三根山藩 関連項目

三根山藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/15 15:12 UTC 版)

三根山藩(みねやまはん)は、江戸時代末の越後国蒲原郡三根山(のちの西蒲原郡巻町嶺岡→峰岡、現在の新潟市西蒲区峰岡)にあった藩。藩主は譜代大名牧野家


注釈

  1. ^ 「越後国領分(の)内本田・新田打(ち)交(ぜ)、十七ヶ村、高六千石」とあるが、寛永分知当時の村々の高合計は6003石6斗9升4合であった。
  2. ^ 与板 (後に小諸移封)、三根山の2つの分家を、忠成の一代で諸侯(大名)として召し出されるのは恐れ多いので、三根山は当初から実質11000石の石高がありながら遠慮してこのようになったとされる。
  3. ^ 1754年(宝暦)4年5月26日、本家・長岡牧野家の家老・稲垣太郎左衛門に、本家を通じて請願を依頼したく来たる夏の参府の折りには長岡本家当主に相談する内容の趣意書を託している。
  4. ^ その後蒲原郡43ヶ村のうち3ヶ村を第1次新潟県に編入。参照→越後府
  5. ^ 上士は御目見え以上の格式、下士は御目見え以下である
  6. ^ 1866年慶応2年)「御改革ニ付両表正米分限帳」によれば、知行元高に対し立藩後の本高は1.8倍に増禄したが、慶応2年にこの本高に対して78.2%(高禄者)~66.4%(低禄者)を削減をすることが示されている。
  7. ^ なお1812年 (文化9年)9月には、旗本で石高6000石、父が「牧野播磨守(忠義) 」である「牧野半右衛門(忠救) 」が定火消役に就任し、1816年 (文化13年)当時麻布市兵衛町に居住していたことが、『編年江戸武鑑/文化武鑑 』に見られる。

出典

  1. ^ 今泉省三『長岡の歴史 第1巻』55頁、武田広昭編『三根山藩』2頁付表1
  2. ^ 『三根山藩』2頁、「分知の事情」(原典は『峰岡藩史資料』)
  3. ^ 『三根山藩』18-19頁「三、文久の高直り」
  4. ^ 長岡市史編集委員会編 『長岡懐旧雑誌』34-35頁
  5. ^ 『三根山藩』5頁、注6・「元禄五年申ノ極月五日六千石秋勘定帳」の村名(原典『和納区有文書』所載)
  6. ^ 『三根山藩』58頁付表9、〈安政2年三根山領貢納高〉(原典は「御届留三」(有終団文書))
  7. ^ 『三根山藩』190頁11行「土地替一件」、同329-330頁(「土地替一件歎願書」『和納区有文書』所載)
  8. ^ 『三根山藩』203頁「10、藩政改革と藩の終末」)
  9. ^ 『三根山藩』34-35頁、「職制」(原典は『峰岡藩史資料』16頁・『西蒲原郡誌』)
  10. ^ 『三根山藩』35頁、「職制」(原典は『西蒲原郡誌』)
  11. ^ 『三根山藩』35頁、「職制」(原典は『西蒲原郡誌』)
  12. ^ 『三根山藩』35頁7行、46頁脚注11(福井伊藤家文書「諸日記帳」三根山家中、牧野筑後守様家臣方御席順表)及び49頁付表8(「正米分限帳」)
  13. ^ 『三根山藩』38-39頁
  14. ^ 『三根山藩』40頁、49頁前掲付表8
  15. ^ 以上、歴代領主・藩主は『三根山藩』8頁-17頁による
  16. ^ 以上、本節出典は『三根山藩』8-17頁「2、歴代系譜」による。原典「御先祖書」『峰岡藩史資料』)


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