レーシングカート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/26 01:53 UTC 版)
歴史
元々アメリカ合衆国やイギリスを中心に、ソープボックスレース(エンジンを持たないカートで坂道を下るもの)という遊びがあった。主に子供の遊びとして行われたが、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードでも2004年までソープボックスによるレースが行われていたように、大人でもソープボックスレースを楽しむものは少なくなかった。
- 1956年 アメリカのアート・インゲルス(Art Ingels)がレース・カー製造業者のカーチス・クラフト(Kurtis Kraft)に従事しているときに造ったのが始まり、とされている。
- 「ゴーカート(GO KART)」という商品名で売り出された。
- カートは急速に世界に広まり、ヨーロッパや南米、アジアにも浸透した。
- 日本には、在日米軍が持ち込んだとされる。
1970年代前半当時の遊園地では単純に骨組みだけの様なゴーカートが一般で、ごく普通に幼稚園児でも一人で乗車していた。
トピックス
- kartという綴りは、「GO CART」という商品名が誤って「GO KART」として広められ、定着したという説がある[1]。
- 1961年、日活のスター俳優である赤木圭一郎が映画の撮影所でカートを運転して激突死した。
- 2009年には、ドイツ国内選手権のKZ2クラスのレースにおいてトーマス・クノッパーが事故死した。
- 2001年、当時既に3回のF1ワールドチャンピオンを獲得していたミハエル・シューマッハがドイツで開催されたレーシングカートのワールドカップに参戦した。現役F1チャンピオンがレーシングカートの世界選手権に出場するなど前代未聞の出来事であったが、シューマッハはかねてよりレーシングカートだけがF1ドライビングのトレーニングにもなりうる存在であると公言している。予選までクラッシュなどで苦戦を強いられたが、雨になった決勝レースでは2位でフィニッシュしている。この時、シューマッハがレースに参戦するため、当時トニーカートのワークスドライバーであった杉山貴英のシートを譲り受けての参戦となった。またシューマッハは世界有数のカートメーカーであるTONY KARTに資本参加している。
- 著名なドライバーの名を架したブランドカートには、F1チャンピオン経験者のフェルナンド・アロンソのFA KARTやロバート・クビサのRK、元F1ドライバーで両足切断の大けがを負った「ザナルディー」、また財団への募金を目的にした「アイルトン・セナ」などがある。
- カート出身のドライバーが増えて以降は四輪自動車のプロドライバーのトレーニングとしても活用されている。オフシーズンとなる年末に、著名な四輪ドライバーによる大会が催される例もある(下記)。
- パリ・ベルシー インドアカート大会(en)。1989年にF1を引退したフィリップ・ストレイフが主催し、交通遺児チャリティーとして、1993年から2001年にかけて毎年年末にパリで開催されていた。アラン・プロスト、アイルトン・セナなども出場している。
- グランジャビアナ500マイル耐久レース。1997年から毎年年末にサンパウロ州・コチアで開催されている。ドライバー交代ありの耐久レースのため、1チーム3~4名で数十のチームが参戦する。F1、インディカーで走るブラジル人ドライバーの大多数が参戦しているほか、国外のドライバーが出場することもあり、過去にはファン・パブロ・モントーヤ、ダン・ウェルドン、マルコ・アンドレッティらが参戦している。
- Desafio Internacional das Estrelas。チャリティとして、当時現役のF1ドライバーだったフェリペ・マッサが主催し、2005年から2014年にかけて毎年シーズンオフにブラジルで開催された。ブラジル人ドライバー以外では、当時F1を一時引退していたミハエル・シューマッハや、フェルナンド・アロンソ、ジュール・ビアンキらも出場した。
メーカー
- ギラード - イギリス
- ビレル - イタリア
- イントレピッド・カート・テクノロジー - イタリア
- CRG - イタリア
- ドリュー・プライス・エンジニアリング - オーストラリア
- ヤマハモーターパワープロダクツ - 日本
- ソディカート - フランス
- プラガ - チェコ
固有名詞の分類
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