中央区 (東京都)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/25 14:38 UTC 版)

ちゅうおうく 中央区 | |||||
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国 |
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地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 東京都 | ||||
市町村コード | 13102-4 | ||||
法人番号 |
8000020131024 ![]() | ||||
面積 |
10.21km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
173,013人 [編集] (推計人口、2022年12月1日) | ||||
人口密度 | 16,945人/km2 | ||||
隣接自治体 | 千代田区、港区、台東区、墨田区、江東区 | ||||
区の木 | やなぎ | ||||
区の花 | つつじ(さつきを含む) | ||||
区歌 | 「わがまち」https://sp.uta-net.com/movie/248462/ | ||||
中央区役所 | |||||
区長 | 山本泰人 | ||||
所在地 |
〒104-8404 東京都中央区築地一丁目1番1号 北緯35度40分14秒 東経139度46分19秒 / 北緯35.67058度 東経139.77197度座標: 北緯35度40分14秒 東経139度46分19秒 / 北緯35.67058度 東経139.77197度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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ウィキプロジェクト |
概要
第二次世界大戦後の1947年に旧日本橋区と旧京橋区が合併して誕生した。江戸の日本橋が五街道起点となったように江戸時代から栄え、銀座などのほかにも八重洲・京橋、築地などの歴史ある街を擁する。高度経済成長期からバブル崩壊後にかけては住宅が商業ビルに置き換わり、1997年には人口が過去最少の7万2090人まで減ったが、21世紀初頭にかけて超高層マンション(タワーマンション)が[3]月島、佃、勝どき、晴海といった東京湾臨海部(ウォーターフロント)などで林立し、都心回帰が進んで近年は人口が急激に増加している[4]。中央区は2027年に20万人を超えると予測している[3]。
河川の水面等が市街化調整区域であることを除き、区内は全域が市街化区域である。区内の77パーセント以上が商業地域に指定され、月島地区に準工業地域が、第一種住居地域や第二種住居地域が明石町や月島地区に存在する。
都心であるとともに、江戸城(現在の皇居、千代田区)の東側に位置するいわゆる「城東」エリア[5]の西端でもあり、江戸時代から続く下町(町人町)エリアと臨海部の埋立地エリアで構成される。現存する全国の地名で「中央」を最初に使用したはしりが当区である。面積は、東京特別区23区の中で、台東区に次いで2番目に小さい。人口は千代田区に次いで2番目に少ない。
日本橋は、新宿や渋谷など鉄道ターミナル駅開業後に発展した街と異なり、江戸時代初期からの歴史と伝統を持つ。当地は五街道の起点であり、日本橋本町を含む一部地域は江戸時代には「江戸本町」と呼ばれる江戸で最初に整備された街であり、江戸の町人文化や経済・金融の中心地として栄えた。江戸時代から金貨幣の発行機関である金座や数多くの両替商が存在した名残から[6]、現在では日本銀行本店や東京証券取引所などの日本経済にとって重要な金融インフラが所在するとともに、大手製薬会社やその他多くの大企業の本社が位置する金融街・ビジネス街であり、千代田区の丸の内・大手町などとともに日本の金融・経済の中心地(中心業務地区、CBD)の一つである。日本橋室町に所在する三越日本橋本店は江戸時代から日本橋に店を構える呉服店の三井越後屋を起源とし、日本で最初の百貨店として知られる。三越は三井財閥(現在の三井グループ)のルーツと言われ、三井本館など日本橋には旧三井財閥の本拠地が置かれた。歴史的経緯から日本橋は通称「三井村」と言われ[7]、三井不動産が多くの複合商業ビルを所有・運営管理している。
旧京橋区の中心地域である銀座は、高級ブランド店、高級時計専門店、高級クラブ、高級バー、高級料亭、歌舞伎座などが集積する都心屈指の繁華街であり、ブランド街として国内外で高い知名度を誇る。目抜通りの中央通りと晴海通りが交差する銀座四丁目交差点付近は銀座の中心地であり、商業地として地価が日本一高い場所としても知られている[8]。江戸時代に設立された銀貨幣の鋳造所(銀座)が地名の由来であり、日本橋とともに江戸時代から続く老舗が多い。
文化的には、同じ江戸城の大曲輪、外堀の内側のエリアを共有する千代田区(旧麹町区・旧神田区)とは密接な関係にある。神田神社や日枝神社など共通の氏子地域の神社での地域間交流、共通の地区名などの共通点が多い。
人口
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中央区と全国の年齢別人口分布(2005年) | 中央区の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 中央区
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
中央区(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
人口
2005年の夜間人口(居住者)は98,220人であるが、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内残留人口の合計である昼間人口は647,733人で、比率は6.595倍であった[9]が、その後の夜間人口の増加および昼間人口の減少により、2010年における比率は約4.94倍にまで縮まっている(夜間人口122,762人、昼間人口605,926人[10])。2020年4月1日現在、夜間人口(居住者)は169,629人まで増加している。
第二次世界大戦後よりドーナツ化現象(郊外化)の影響で人口の減少傾向が続いていたが、バブル崩壊以降の都心地価の下落で都心回帰の流れが進み、臨海部での大規模マンションの開発や、都心部における都市再開発における住宅増により、定住人口は反転増加傾向にある。2013年4月に定住人口13万人を1967年以来46年ぶりに達し、2017年1月には15万人に達した。日本橋や銀座などの繁華街やオフィス街を複数抱えるため、昼間人口は60.6万人に達する。また、商業地域としての特徴が強く、建物はビル(オフィスビル)が目立ち、住宅としてはマンション(超高層マンションや公営住宅も)や団地などの集合住宅が大半を占め、低層住宅の一戸建てやアパート(長屋も)などはかなり少ない(南部の佃や月島付近に点在するのみ)。
1990年代より、臨海部では50階超のタワーマンションが複数建築されているほか、晴海地区では2020年東京オリンピックパラリンピック競技大会用の選手村を、HARUMI FLAGという名称のマンションとして開発している。
- ^ 『平成13年度~平成14年度 プログラム評価書 都心居住の推進~良好な居住環境の形成~』(国土交通省、平成15年3月)序-3
- ^ 「東京都中央区の人口、70年ぶりに最多更新 17万4千人を突破」朝日新聞デジタル(2023年1月5日)2023年1月17日閲覧
- ^ a b 「中央区人口 最多17万4074人 高層マンション増加 70年ぶり更新」『読売新聞』朝刊2023年1月14日(都民面)
- ^ “中央区人口ビジョン -人口動向分析及び将来人口推計の概要-”. 中央区. 2021年11月15日閲覧。
- ^ “litera news | » 城東・城西・城南・城北エリアとは、都心3区・5区とは?”. www.litera-properties.com. 2022年10月13日閲覧。
- ^ “江戸、造幣の歴史に思いをはせて――日本橋に登場したジャパニーズレストラン「KINZA」の魅力” (日本語). アーバン ライフ メトロ. 2022年10月3日閲覧。
- ^ ““三井村”に野村不動産が殴りこみ!日本橋再開発で火花” (日本語). ダイヤモンド・オンライン (2010年10月28日). 2022年9月24日閲覧。
- ^ “銀座4丁目交差点 | 東京とりっぷ” (日本語). tokyo-trip.org (2017年1月31日). 2022年10月3日閲覧。
- ^ 東京都編『東京都の昼間人口2005』(2008年)pp.120-121。※国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含め、昼・夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に含まれていないため誤差が生じる。
- ^ 平成22年 東京都の昼間人口 - 東京都
- ^ 「ゼロカーボンシティ中央区宣言」について 3月30日 中央区役所(2021年3月31日)2021年4月10日閲覧
- ^ 日本経済新聞社・日経BP社. “墨田区と隅田川、「すみ」の表記なぜ違う? 23区に幻の区名|ライフコラム|NIKKEI STYLE” (日本語). NIKKEI STYLE. 2021年4月1日閲覧。
- ^ 東京都選挙管理委員会 | 都内選挙スケジュール | 任期満了日(定数)一覧 Archived 2015年11月19日, at the Wayback Machine.
- ^ “東京港のシンボル・晴海客船ターミナルが閉館 31年の歴史に幕 特撮やドラマのロケ地に”. ORICON NEWS. 2022年2月22日閲覧。
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