中原誠 人物・エピソード

中原誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 05:04 UTC 版)

人物・エピソード

現役のまま永世称号を名乗る

1994年、当時の肩書きであった「前名人」を失う際、それまでの実績からして「九段」とは呼べないということで、特例で「十六世名人」を現役のうちから襲位させるかどうか話し合いが行われた。その結果、十六世襲位は見送られたが、代わりに「永世十段」を名乗ることで落ち着いた。

2007年9月2日、還暦を迎えたことにより、規定により「名誉王座」も名乗る。

2007年11月17日(将棋の日)、永世名人資格を取得して30年が経過したのを機に、また、森内俊之が十八世名人の資格を得たことや引退の期日(規定による)をあと数年に控えていることもあり、理事会が十六世名人襲位を提案し本人が了承。前倒しで現役のまま襲位した[注釈 15]。1993年に無冠となってから、実に14年後のことであった。

2008年4月1日、60歳となってからの新しい年度を迎えた際には新たに「永世棋聖」「永世王位」を名乗ることとなった。永世王位を名乗る棋士は中原が初めて。

なお、十六世名人襲位後の公式戦は、襲位翌年に病気休場で引退したため、16局8勝8敗(この他、休場不戦敗で5敗)に終わったが、名人在位者との対局は、2007年度が森内俊之名人、2008年度は羽生善治名人が各1局行われ、いずれも中原が十六世名人としての勝利を挙げている。

会長として

二上達也の後を受けて2003年より日本将棋連盟会長を1期務めたが、2005年会長職を米長邦雄に譲り、自らは副会長に就いた。2007年5月の棋士総会において理事選挙に出馬せず、理事・副会長職を退任した。

林葉直子邸「突入」録音テープ記者会見

1994年から1998年の間に林葉直子(元女流棋士)邸の留守番電話に「今から突入しまーす」「お前みたいなのは早く死んじまえ! エイズにでも何でも早くかかっちゃえばいいんだよ!」などの本人の肉声が録音されたテープが1998年にテレビのワイドショーなどで公開された。中原は自宅の庭で記者会見に応じ、事実関係を認めた[13]

その他のエピソード

  • 四段から六段の時代、そのあまりの強さから「鉄腕アトム」のあだながついた[14]
  • 負けず嫌いであり、素人相手に指す時でも決して手加減をしないと言われている。
  • 田中角栄自民党総裁に出馬した際、「五五角」と扇子に揮毫(きごう)して贈ったことがある。
  • 親友の棋士池田修一が三段の時に、肺結核を発症し故郷で治療のため長期離脱していたのだが、当時四段から五段で先にプロ棋士になっていた中原が入院中だった池田の生活費を毎月支援していた。[15]
  • 趣味は囲碁と音楽鑑賞(クラシック音楽)、大リーグテレビ観戦。囲碁については2016年現在も将棋連盟の囲碁部に籍を置いている[16]。2019年1月、アマ六段免状を贈呈される[17]
  • クラシック音楽についてはプロ入り間もない頃に名曲喫茶に入り浸って以来の趣味で、将棋ファンであった山本直純とも交流があり、駒音コンサートで指揮棒を振ったこともある[18]
  • 詰将棋創作も得意としており、名人に就位している間も自作の詰将棋を雑誌に寄稿したりしていた[注釈 16]
  • 月刊少年ジャンプ連載の実録シリーズにて「若き王将」のタイトルで取り上げられる。
  • 少年時代のあだ名はマコロン。当時使っていた眼鏡が仙台銘菓「まころん」に似て、丸いものだったからとも。



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