ルイ14世 (フランス王) 評価

ルイ14世 (フランス王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/24 17:36 UTC 版)

評価

ルイ14世胸像。
ベルニーニ作、1665年、ヴェルサイユ宮殿蔵。

ルイ14世時代の史料は膨大にあるが[211]、歴史家たちから頻繁に引用されてきたのがサン=シモン公英語版の『回想録』である[212]。サン=シモン公はルイ14世と同時代に生きた貴族で、ヴェルサイユ宮殿に居室を与えられて晩年のルイ14世に仕え、ルイ15世の治世初期には摂政諮問会議にも加わっている[213]。『回想録』で彼は宮廷の日常や政治事件について考察や批評を綴った。ときに辛辣な記述もあり、サン=シモン公はこの『回想録』の公刊を意図していなかったが、フランス革命後の1829年に後継者たちによって出版された[214][213]。雑文家から優れた歴史家にまで利用されてきたサン=シモン公の『回想録』だが、必ずしも信用に足る内容ではないとの指摘もある[215]

18世紀の啓蒙主義を代表する思想家のヴォルテールは1751年に『ルイ14世の世紀』を公刊した。ヴォルテールは当時の政府に対する不満もあって、ルイ14世の偉業に魅せられた[216]。彼は歴史上の偉大な5人の人物にペリクレスアレクサンドロス大王カエサルロレンツォ・デ・メディチそしてルイ14世の名を挙げ、その中でもルイ14世をもっとも偉大な人物とし、彼の治世を「大世紀」(グラン・シエクル)と称えた[217]

フランス革命以降の19世紀は王を暴君と見なす世評が支配的となった。アンシャン・レジームの煩瑣な宮廷生活は時代遅れな軽蔑されるべきものと見なされ、王への滑稽な追従話や愛人スキャンダルばかりが取り上げられた[218]。歴史家たちはヴェルサイユ宮殿造営を浪費と捉え、財務卿フーケの処断やプロテスタント弾圧そして幾多の戦争は誤りであったと後知恵的解釈から批判した[219]。大著『フランス史』を著した歴史家ジュール・ミシュレは特にプロテスタント迫害の非道さを克明に描写して非難しており[220]、この時代を来たる大革命への予兆としたが、その征服活動は評価している[221]。1873年に発行されたピエール・ラルースの『汎用大事典』のルイ14世の評価は辛辣極まり、フランスに大災厄をもたらした戦争の動機はルイ14世の虚栄心・思い上がり・怨恨・私利私欲にあり、彼の政治・閨房・宗教・家族すべての決断の背後にあったのはエゴイズムであると断じている[222]。共和主義歴史家のエルネスト・ラヴィスも20世紀初頭に出版された『起源から革命までのフランス史』のルイ14世の治世の個所で戦争と常軌を逸した浪費、財政制度の欠陥、ナント勅令の廃止を批判し、領土拡大は評価したがベルギー併合に失敗したことを厳しく非難し、やはり共和政への必要な過程としかとらえなかった[223]

20世紀に入るとこのようなイデオロギー的誹謗への反動からルイ14世を擁護する論調も現れ、ルイ・ベルトランの『ルイ一四世』(1922年)やより学術的なピエール・ガクソットの『ルイ一四世のフランス』(1946年)がこの流れの代表的な文献である[221]第二次世界大戦後は単なる当時の逸話の面白おかしい解釈から脱して、さまざまな視点のルイ14世の伝記やヴェルサイユ宮殿の研究が出版され続けている[224]


注釈

  1. ^ フーケの逮捕は彼のライバルだったコルベールの陰謀であったとする説がある。長谷川 2002,pp.122-123.
  2. ^ ジェームズ1世(在位1603年 - 1625年)の時にイングランドスコットランド同君連合が成立しており、これ以前からイングランド王位と共有されていたアイルランド王位と併せて以降は便宜上「イギリス」と表記する。なお、イングランドとスコットランドが実際に合同して連合王国が成立するのは1707年である。
  3. ^ 1661年の歳入が3280万リーヴルだったのに対し、1683年の歳入は9300万リーヴルに増えている。もっとも歳出は1億900万リーヴルで、2000万リーヴル近い赤字であり、完全な健全化は叶わなかった。メチヴィエ 1955,pp.115-116.
  4. ^ ルイ13世と王妃アンヌ・ドートリッシュとが不仲になった原因は王妃が2度も流産を続けたためであった。ライトナー 1996,pp.204-206.
  5. ^ オリンピア・マンチーニはオーストリアの名将と謳われたオイゲン公の生母であり、オイゲン公はルイ14世の落胤と噂された。中野 2008,p.31.
  6. ^ ルイ14世とマントノン侯爵夫人の秘密結婚の正確な日付には諸説あるが、1683年10月9日とするのが一般的である。ベルセ 2008,pp.47-48.

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