下坂藤太郎
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下坂 藤太郎(しもざか とうたろう、1868年11月17日(明治元年10月4日) - 1941年(昭和16年)1月12日)は、日本の大蔵官僚、実業家。理財局銀行課長を最後に退官し、台湾銀行理事、副頭取を歴任。東洋製糖(のち大日本製糖)、東洋海上保険(のち日新火災海上保険)、日商(のち日商岩井)の各社長。
- ^ 離任の理由について新聞は鈴木商店の経営監視にあたるためと報じている(『国民新聞 1935.2.5-1935.2.22(昭和10) 』神戸大学電子図書館)
- ^ 『戦前日本官僚制の制度・組織・人事』447頁
- ^ 『台湾銀子四十年誌』画像271枚目
- ^ 『日新火災八十年のあゆみ』237頁
- ^ a b 『日新火災八十年のあゆみ』35頁
- ^ 『日新火災八十年のあゆみ』36頁
- ^ 『日新火災八十年のあゆみ』152頁-153頁
- ^ 『大衆人事録 東京篇』「田村藤四郎」
- ^ 『大衆人事録 東京篇』「下坂八郎」
- ^ 人事2止 (13)「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06091337400、明治34年 公文備考 人事2止巻20(防衛省防衛研究所)」
- ^ 『人事興信録』「下坂藤太郎」)
- ^ 『大衆人事録 東京篇』「高瀬荘太郎」
- ^ 政財界注目の「木原兄弟」 官房副長官とみずほ次期社長…銀行一家出身、台湾との縁もIZA2022/1/19 12:44
- ^ 『台湾銀行四十年誌』画像269枚目
- ^ 勉強堂書店『慶應年間 会津藩士人名録』
- ^ 『台湾銀行四十年誌』画像276枚目
- 1 下坂藤太郎とは
- 2 下坂藤太郎の概要
- 3 脚注
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