三浦村 (愛媛県) 三浦村 (愛媛県)の概要

三浦村 (愛媛県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:02 UTC 版)

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みうらむら
三浦村
廃止日 1955年3月31日
廃止理由 編入合併
三浦村高光村宇和島市
現在の自治体 宇和島市
廃止時点のデータ
日本
地方 四国地方
中国・四国地方
都道府県 愛媛県
北宇和郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 宇和島市来村津島町下波村遊子村
三浦村役場
所在地 愛媛県北宇和郡三浦村字豊浦
座標 北緯33度11分57秒 東経132度30分21秒 / 北緯33.19906度 東経132.50572度 / 33.19906; 132.50572 (三浦村)座標: 北緯33度11分57秒 東経132度30分21秒 / 北緯33.19906度 東経132.50572度 / 33.19906; 132.50572 (三浦村)
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蒋淵半島(三浦半島)の基部東岸の農漁村であった。宇和島市に編入し、現在に至っている。

地理

宇和島市の西部、蒋淵半島の基部東岸。北は宇和海に面し、東は海岸線に沿って宇和島市と、天神坂を境に来村に、南は標高300m級の山々を坂として津島町(一足先に合併により成立)に、西は下波村および遊子村に接する。宇和島市街中心部から約15キロ。

湾内は奥深く入り込んでいることもあって波静かで、近辺の村と比較すると、背後の山が緩やかなこともあって、中腹近くまで農地として利用されている。

  • 豊浦川
村名の由来
戦国時代には既に名が見える。ただし、三浦半島(蒋淵半島)基部全域の総称であるとみられている。

歴史

藩政期

  • 宇和島藩に属す。田中家が庄屋として当地を治めた。

明治以降

  • はじめ宇和郡に属す
  • 明治11年 - 北宇和郡に属す
  • 明治22年 - 町村制施行時に、三浦村が成立。
  • 1894年(明治27年) - 役場を三浦東の豊浦に移転。
  • 1955年(昭和30年)3月31日高光村と同時に宇和島市へ編入され、三浦村は自治体としては消滅。
三浦村の系譜
(町村制実施以前の村)(明治期)      (昭和の合併)     (平成の合併)
           町村制施行時
東三浦━━━━━━┓            宇和島市に編入(昭和30年3月31日)
         ┣三浦村  ━━━━━━━━━━━━━┓
西三浦━━━━━━┛                 ┃
                             ┃       き
          宇和島町━━━┳━┳宇和島市━┳━╋━┳━━━━━┳━━━━┓
          丸穂村━━━━┛あ┃い    ┃え┃ ┃お      ┃    ┃
          八幡村━━━━━━┛    う┃ ┃ ┃       ┃    ┃
          九島村━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃     ┃    ┃
          高光村━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃      ┃    ┃
          来村 ━━━━━━━━━━━━━━━━┛     ┃    ┃
          下波村━━━━━━━━━━━━━━━━━┓    ┃    ┃
          蒋淵村━━━━━━━━━━━━━━━━━┫か   ┃    ┃
          遊子村━━━━━━━━━━━━━━━━━╋宇和海村┛    ┃
          戸島村━━━━━━━━━━━━━━━━━┫         ┃新設
                    日振島村━━━━━━━━━━━━━━━━┛         ┃合併
                                                                   ┃平成17年8月1日
                                                                    ┣宇和島市 (新)
                     吉田町━━━━━━━━━━━━━━━━┫
                     三間町━━━━━━━━━━━━━━━━┫
                     津島町━━━━━━━━━━━━━━━━┛

あ - 大正6年5月1日丸穂村編入、い - 大正10年8月1日八幡村と対等合併・市制施行、う - 昭和9年9月1日九島村編入、
え - 昭和30年3月31日三浦村・高光村編入、お - 昭和32年1月1日来村編入
か - 昭和33年4月1日新設合併により宇和海村成立
き - 昭和49年4月1日宇和海村を編入
(注記)「宇和島町」以下の合併以前の系譜はそれぞれの町村の記事を参照のこと。

地域

もともと三浦東と三浦西とが明治の初めに一体となったもの。合併成立に際して大字はつけなかった。当初は三浦西の旧庄屋・田中家を役所とした。1894年(明治27年)に役場を三浦東の豊浦に移転。

宇和島市に編入後は、三浦東及び三浦西がそれぞれ町名になった。

尾崎鼻を境として東西に2つの入り江があり、西に安米(あこめ)、大内、尾崎(おざき)の3つの集落が、東には豊浦(とよのうら)、天満(てんま)、船隠(ふなかくし)の3集落がある。

昭和25年に621世帯、人口3572人。




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