一簣抄 一簣抄の概要

一簣抄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/16 13:52 UTC 版)

概要

江戸時代中期の『源氏物語』の注釈書である。著者は近衛家第20代当主の近衛基煕。全73巻74冊。正徳6年閏2月5日(1716年3月28日)の成立。このころは『源氏物語』の注釈史の中ではすでに新注の時代に入っているにもかかわらず、本書の内容には新注の影響は全く認められず、旧注そのものである。その一方で、近世堂上社会における『源氏物語』の受容状況の反映がみられる。

名称

「一簣抄」とは、近衛基煕自筆本の表題に書かれている名称であり、序文に「よりて一簣抄と名づく」とあることから、著者である近衛基煕自身が名付けたものであると考えられる。「源氏物語一簣抄」[1]あるいは「源氏一簣抄」[2]とも呼ばれる。「一簣」とは、もっこ一杯の土のことで「わずかなもの」を意味する。『論語』「子罕第九」にある、わずかなものでも積み重なると山になるとの譬えから、この書物のわずかな注釈から『源氏物語』全体を理解することにつなげることを意図しているとみられ、このような命名名称は『水原抄』『河海抄』『細流抄』『山下水』『岷江入楚』などのような、注釈を水の流れに譬えて少しずつの注釈が集まって大きな流れになるとする名称を持った、古注釈の流れを受け継ぐことを意識しているとみられる。

内容

構成

序文と凡例からなる首巻が1冊、各巻の注釈が本文の無い雲隠を含み、第02帖 帚木第09帖 葵第10帖 賢木第12帖 須磨第13帖 明石第21帖 少女第22帖 玉鬘第29帖 行幸第31帖 真木柱第34帖 若菜上第35帖 若菜下第44帖 竹河第46帖 椎本第47帖 総角第49帖 宿木第50帖 東屋第51帖 浮舟第53帖 手習がそれぞれ2巻を費やしているため、73冊となっている。

5つの柱

近衛基煕は本書の序文において、本書は以下の要素からなるとしている。

  • 河海抄』、『花鳥余情』および三条西実隆以来の伝統的な三条西家の学説。これらの学説は主として岷江入楚によって引かれる[3]
  • 近衛基煕が「浅黄表紙ノ本」と呼んだ中院通茂の講釈の近衛信尋による聞書[4]
  • 近衛基煕自身が後西天皇後水尾天皇から直接受けた教え[5]。この両者の教えを引く中でこの両者の師にあたる烏丸光廣の説も多く引かれる[6]
  • 本文の読み方。諸抄(それまでのさまざまな注釈書)で違いがあるため[7]
  • 近衛基煕の自説。「愚説」・「愚注」として記される[8]

一簣抄と講釈

序文において、「ある人物に源氏物語の講釈をする必要が生じたため」としている。文中に明記されてはいないが、「ある人物」とは著者近衛基煕の孫である近衛家久のことであると考えられる[9]

そのため本書の中には、しばしば「コレマテ講釈一座分也」や「コレヨリ講釈二座メ也」といった「講釈のための注意書」がみられる。さらには、天皇に対して講釈を行う時のための注意書きもみられる。明石巻において桐壷帝が亡霊となって光源氏の夢に現れた際、自身に「知らないうちに犯した罪」があることを語っているもののその内容について触れていないため、『河海抄』など古注釈においてこの罪が何であるかについての注釈があるが、本書では、天皇に講釈を行う場合にはこの点については触れるべきではないと注記している[10]

本書を利用しての講釈が行われていたことが、近衛基熙の日記『基煕公記』などに記されている[11]。まだ本書を執筆中であった正徳3年8月25日(1713年10月14日)、この日『源氏物語』の講釈を行うとの記述が『基煕公記』に初めて現れる。この数日前である8月21日(同10月10日)には、同日付の家久宛書簡において、『源氏物語』2冊および『岷江入楚』2冊を用意するなど講釈の準備を指示している。また講釈の前日である8月22日(同10月11日)には講釈に備えて終日「抄」(=『源氏物語』の注釈書・おそらく本書のこと)を読んで過ごしたと『基煕公記』に記されている。その後、8月28日(同10月17日)、9月3日(同10月21日)、10月24日(同12月11日)、11月15日(1714年1月1日)に『源氏物語』の講釈が行われ、11月24日(1714年1月10日)に「桐壷」の講釈を終えるとの記述、11月28日(1714年1月14日)に「帚木」の講釈を始めたとされている。

評価

本書が書かれた時代は、旧注の集大成である『湖月抄』が出版され、すでに新注の時代に入っているにもかかわらず、本書には新注の影響は全く認められない。このことからかつては、本書の内容は旧注そのものであり、改めて研究する価値は低いなどとされてきたが[12]、近年では江戸時代の堂上公家社会における『源氏物語』の受容状態を反映しているなどとして再評価されつつある[13]




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  1. ^ 「源氏物語一簣抄」宮内府図書寮編『図書寮典籍解題 文学編』国立書院、1948年(昭和23年)10月、pp. 174-175。
  2. ^ 「第八章 注釈書史 四 三条西家関係の業績 11 源氏一簣抄」山岸徳平・今井源衛監修『宮内庁書陵部蔵 青表紙本源氏物語 解題』新典社、1968年(昭和43年)2月、pp. 113 ISBN 978-4-7879-0056-2
  3. ^ 「一簣抄と岷江入楚」(川崎2010a)pp. 118-119。
  4. ^ 「浅黄表紙ノ本 近衛信尋聞書」(川崎2010a)pp. 123-125。
  5. ^ 「後水尾院・後西院の説」(川崎2010a)pp. 120-122。
  6. ^ 「烏丸光廣の説」(川崎2010a)pp. 122-123。
  7. ^ 「読み癖の注」(川崎2010a)pp. 119-120。
  8. ^ 「一簣抄の愚注」(川崎2010b)pp. 245-251。
  9. ^ 「一簣抄」伊井春樹編『源氏物語 注釈書・享受史事典』東京堂出版、2001年(平成13年)9月15日、pp. 23-24。 ISBN 4-490-10591-6
  10. ^ 「天子への講釈」(川崎2010b)pp. 251-253。
  11. ^ 「基熙の源氏講釈」(川崎2006)pp. 6-9。
  12. ^ 大津有一「注釈書解題 一簣抄」『合本 源氏物語事典 下巻』東京堂出版、1960年(昭和35年))(合本は1987年(昭和62年)3月15日)、pp. 35-127。 ISBN 4-4901-0223-2
  13. ^ 「近世前期注釈史の中の一簣抄」(川崎2010b)pp. 230-233。
  14. ^ (川崎2010b)pp. 235-238。
  15. ^ 「源氏切紙伝授」(川崎2006)pp. 11-13。
  16. ^ 「書誌と序文の検討」(川崎2006)pp. 1-4。
  17. ^ 「宮内庁書陵部蔵本」(川崎2010b)pp. 233-243。
  18. ^ 「陽明文庫蔵近衛家久筆本」(川崎2010b)pp. 243-245。


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