三菱銀行人質事件 犯人の来歴と人物像

三菱銀行人質事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 13:59 UTC 版)

犯人の来歴と人物像

梅川は1948年(昭和23年)3月1日広島県大竹市で生まれた。父親が46歳、母親が42歳という高齢出産だった。父親は1901年(明治34年)、香川県大川郡引田町(現在の東かがわ市)の農家に生まれ、弟に家督を継がせて上京。1941年(昭和16年)から新興人絹会社(現・三菱レイヨン)大竹工場に勤務していた。

両親は1944年(昭和19年)4月に職場結婚し、梅川は父親が務める三菱レイヨンの社宅で生まれた。梅川は子供の頃、母親から「照美(テルミ)」と呼ばれ「テルちゃん、テルちゃん」と呼ばれ育った。1954年(昭和29年)4月、梅川は小方町立小方小学校(現・大竹市立小方小学校)に入学。学校の成績は中くらいで目立つ子供ではなかったが、負けず嫌いで、近所の子供とよく喧嘩したという。

1956年(昭和31年)3月、父親が椎間板ヘルニアリューマチの悪化で退職。父親はベテラン配管工だったが、女癖が悪く、頼母子講に熱中して闇金融に手を出し、周囲の評判は悪かった。1958年(昭和33年)6月、両親が離婚。梅川は父親に引き取られ、引田町に引っ越す。同年12月、梅川は父との生活を嫌い、大竹市で暮らす母の元へ舞い戻る。

母は独身寮で炊事婦をしていた。母子家庭で貧しかったが、母親は梅川の欲しがるものは何でも買い与え、成長してからの梅川は要求が受け入れられないと母親にも暴力を振るう粗暴な少年となった。1960年(昭和35年)4月、大竹市立小方中学校に入学。梅川は広島県立宮島工業高等学校を受験するが失敗。1963年(昭和38年)4月、広島工業大学附属工業高等学校(現在の広島工業大学高等学校)に入学。在学したのは1学期だけで、同年10月、父の暮らす引田町に戻る。だが、すぐ大竹市に戻り、同年12月、強盗殺人事件を起こす。

梅川は15歳で大竹市強盗殺人事件を起こして逮捕されたが、少年法により1年半ほどで中等少年院送致だけで済み、少年法第60条による少年時代の殺人歴が銃刀法第5条の不許可条項に該当しなかったため住吉警察署より猟銃所持許可を出されていた。

梅川が三菱銀行北畠支店を狙った理由は、「最寄りの警察署から車で3分以上かかる」というものだった。梅川は「警察は事件発生の一報を受けてから警察署からパトカーで現場に急行する」と思い込んでいた。しかし、実際には警察官は昼夜を問わず管内をパトカーや自転車で巡回している。偶然、現場近くを通りかかった警官が現場から逃げてきた主婦の通報で駆け付けたため、予想外に早い警官の到着で「銃で脅して3分以内に大金を強奪し逃走する」という梅川の犯行計画は失敗に終わった。

梅川は高校を半年で中途退学していたが、毎月本に1万円を費やすほどの読書家であり、自宅から「ヒトラー」「ムッソリーニ」「スターリン」「チャーチル」「ドストエフスキー」「ニーチェ」などの伝記、大藪春彦などのハードボイルド小説、六法全書、経営学、医学などの書籍が600冊出てきた。中学・高校の成績は平均以下ながら、本好きのため国語だけは高かった。また、バーテンやツケ取り立て人として長い間不特定多数の客と接してきた経験から記憶力が高く、39名の人質の顔と姓名を全部覚えていた。

本事件を題材とした映画『TATTOO<刺青>あり』は、犯人と付き合っていた女性の中には、3代目山口組田岡一雄を銃撃したことで知られる鳴海清が付き合っていた女性がいると示唆するストーリーである[5]。事件後に取材をした毎日新聞の記者もこの情報を得ていた[6]


注釈

  1. ^ 1996年東京銀行との合併で東京三菱銀行へ商号変更。2006年に東京三菱銀行とUFJ銀行との合併で三菱東京UFJ銀行に商号変更した後、2018年に三菱UFJ銀行に商号変更。
  2. ^ 耳を切り取った行員の行為自体は傷害罪の構成要件に該当するものであるが、事件の状況と年長行員が被害届を出さなかったことを考慮し、立件はされなかった。
  3. ^ 『戦慄 昭和・平成裏面史の光芒』(著者麻生幾、新潮社、1999年)によれば、大阪府警察本部の零中隊は事件当時、専用のアサルトスーツ(突入服)を装備していたが、部隊の存在を秘匿するため突入服を着用せず、代わりにトレーニングウェアを着用したと記載されている。
  4. ^ 『戦慄 昭和・平成裏面史の光芒』(著者麻生幾、新潮社、1999年)によれば、この時、零中隊が使用した拳銃はスミス&ウエッソン(S&W)社製の45口径拳銃だったと記載されている。 事件当時の警察が使用していた拳銃で該当するものは、S&W社の「M1917」回転式拳銃である。この銃はニューナンブM60が配備される以前に、米軍から支給されたものである。
  5. ^ 本事件発生当時、読売テレビを除く在阪3局は、すでにローカルワイドニュースを平日に編成していた(毎日放送『MBSナウ』、朝日放送『たいむ6』、関西テレビ『アタック630』)。
  6. ^ 本来は兵庫県が放送対象地域であるが、スピルオーバーにより大阪府も視聴可能地域となっている(当時、テレビ大阪は未開局)。
  7. ^ 前年暮れの1978年12月28日に発生。

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