ロバート・ザイアンス
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日本語ではこの人物の姓を「ザイアンス」とする慣用表記があるが[3]、英語における発音は「ザイアンツ」に近い。また、ほかにも「ザイオンス」、「ザイオン」などと表記されることもあり、単純接触効果(後述)は「ザイオン効果」と称されることもある。
伝記
生い立ち
ロバート・ボレスワフ・ザイアンスは、1923年11月23日に、ポーランドのウッチ (Łódź) でひとりっ子として生まれた。1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻がウッチに到達する前に、ザイアンス一家はワルシャワに避難した。短期間のワルシャワ滞在中に、一家が住んでいた建物は空襲による爆弾の直撃を受け、ザイアンスの両親は死亡し、ザイアンス自身も重傷を負った。その後、ワルシャワに留まっていた間、ザイアンスは「地下大学」で学び続けたが、最終的にはドイツの強制労働キャンプに送られた。ザイアンスは、労働キャンプを脱出したが、再び捕まり、フランスの政治犯監獄に送られた。再び脱出に成功したザイアンスは、フランスのレジスタンス運動に加わりながら、パリ大学で勉学を続けた。1944年、イングランドへ移り、ヨーロッパ戦線におけるアメリカ軍の翻訳者となった[1][2]。
経歴
第二次世界大戦後、ザイアンスはアメリカ合衆国へ移住して、ミシガン大学への入学を出願し、仮及第生として受け入れられた。1955年、ザイアンスはミシガン大学からPh.D.を取得し、そのまま同大学の教員として1994年まで40年近くにわたって奉職した。在職期間中に、ザイアンスは社会調査研究所 (the Institute for Social Research) やグループ・ダイナミックス研究センター (the Research Center of Group Dynamics) の所長を務めた。ミシガン大学を離れた後、ザイアンスはスタンフォード大学の心理学名誉教授となった[1]。
単純接触効果
ザイアンスの重要な貢献のひとつは、「ある刺激に繰り返しさらされることで、刺激に対する態度の変化が生じる」という「単純接触効果」の提示であった。ザイアンスは、社会的行動に関わる諸過程に焦点を当て、効果(ないし感情)と認知の関係を特に重視した[1]。ザイアンスは、社会的促進(social facilitation:他者の存在が行為を促進したり、抑制したりすること) が人間や他の動物(特にゴキブリ)の間でどのように働くかを提示し、社会的促進が高次の認知過程の結果だけで生じているわけではないことを明らかにしたことでも知られている。
集合モデル (Confluence Model)
ザイアンスは、グレッグ・マーカス (Greg Markus) とともに、兄弟間の出生順や家族の規模が知能指数に与える影響についての数理モデルを提供する、集合モデル (Confluence Model) を開発した。彼らの理論が示唆するところによれば、子どもが生まれる環境が知的であれば、子どもの知能に影響が及ぶ。第1子が自分以外に子どもがいない家庭に生まれるのに対し、以降の子どもたちは大人と子どもが交じりあっている家庭に生まれる。家族の規模が大きくなるほど、家族の知能指数平均値は下落し、大家族の子どもたちは知能指数が若干低めになる。末っ子は、自分より小さい子の世話をする機会がないので、さらにもう少し低めの値となる。こうした効果は、理論上は重要であるが、それぞれの効果が及ぶ範囲はごく限られたものに過ぎず、知能指数得点にして3ポイント程度の幅のうちに収まってしまう。
- ^ a b c Fox, Margalit (2008年12月7日). “Robert Zajonc, Who Looked at Mind's Ties to Actions, Is Dead at 85”. The New York Times 2012年6月10日閲覧。
- ^ 埼玉県立久喜図書館 (2008年2月15日). “『新版心理学辞典』(平凡社)の「Zajonc」の読み方を知りたい。”. 国立国会図書館レファレンス協同データベース. 2012年10月12日閲覧。
- 1 ロバート・ザイアンスとは
- 2 ロバート・ザイアンスの概要
- 3 共感と顔の特徴
- 4 好き嫌いに理屈は要らない
- 5 関連項目
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