中島敏次郎 中島敏次郎の概要

中島敏次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/19 07:00 UTC 版)

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人物

東京都港区生まれ[要出典]中島房吉、中島静子の間の4人兄弟の二男として生まれる[要出典]旧制第一高等学校東京大学法学部を卒業し、1948年に外務省入省[要出典]中国、北京に在中国日本国特命全権大使として在留中に六四天安門事件が起こり、中国にいた邦人を無事国外に避難させた[要出典]

婚外子相続差別訴訟の1995年7月5日の最高裁大法廷の判決では民法の婚外子相続差別規定を合憲とする多数意見に対して、違憲とする少数意見を表明した。

経歴

  • 1948年 外務省入省
  • 1976年 条約局長
  • 1977年 北米局長(条約局長と併任)
  • 1980年 駐シンガポール大使
  • 1982年 外務審議官
  • 1984年 駐オーストラリア大使
  • 1987年 駐中国大使
  • 1990年 最高裁判所判事
  • 1995年9月 退官
  • 1995年10月 弁護士登録[2]
  • 1996年 国際法協会(ロンドン所在)日本支部副会長、財団法人日商岩井国際財団評議員
  • 1997年 国際常設仲裁裁判所(ハーグ所在)裁判官任官
  • 1998年 長野五輪におけるスポーツ仲裁裁判所(アドホック仲裁部)名誉委員
  • 2000年 皇室参与、国際投資紛争解決センター(ICSID)調停員
  • 2001年 社団法人日本スカッシュ協会会長
  • 2002年 社団法人日本スカッシュ協会名誉会長(2008年6月まで)
  • 2006年 財団法人三菱銀行国際財団理事(2008年3月まで)
  • 2007年 財団法人国際開発センター評議員
  • 2011年12月13日 心不全のため自宅にて死去。86歳没[3]

参考書籍



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