レダと白鳥 (ミケランジェロ)
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影響
『レダと白鳥』は17世紀に失われたにもかかわらず、数多くの模写や印刷物によってその姿が現代に伝えられている。またミケランジェロ後にいくつかの派生作品を生み出すこととなった。たとえばフランソワ1世に招かれたフィレンツェ出身の画家ロッソ・フィオレンティーノはミケランジェロの『レダと白鳥』をもとに絵画を制作したことが知られている。1625年に学者でありパトロンのカッシアーノ・ダル・ポッツォはフォンテーヌブロー宮殿を訪れた際に、ロッソが描いた『レダと白鳥』について言及している。ロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する逸名画家の模写はおそらくロッソが描いたものと考えられている[3]。
ルネサンス期の建築家バルトロメオ・アンマナーティは、彫刻家としてミケランジェロのマニエリスム様式を模倣した。アンマナーティは早くも1540年頃に絵画として描かれた『レダと白鳥』を彫刻作品として模倣している[7]。アンマナーティのレダは眠らずに白鳥と戯れている[6]。このウルビーノ公のために制作された作品は現在ではバルジェロ美術館の重要な所蔵品となっている[7]。
ミケランジェロに対する最も重要な反響と考えられているのは、ティツィアーノが制作した『ダナエ』(Danae)である。レダを真横から描いたミケランジェロの作品が硬質で鋭い線(ハードエッジ)のレリーフ彫刻と似ているのに対し、色と光を強調したティツィアーノの『ダナエ』は優しく官能的である。1545年にローマで『ダナエ』を見たミケランジェロは、ティツィアーノの色彩、自然さ、恍惚とさせる力を賞賛したが、デッサン力を批判したと伝えられている[3]。
ルーベンスはイタリアに滞在する間にミケランジェロの作品や古代彫刻を見て模写を行っている。その中にはメディチ家礼拝堂の『夜』や『レダと白鳥』もあった。後にルーベンスは『サムソンとデリラ』(Samson and Delilah)のデリラを描く際にミケランジェロの構図を利用した。ただし類似性は大きいがルーベンスのデリラはより女性らしい繊細な表現を与えられている[8]。18世紀から19世紀のイギリスの画家ウィリアム・エッティは2人の入浴者を追加して『レダと白鳥』の複製を描いた[9]。
- ^ a b c d e f g “Studies for the Head of Leda”. カーサ・ブオナローティ公式サイト. 2021年3月29日閲覧。
- ^ アポロドーロス、3巻10・7。
- ^ a b c d e f g h i “Leda and the Swan, After Michelangelo”. ナショナル・ギャラリー公式サイト. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “Leda and the swan, mid 16th century, Unknown artist and Attributed to Rosso Fiorentino (1494 - 1540) and Formerly attributed to Michelangelo Buonarroti (1475 - 1564)”. ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ公式サイト. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “Circle of David Paton, François Sublet de Noyers, Baron de Dangu (1589??1645)”. ボナムズ公式サイト. 2021年3月29日閲覧。
- ^ a b c d 『神話・神々をめぐる女たち』p.90-91。
- ^ a b “Three Works To See In The Bargello”. Tuscany Villas. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “Samson and Delilah, Peter Paul Rubens”. ナショナル・ギャラリー公式サイト. 2021年3月29日閲覧。
- ^ “Leda and the swan, mid 16th century, Unknown artist and Attributed to Rosso Fiorentino (1494 - 1540) and Formerly attributed to Michelangelo Buonarroti (1475 - 1564)”. ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ公式サイト. 2021年3月29日閲覧。
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