ヴィジュアル系 歴史

ヴィジュアル系

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 07:39 UTC 版)

歴史

ヴィジュアル系黎明期

ヴィジュアル系という言葉がまだ存在しなかった頃に染髪と化粧をしていたバンドとして、1977年に結成されたヘヴィメタルバンドの44MAGNUM[28]プログレッシブ・ロックバンドのNOVELAがいる[45]

ヘヴィメタル

1980年代に入ると、ヘヴィメタルが流行を迎える[46]。1984年には、後のヴィジュアル系のシーンに大きな影響を与えた[47]DEAD ENDが結成されている。

1986年になると、X(1992年に「X JAPAN」に改名)のYOSHIKIエクスタシーレコードを設立し[48]、「オルガスム」を発売。

パンク

1977年に音楽雑誌FOOL'S MATEが創刊される[49]。初代編集長を務めた北村昌士は、のちにイギリスのポストパンク、ニュー・ウェイヴの流れを受けてTRANS RECORDSを設立している[50]。同じくイギリスのポスト・パンクシーンの影響を受けたバンドとしては、「1979年秋から1980年中期までロンドンに帯在し、バウハウスに多大な影響を受け[51]」たGENETが1980年に結成したAUTO-MODなどがある。

1982年には、ニュー・ウェイヴバンド一風堂がシングル「すみれ September Love」をリリースし、ヒットさせる[52]。のちに、この曲はSHAZNAメガマソといったヴィジュアル系バンドによってカバーされることとなった。

1985年ごろになるとTHE WILLARDLAUGHIN' NOSE有頂天のインディーズ御三家を中心にインディーズブームが起こる[53]。黒夢の人時は高校時代にLAUGHIN' NOSEのコピーをしたと語っている[29]清春も当時のインディーズシーンについて、「ビジュアルが衝撃的だった。男なのに化粧してる。こんな世界もあるんだって[54]」と述べ、なかでもTHE WILLARDのヴォーカリストJUNからの影響を公言している[53]

1986年、COLORダイナマイト・トミーフリーウィルを設立し、「MOLT GRAIN」を発売する。

1980年代のシーンについて、ニュー・ウェイヴバンドロマンポルシェ。のメンバーである掟ポルシェは「80年代って情念の塊のような時代だったと思うんです。(中略)例えば、80年代はメイクしなくちゃステージに立てなかった。つまり何か人と違ったことをしなければステージに出れないのが80年代だった」と振り返っている[50]

ヴィジュアル系黄金時代

1980年代の終わり頃から1990年代のはじめにかけて、1980年代の音楽シーンの影響を受けたバンドが現れる。音楽ジャーナリストの沢田太陽は、「(この時期に現れたバンドは)X JAPANDEAD ENDのようなメタルの影響の強いものや、BUCK-TICKのような80sのゴス系ニュー・ウェイヴのタイプ、ハードコア・パンクからメタルに進化したGastunkに影響されたものまで雑多なものでしたが、それらはやがて外見上の傾向で括られ“ヴィジュアル系”と呼ばれるように」なったと分析している[55]。上記のバンド以外にはMadame Edwarda[56][2]DER ZIBET[56]AUTO-MOD[2]D'ERLANGERCOLORかまいたちBY-SEXUALAURAZI:KILLなどもヴィジュアル系の先駆者として挙げられる。

1990年には、ヴィジュアル系専門誌SHOXXが創刊される。1989年に結成されたLUNA SEAが1991年にエクスタシーレコードからアルバムを発表。この頃には「エクスタシー・サミット」と呼ばれるエクスタシーレコード所属のバンドが一堂に会するライブイベントが行われていた。

90年代初頭ごろから名古屋のシーンも活性化している[57]。インディーズシーンでは黒夢がSilver-Roseと並んで「名古屋2大巨頭」とされるまでになった[57]

90年代初頭に結成されたバンドには、黒夢のほかにL'Arc〜en〜CielLa'cryma ChristiPENICILLINFANATIC◇CRISISMALICE MIZERSIAM SHADELaputaROUAGESHAZNAcali≠gariなどがおり、これらのバンドが後にシーンを盛り上げていくことになる。

1994年に黒夢[58]GLAY[58]L'Arc〜en〜Ciel[58] がメジャーデビューを果たす。同年、Silver-Roseが解散し、後にギターのKouichiLaputa[59] に、ベースのKaikiはROUAGEに、ドラムのKyoはMerry Go Roundにそれぞれ加入している。また、この年には L.S.B.と題してLUNA SEASOFT BALLETBUCK-TICKが全国ツアーを敢行[60]。各地の公演ではL'Arc〜en〜CielTHE YELLOW MONKEYTHE MAD CAPSULE MARKETSDIE IN CRIESらがオープニングアクトを務めた[60]

ヴィジュアル四天王と呼ばれるLa'cryma ChristiSHAZNAFANATIC◇CRISISMALICE MIZERも活動を始める。97年にはSHAZNA[58] がメジャーデビューシングル「Melty Love」を累計88万枚、2ndシングル「すみれ September Love」を累計65万枚を売り上げ、1997年の日本有線大賞最優秀新人賞を受賞している。またeast west japanに移籍したPENICILLINも6thシングル「ロマンス」を累計90万枚売り上げた。ただし、トリプル・ミリオンになったアルバムやダブル・ミリオンを達成したシングルはほとんどなく、CDバブル時代にもっとも活躍したのはヴィジュアル系ではなかったとされる[61]。一方でライヴを観に行くファンは他ジャンルよりも多かったため、市川哲史は「V系が90年代音楽シーンにもたらした最大の功績とは、(中略)ロックバンドのライヴの規模を圧倒的に拡大し」、「大道具やらサウンド・システムやら照明やらコンサートに関するあらゆるノウハウ」を発展させた点にあると述べている[62]

アリーナやドームクラスの会場でワンマンライヴをするバンドも現れ、PIERROTはメジャーデビューから日本武道館西武ドームでのワンマンライブに至るまでの当時の最短記録を更新した。1996年には、インディーズバンドを紹介する音楽番組「Break Out」の放送が始まる。1999年にはDIR EN GREYJanne Da Arcなどがメジャーデビューしている。

ヴィジュアル系氷河期

往時は隆盛を極めたヴィジュアル系であったが、2000年以降、世間からは既に「終わった」ものであると見なされ、ヴィジュアル系氷河期を迎える[63]

しかし、2002年にはcali≠gariPsycho le Cemuがメジャーデビューし、これらの世代のバンドの功績が、その後のネオ・ヴィジュアル系ブームへと繋がってゆくこととなる[63]。2003年にはMUCCbaroqueがメジャーデビューする。

ネオ・ヴィジュアル系ブーム

2004年前後に台頭した新たなヴィジュアル系アーティストを、ネオ・ヴィジュアル系と呼ぶ[† 3]。ヴィジュアル系の専門媒体、専門レコード店、V箱(ぶいばこ)と呼ばれる専門ライブハウスを中心にムーブメントを起こしたこれらのバンドについて、SHOXX編集部は「ルックスの良さがまず先にあって、ある意味でアイドル的な盛り上がり方に似ています」、「ライヴも、よりエンターテインメント性が強く、芝居の要素を取り入れるバンドも目立っていて、そんなライヴの雰囲気をファンは楽しんでいるようです」と述べた[66]

the GazettEナイトメアアリス九號.アンティック-珈琲店-シドなどのバンドがオリコンチャートでヒットを記録する。また、2009年10月下旬には、初のヴィジュアル系ロック・フェスティバルである「V-ROCK FESTIVAL '09」が幕張メッセにて開催され[67]、ネオ・ヴィジュアル系をはじめとして多くのヴィジュアル系バンドが出演した。

しかし、レコード会社がネオ・ヴィジュアル系ブームの絶頂期にバンドのメジャーデビューを企図してから、実際にメジャーデビューが果たされるころには既にブームが衰退しかけていた[68][† 4]

ヴィジュアル系シーンでは特筆すべき音楽専門誌であった『Neo genesis』は、2011年3月8日発売のVol.53を最後に、以降の新刊の発行が停止され、『Zy.』は、2011年4月1日発売のNo.56を最後に休刊した。『FOOL'S MATE』も、2012年12月発売の第376号をもって、以降の新刊の発行を停止した[69]

2010年代に入ってからは、Alice Nine[70]シド[71]ゴールデンボンバー[72][73] などが日本武道館でワンマンライブを行った。

再結成

2007年に、D'ERLANGERが再結成する[74]。2000年代の末ごろには他にもDEAD ENDが再結成を果たし[75]X JAPANが『攻撃再開 2008 I.V.〜破滅に向かって〜』と題して復活コンサートを行う[76] など、ジャンルの始祖とされるバンドの再活動が行われた。このように、90~00年代を駆け抜け、解散・休止したバンドメンバーの活躍が徐々に増えはじめ、根強い人気を得たが、テレビへの露出などは少なく、一般的な知名度は全盛期と比べるとかなり低くなる。AngeloLM.C[77] はタイアップの反響も大きくオリコンチャート10位以内に入り、日本武道館公演も行った。Acid Black Cherry大阪城ホール横浜アリーナ等を含めたツアーを行い、オリコンチャートは全て5位以内を現在もキープし続けている。

また、ヴィジュアル系ロック・フェスティバルの「V-ROCK FESTIVAL 2011」が、二年ぶりとなる2011年10月23日にさいたまスーパーアリーナで開催された[78]

前年に一夜限りの復活をしたLa'cryma Christiが2010年にはツアー開催を発表[79]、同じく前年に一夜限りの復活をしていた黒夢も再始動をし[80]LUNA SEAも「LUNA SEA REBOOT」と題して再活動を宣言する[81] など、90年代に活動したバンドの再活動が発表された。また、限定復活したバンドとして2012年にライブを行ったMASCHERA[82]、2014年にライブを行ったPIERROT[83] がいる。

2013年には、ジャンルに大きな影響を与えたDEAD ENDへのトリビュートとしてLUNA SEAL'Arc〜en〜Ciel黒夢SIAM SHADEcali≠gariJanne Da Arcなどのメンバーが参加した『DEAD END Tribute -SONG OF LUNATICS-』が発売された[84]

2015年には、LUNA SEAが幕張メッセで開催したロック・フェスティバル「LUNATIC FEST.」を開催し、ヴィジュアル系を中心とした1980年代、1990年代、2000年代、2010年代で活躍したロックバンドが一堂に会し、シーンを盛り上げた[85]

2016年7月25日には、X JapanYoshikiLUNA SEASUGIZOGLAYTAKUROが共同会見を開き、2016年10月14日(金)、15日(土)、16日(日)の3日間、幕張メッセにて3daysのV系フェス<VISUAL JAPAN SUMMIT 2016 Powered by Rakuten>が開催されることを発表[86]

2019年にはFANATIC◇CRISISのメンバー3人が「FANTASTIC◇CIRCUS」を結成し再始動(なお本人たちは「転生」だとしている)、2022年以降ライブ活動も本格的に再開している[87]

日本国外への進出

1990年代初頭、X JAPANが日本国外への進出を模索するようになる[88]。1990年代末ごろになるとLUNA SEAやGLAYがアジア公演を行い[88]、1999年にはLaputaが香港のロックイベント「Rock'n Roll Circuit In Hong Kong」に参加し、イベントのトリをつとめている[89]。このように、1990年代にも日本国外への進出の試みはあった。とはいえ、このような動きは縮小する日本国内の市場にかわるマーケットを海外に求めた音楽業界が積極的に主導していたものであり、YOSHIKIなど一部の例外を除けば、ミュージシャンの多くは消極的だったとされる[90]

2000年代に突入すると、MyspaceYouTubeを通してインディーズヴィジュアル系バンドの人気も高まっていった[88]。また、DIR EN GREYMUCCMiyaviらが日本国外で単独ツアーを果たしている[91]。このようなグローバルでの展開も手伝って、日本国外においてもYOHIOやMaleRose、Lilithなどのヴィジュアル系アーティストがうまれている[92]

現在、ヴィジュアル系の人気はアジア圏では保たれているものの、ヨーロッパ圏では下落しており、そのシェアはK-POPに奪われたとされる[93]。2000年代後半にヨーロッパでヴィジュアル系が人気を博した際、実力のないバンドが多数日本国外へと出かける一方で人気のあるバンドはなかなか国外ツアーを行わなかったことが、このような状況を招いたのではないかとライターの藤谷千明は指摘している[94]。藤谷は日本国外のファンの需要を無視してきた音楽業界の「<上から目線>」を批判しており、今後ヴィジュアル系アーティストがアジア圏などでツアーを行う際には現地の状況をよく調査し、各国で盛んなSNSをアーティスト自身が使うなど、積極的な海外戦略を展開することが肝要なのではないかと結論づけている[95]

ヴィジュアル系における女性アーティスト

ヴィジュアル系の音楽的基礎となったゴシックロックシーンにおいては、イクスマル・ドイチュラント[96]スージー・アンド・ザ・バンシーズ[97] などのように女性アーティストが活躍することもあった。日本においても、ゴシックロックバンドGille' Lovesのヴォーカリストであり、のちにヴィジュアル系シーンに属することとなるLucifer Luscious Violenoueが1980年代から活動を行っている。

しかし、依然としてヴィジュアル系シーン内での女性アーティストの総数は低い傾向にあった[98]。その後、2004年には全員女性のバンドexist†traceが結成されているが、彼女らは「音楽をやりたいんじゃなくて、他のバンドのメンバーと仲良くなったりしたいんでしょ?」というようにみられたり[99]、「なんで女がヴィジュアル系をやってるの?」というようなバッシングを受けたこともあったといい[98]、女性アーティストがシーンで受け入れられづらい現状が浮き彫りとなった。


注釈

  1. ^ ポジティブパンクはポストパンクのサブジャンルであるゴシック・ロックの一部のシーンを指す言葉。詳しくはゴシック・ロック参照。
  2. ^ ポジティブパンクという言葉を広めたのは自分だとAUTO-MODのGENETは主張している。
    イギリス本国では、余り使われこともなく、ポジティヴパンクなんて言葉は、消えてしまいました。だから、海外では、ポジティヴパンクなんて言葉は、殆ど知られていないんです。だいたい海外ではダークウエーブ、ゴシックロック、ポストパンク、デスロックなんて呼ばれてますね。そんないい加減なポジティブパンクなんて言葉が、未だに何故日本で生き残っているかと言うと、それはこの食いしん坊ブログを書いてる張本人が策略的に日本中に広めたからに、他ならないからなのです。兎に角僕は、良く分からないポジティブパンクなんて言葉を耽美系表現主義ロックを推進する為に、積極的に使わせていただきました。(中略)でもそんなポジパンを広めている僕自身も何でこんなにネガティブな存在の自分たちが、ポジティブパンクなんて言葉を使っているんだろうと、本当のところ最初から、違和感を感じてはいたんですけどね(笑)!! — GENET、「フェティッシュダディーのゴス日記」2014年2月6日[27]
    とのことである。
  3. ^ これに対して、90年代のヴィジュアル系をオールドスクール・ヴィジュアル系と表現することもある[64][65]
  4. ^ たとえば、Dはオリコンチャートの最高順位をファーストアルバム『Genetic World』の11位からセカンドアルバム『7th ROSE』で37位に下げ、メガマソはファーストアルバム『M of Beauty』の最高順位が76位となり、宇宙戦隊NOIZはファーストアルバム『GREAT ROCK'N' ROLL HEROES』 がベスト盤でありながらも最高順位を158位(その後のシングル『BRAND NEW WORLD』は最高順位117位)に留め、D'espairsRayはファーストアルバム『REDEEMER』が最高順位39位であった。宇宙戦隊NOIZは、その後再びインディーズレーベルへ移籍している。
  5. ^ 田辺エージェンシーはD-SHADE、ホリプロはMASCHERA

出典

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  120. ^ ヴィジュアル系インディーズバンド専門誌「キュア」が休刊 レコオーランド 2022年4月18日





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