中山千夏 中山千夏の概要

中山千夏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 02:33 UTC 版)

なかやま ちなつ
中山 千夏
本名 同じ
生年月日 (1948-07-13) 1948年7月13日(75歳)
出生地 熊本県山鹿市
国籍 日本
職業 女優歌手声優タレント
作詞家小説家参議院議員
活動期間 1955年 - 2000年代
活動内容 映画テレビ番組
主な作品
映画
がめつい奴
テレビ番組
やりくりアパート
お昼のワイドショー』 他
声優
ひょっこりひょうたん島
じゃりン子チエ
備考
子役出身。
参議院議員1980年 - 1986年
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略歴

1948年熊本県山鹿市生まれ[3]。のち宮崎に、更に4歳時には大阪府布施市(現・東大阪市)に転居。芸術座での『がめつい奴』(三益愛子主演)に出演、一躍「名子役」として脚光を浴び、芸能活動の便宜上、小学5年生の時に東京へ転居し、中央区立泰明小学校に転入する。以来、女優として舞台、テレビ、ラジオで活躍。

芸能活動の傍ら、中央区立明石中学校(現・中央区立銀座中学校)を経て麹町学園女子高等学校卒業。ロシア文学専攻を志望し、1966(1967?)年に上智大学を受験したが失敗[4]。成人すると共に活動分野が広がり、テレビタレント、歌手として、また数多くのエッセイ小説の作家として活動した。

さらに1970年代、時の女性解放運動ウーマン・リブ)に参画した後、反差別反戦などの市民運動に取り組み、1980年には参議院選挙に出馬して当選、1期を務めた。その後は著作活動のかたわら、人権や反戦の市民運動を続けている。

作曲家の佐藤允彦 と1971年結婚、1978年離婚。

俳優

小学1年生の1955年4月[5]、当時居住していた大阪府で、初めてできた児童劇団「劇団ともだち劇場」に入り、泉田行夫の元で3年間学ぶ。その傍らラジオ、映画、またその間に開始した民放テレビに出演。小学校3年の時、開局直後の大阪テレビ放送の子供番組「少年探偵団シリーズ」に出演した。花登筺の「仲良し探題団」「やりくりアパート」に出演し、1958年に花登が結成した劇団「波の会」に参加[6]

小学5年生の1959年2月[7]梅田コマ劇場『母』(川口松太郎作・演出)に出演しているのを菊田一夫に注目される。1959年4月「波の会」から大宝芸能に所属を移す。1959年9月に上京し[8]、東京・芸術座での菊田作・演出による『がめつい奴』に抜擢、「名子役」として一躍脚光を浴びた。(その役名から以降業界では<テコ>の愛称で呼ばれるようになる。) 当時、テレビコメディ「やりくりアパート」に出演していた中山を、東宝が強引にひきぬいたため、花登筺と東宝が決裂した。1960年1月、大宝芸能から東宝演劇部に移る[9]。1960年10月から1961年3月、芸術座『がしんたれ』では、菊田一夫の少年時代を演じた[10]

以後、東宝演劇部の専属俳優として舞台に出続けるかたわら、テレビやラジオでも活動した。主演テレビドラマでは、子役時代の『少年探偵シリーズ』(大阪テレビ放送)、『虹の国から』(TBS制作)、成人後の『恋人はLサイズ』(フジテレビ制作)、『お荷物小荷物』(ABC制作、佐々木守脚本)などがある。

テレビタレント

高校を卒業した翌年の1968年5月に東宝から独立して、フリーとなる[11]。同時に活動の場をテレビに移した。1968年から1976年までの8年間、『お昼のワイドショー』(日本テレビ)の司会を務め、アシスタントながら自己主張や個性を惜しげもなく現した。同時にテレビドラマで主演。歌手としてもヒットを飛ばし、雑誌にエッセイを連載。単行本を次々と出版。芸能界でも「この道一筋」が一般的だった時代に、その多彩な活動からマルチタレント、才女などと呼ばれた。

テレビメディアに疑問を抱き、『お荷物小荷物・カムイ編』(ABC制作、1971年12月〜72年4月)撮影終了後の打ち上げで、テレビドラマには以後 出演しないことを宣言した。『お昼のワイドショー』を降板した1976年以降は『じゃりン子チエ』等の声優活動以外、タレントとしてのテレビ出演をセミリタイアした。

2005年1月、おんな組いのちの活動の一環として開始したトーク番組『痛快! おんな組』(朝日ニュースター)のレギュラーコメンテーターとして、月一回 出演した。


注釈

  1. ^ デュエット:大野進
  2. ^ オープニング ナレーションを内藤武敏と共に担当。
  3. ^ 作品 前半のオープニング ナレーションを担当したが参議院議員選挙 出馬の為に降板。以降は春やすこが担当。

出典

  1. ^ 1948年”. www2.nhk.or.jp. nhk. 2023年2月10日閲覧。
  2. ^ 7月13日”. prtimes.jp. prtimes.jp. 2023年2月10日閲覧。
  3. ^ 日外アソシエーツ編集部『日記書簡集解題目録: 作家・芸術家』376頁。
  4. ^ 中山千夏『芸能人の帽子』66-67頁。
  5. ^ 『幸子さんと私』P.92X
  6. ^ 『幸子さんと私』P.92X
  7. ^ 『幸子さんと私』P.93
  8. ^ 『幸子さんと私』P.94
  9. ^ 『幸子さんと私』P.94
  10. ^ 「千夏千記-私の人間食べ歩き」より
  11. ^ 『幸子さんと私』P.95
  12. ^ 幻の歌謡アニメついに発掘! その6、WEBアニメスタイル、2007年8月22日。
  13. ^ a b あの幻の「まんがNo.1」が今蘇る!?、赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!、2006年9月26日。
  14. ^ 当時のアフレコの苦労話も飛び出した『じゃりん子チエTV版』舞台挨拶|京都国際映画祭2018 -映画もアートもその他もぜんぶ-
  15. ^ 桑折勇一『ノーサイド 成田闘争』崙書房、2013年12月20日。 
  16. ^ 中山の持論
  17. ^ ポップ・カルチャー・アワード
  18. ^ 週刊金曜日の「読者」に対しての見解
  19. ^ 中山の持論 中山は象徴天皇制天皇制廃止論は矛盾しないという持論を述べた
  20. ^ かば : 作品情報”. 映画.com. 2021年6月5日閲覧。
  21. ^ 第93回 セッションを聴くように 〜パンダコパンダ〜 - WEBアニメスタイル「サントラ千夜一夜」(2016年11月8日)


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