三種の神器 記録

三種の神器

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 02:50 UTC 版)

記録

記紀

記紀のうち、『古事記』には、神器(神から受け伝える宝器)またはそれに類するものの伝承はあるものの、格別に天皇践祚に際してとなると目に付く記事は無い。しかし『日本書紀』には以下のように記載されている。

       原文の表記について、文字は旧字体約物は現代の補足。書き下し文の表記について、文字は新字体振り仮名歴史的仮名遣
《 原 文 》 爰大中姬命仰歡、則謂群卿曰「皇子將聽群臣之請、今當上天皇璽符。」於是、群臣大喜、卽日捧天皇之璽符、再拜上焉[10]
《書き下し文》 ここ大中姫命おほなかつひめのみこと[注 1] あふよろこび、すなは群卿まちきむたち[注 2]ひて「皇子みこ群臣まへつきみたち[注 3][11]ねがひゆるしたまひて、いままさ天皇すめらみこと璽符みしるしたてまつるべし。」とのたまふ。ここに、群臣まへつきみたち おほいよろこびて、天皇すめらみこと璽符みしるしささげて、再拝をがみてたてまつる。[12][13]
《 原 文 》 (...略...)大伴室屋大連、率臣連等、奉於皇太子[14]
《書き下し文》 大伴室屋大連おほとものむろやのおほむらじおみむらじて、しるし皇太子ひつぎのみこ[注 4]たてまつる。[12][13]
  • 卷第十五 顯宗天皇前記十一月(清寧天皇五年十一月)条 ──
《 原 文 》 (...略...)百官大會、皇太子億計、取天皇之、置之天皇之坐、(...略...)[15]
《書き下し文》 百官もものつかさ[注 5]おほいに会へり、皇太子ひつぎのみこ億計おけ天皇すめらみことみしるしを取りて、天皇すめらみことみまし[注 6] に置きたまふ、[12][13]
《 原 文 》 大伴金村大連、乃跪、上天子鏡劒璽符、再拜。(...略...)乃受璽符、是日、卽天皇位。[16]
《書き下し文》 大伴金村大連おおとものかなむらのおほむらじすなはひざまづきて天子みかどみかがみみはかし璽符みしるしたてまつりて再拝をがみたてまつる。(...略...)すなは璽符みしるしく。の日に、即天皇位あまつひつぎしろしめ[注 7][12][13]
《 原 文 》 群臣奏上劒鏡於武小廣國押盾尊、使卽天皇之位焉[17]
《書き下し文》 群臣まへつきみたち[注 3]そうして、みはかしみかがみ武小広国押盾尊たけをひろくにおしたてのみことたてまつりて、即天皇之位あまつひつぎしろしめさしむ[注 7][12][13]
《 原 文 》 百寮上表勸進至于三、乃從之、因以奉天皇璽印[18]
《書き下し文》 百寮もものつかさ[注 5]まうしぶみたてまつりて勧進すすめまつる。みたびいたりて、すなはしたがひたまふ。りて天皇すめらみこと璽印みしるしたてまつる。[12][13]
《 原 文 》 (...略...)大臣及群卿、共以天皇之璽印、獻於田村皇子[19]
《書き下し文》 大臣おほおみ及び群卿まちきむたち[注 2]、共に天皇すめらみこと璽印みしるしもちて、田村皇子たむらのみこたてまつる。[20][13]
《 原 文 》 天豐財重日足姬天皇、授璽綬禪位[21]
《書き下し文》 天豊財重日足姫天皇あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと璽綬みしるしさづけたまひてみくらゐゆづりたまふ。[20][13]
《 原 文 》 (...略...)物部麻呂朝臣、樹大盾。神祗伯中臣大嶋朝臣、讀天神壽詞。畢、忌部宿禰色夫知、奉上神璽劒鏡於皇后。皇后、卽天皇位。[22]
《書き下し文》 物部麻呂朝臣もののべのまろのあそみ大盾おほたてて、神祇伯かむづかさのかみ中臣大嶋朝臣なかとみのおほしまのあそみ天神寿詞あまつかみのよごと[注 8] を読み、をわりて忌部宿禰色夫知いみべのすくねしこぶち神璽かみのしるしみはかしみかがみ(※異説では、神璽かみのしるしみはかしみかがみ)を皇后きさき奉上たてまつり、皇后きさき天皇すめらみことみくらゐ[注 9][20][13]

記紀の神器考

上記のように、『日本書紀』は歴代天皇の即位時の記述において奉献の品を記すのに、「璽符」(允恭紀)・「璽」(清寧紀顕宗紀)・「璽印」(推古紀舒明紀)・「璽綬」(孝徳紀)という、種類を特定できない表現のみを用いることが多い。持統紀より前の時代で具体的に種類を記しているのは継体紀宣化紀の2紀のみで、それは「鏡」と「剣」である。かつてはこれを論拠として、「元々の神器は鏡と剣の2つで、のちに中臣氏が三種説を主張して勾玉が加わった」のではないかという説もあった。しかし現在では、4~5世紀の豪族古墳副葬品に鏡・剣・玉の3点一組が頻繁にみられるという考古学知見に、海外にも日本の三種の神器に類似した品々からなる3点一組を王位のレガリアとする神話があって世界中に分布しているという比較神話学知見、並びに、「鏡剣」または「剣鏡」と書いて「玉」を略すのは漢文修辞法上の問題で、実際の品数を意味するものではないという漢文の修辞法上の観点から、もともと3点一組で構成されていたと考えられている。したがって、景行天皇筑紫行幸した際、県主が、賢木(さかき)の上枝に白銅鏡(まそかがみ)、中枝に十握剣、下枝に八尺瓊の玉を掛けて出迎え、他の県主の時も、上枝に八尺瓊の玉、中枝に鏡、下枝に十握剣を掛けて出迎えたとの伝承も、後世の造作ではなく、古い祭祀の形であると認められる。また、近江令までは3種であったのをなぜか飛鳥浄御原令で2種とし、その後また3種に戻されたとする説もある。先の「持統天皇四年正月条」の書き下し文でも示したが、持統紀に見える「神璽劒鏡」は「神璽である剣と鏡」という意味で捉えるのが従来説であるが、「神璽(= 勾玉)・剣・鏡」と解釈する研究者もいる。詳細は「八尺瓊勾玉」項を参照のこと。

中世から近世

吾妻鏡』によれば、1185年元暦2年)の壇ノ浦の戦いで、安徳天皇が入水し草薙剣(形代)も赤間関(関門海峡)に水没したとされる。この時、後鳥羽天皇は三種の神器が無いまま、後白河法皇院宣を根拠に即位している。

南北朝時代の三種の神器の移動を図式化したもの。

足利尊氏後醍醐天皇建武の新政(建武の中興)に離反し、1336年延元元年/建武3年)に光明天皇北朝を立てて京都室町幕府を開くが、後醍醐天皇は、北朝に渡した神器は贋物であるとして自己の皇位の正統性を主張し、吉野(奈良県吉野郡吉野町)に南朝を開き南北朝時代が始まる。正平一統の後に南朝が一時京都を奪還して北朝の三上皇を拉致する際に神器も接収したため、北朝の天皇のうち後半の後光厳天皇後円融天皇後小松天皇の3天皇は後鳥羽天皇の先例にならい神器無しで即位している。南朝の北畠親房は『神皇正統記』で、君主の条件として血統のほかに君徳や神器の重要性を強調したが、既に述べたように、神器無しでの即位は後鳥羽天皇が後白河法皇の院宣により即位した先例がある。

南朝保有の神器は、1392年元中9年/明徳3年)に足利義満の斡旋による南北朝合一の際に、南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇に渡った。

室町時代1443年嘉吉3年)に、南朝の遺臣が御所へ乱入し神器を奪う「禁闕の変」が起こり、剣と勾玉が後南朝に持ち去られたが、剣は翌日に早くも発見され、玉はその後1458年長禄2年)に奪還された。

近現代

明治時代には、南北両朝の皇統の正統性をめぐる「南北朝正閏論」と呼ばれる論争が起こるが、三種の神器の所在に基づいた南朝正統論が見られた。その後明治天皇が南朝正統と定める。

上皇明仁1989年昭和64年)1月7日に宮殿の正殿(新宮殿正殿)松の間での「剣璽等承継の儀」にて神器を継承した。このときは相続税法の非課税規定[23] により、相続税の課税対象にならなかった。

今上天皇2019年令和元年)5月1日に宮殿の正殿(新宮殿正殿)松の間で「剣璽等承継の儀」にて神器を継承した。譲位に伴う贈与税については、天皇の退位等に関する皇室典範特例法2017年平成29年〉6月9日成立)付則で非課税とすることと定められた。


注釈

  1. ^ 忍坂大中姫”. コトバンク. 2019年11月8日閲覧。
  2. ^ a b 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “群卿”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  3. ^ a b 平凡社世界大百科事典』第2版. “マヘツキミ”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  4. ^ 日嗣の御子”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  5. ^ a b 百官・百寮”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  6. ^ 小学館『デジタル大辞泉』. “御席/御座”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  7. ^ a b 天つ日嗣”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  8. ^ 中臣寿詞”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  9. ^ 前例に倣った読みでは、「皇后、即天皇位。」は「皇后(きさき)、即天皇位(あまつひつぎしろしめ)す。」となる。つまり、(天武天皇の)皇后であった鸕野讚良皇女が天皇に即位したということ。
  10. ^ 伊勢の八咫鏡は式年遷宮と同時に壊され代替わりするという説がかつてウィキペディアに書かれたことがあるが、論拠不明で、そのような事実は無い。これは明らかに神宝(伊勢神宮での用語では天照大神の日常の宝具)の中の一つである鏡と混同した説である。
  11. ^ 熱田神宮の草薙剣は、1945年8月21日から同年9月19日までの間、アメリカ軍占領に備えるとして、飛騨一宮水無神社に仮遷座された。
  12. ^ さんしゅのじんき。他の読みは見られない。あるいは極めて稀。
  13. ^ 冷房機能のみで、エアコンのように暖房機能は無い
  14. ^ 欧米のビニール製「レインハット」は日本では普及していない。

出典

  1. ^ a b c d e 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “三種の神器”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  2. ^ 三種の神器”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  3. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. “三種の神器”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  4. ^ 平凡社百科事典マイペディア』. “三種の神器”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  5. ^ a b 小学館『デジタル大辞泉』. “三種の神器”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  6. ^ a b 三省堂大辞林』第3版. “三種の神器”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  7. ^ a b 剣璽”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  8. ^ 焼津”. コトバンク. 2019年11月5日閲覧。
  9. ^ 御祭神”. 公式ウェブサイト. 焼津神社. 2019年5月6日閲覧。
  10. ^ 日本書紀巻第十三 雄朝津間稚子宿禰天皇 允恭天皇”. 日本書紀について. seisaku.bz. 2019年11月5日閲覧。
  11. ^ まへつきみ”. 『学研全訳古語辞典』. Weblio. 2019年11月5日閲覧。
  12. ^ a b c d e f 酒井 2003, p. 8.
  13. ^ a b c d e f g h i 稲田 2013.
  14. ^ 日本書紀巻第十五 白髮武廣國押稚日本根子天皇 淸寧天皇”. 日本書紀について. seisaku.bz. 2019年11月5日閲覧。
  15. ^ 日本書紀巻第十五 弘計天皇 顯宗天皇”. 日本書紀について. seisaku.bz. 2019年11月5日閲覧。
  16. ^ 日本書紀巻第十七 男大迹天皇 繼體天皇”. 日本書紀について. seisaku.bz. 2019年11月5日閲覧。
  17. ^ 日本書紀巻第十八 廣國押武金日天皇 安閑天皇”. 日本書紀について. seisaku.bz. 2019年11月5日閲覧。
  18. ^ 日本書紀巻第廿二 豐御食炊屋姬天皇 推古天皇”. 日本書紀について. seisaku.bz. 2019年11月5日閲覧。
  19. ^ 日本書紀巻第廿三 息長足日廣額天皇 舒明天皇”. 日本書紀について. seisaku.bz. 2019年11月5日閲覧。
  20. ^ a b c 酒井 2003, p. 9.
  21. ^ 日本書紀巻第廿五 天萬豐日天皇 孝德天皇”. 日本書紀について. seisaku.bz. 2019年11月5日閲覧。
  22. ^ 日本書紀巻第卅 高天原廣野姬天皇 持統天皇”. 日本書紀について. seisaku.bz. 2019年11月5日閲覧。
  23. ^ 相続税法第12条(相続税の非課税財産)1項1号。
  24. ^ 大村拓生 「一〇〜一三世紀における火災と公家社会」 (『日本史研究』第412号. 1996年. 3頁以下)[リンク切れ]
  25. ^ 「21世紀の日本の三種の神器」(「週刊SPA」2022年1月1日・11日合併号)22頁。






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