上田重安
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脚注
参考文献
- 高柳光寿; 松平年一『戦国人名辞典』吉川弘文館、1981年、43頁。
- 堀田正敦「国立国会図書館デジタルコレクション 上田氏」『寛政重脩諸家譜. 第2輯』國民圖書、1923年、85頁 。
関連項目
- 旧徳島城表御殿庭園
- 広島藩の庭園 - 上田家下屋敷内の庭園「萬春園」について記述。
- 鷹野橋 (広島市) - 上田家屋敷近くに架けられていた橋について記述。
- 宗箇山 - 重安が作庭の際に借景とした山で、その名が付けられた。現在も松が保護されている。
外部リンク
- ^ a b c d 堀田 1923, p. 85.
- ^ 天野可古の子。
- ^ 『岩波講座日本通史 - 第 11 巻』
- ^ a b c d e 高柳 & 松平 1981, p. 43.
- ^ 村川浩平『日本近世武家政権論』(日本図書刊行会、2000年)ISBN 4823105281、37p
- ^ 熊倉功夫『小堀遠州茶友録』(中公文庫、2007年) ISBN 978-4122049536、49p
- ^ 和田英松、所功 校訂『官職要解』講談社学術文庫 621 ISBN 4061586211、127p
- ^ 『寛政重修諸家譜』は主水正とするが、口宣案には主水助とある。しかしこれは誤りで、主水司には四等官のスケがそもそも存在しない[7]ため「主水助」という官職はない。
- ^ 山岸素夫「厳島神社蔵菖蒲韋威腰取仏胴具足の考察」(『日本甲冑論集』つくばね舎、1991年)pp. 226-241
- ^ 福田千鶴 『御家騒動 大名家を揺るがした権力闘争』(中公新書、2005年) ISBN 4121017889、125p
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