五十六人亦已选出」『人民日報』1949年10月1日第1版
  4. ^ a b 第一届政协大事记1949年
  5. ^ 1954年憲法第42条。
  6. ^ 1954年憲法第43条。





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