ランド・アート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 02:02 UTC 版)
思想的背景
ランド・アートを同時代の美術思潮に位置づけることは難しくない。第一に、ランド・アートの初期の作家たちはミニマル・アートの洗礼を受けた彫刻家たちであった。ドゥワン・ギャラリーの“Earthworks展”には、モリス、ルウィット、アンドレなども名を連ねていた。スミッソンやデ・マリアの作品の「形」の単純さは、作品の巨大さがそれを強いたものではなく、積極的に追求されたものである。第二に、作品のアイディアが作品の価値を決定するもので、実際の制作プロセスは第三者にも委ねうるという発想は、コンセプチュアル・アートの発想でもある。そして最後に、最小限の加工による「自然の素材」への好みは、アルテ・ポーヴェラに通じる。
こうした個別の美術思潮に加えて、より大きな時代思潮との関係を指摘しておけば、その巨大さへの執着に、ケネディ・ジョンソン政権のもとでのアメリカの拡大主義を読みとれるし、美術館に入れることができず売買も困難な点からは、大資本に支援された美術館やギャラリーといった既成秩序への反抗、大自然への回帰、科学技術への不信など、当時のフラワー・チルドレン(ヒッピー)の志向性と同じものがある。若者たちのベトナム反戦運動のまさに最盛期に、“Earthworks”展は企画されていた。
もっとも、ランド・アートがその原点において反体制主義的、反エリート主義的なものをもっていたとしても、現実問題としてその巨大さを維持するには莫大な資金が必要とされる。皮肉にもそれを提供したのは、既存の体制の側であった。ドゥワンはスミッソンやハイザーたちの重要なパトロンでもあった。「稲妻の平原」はニューヨークのディア財団(Dia Center for the Arts)の委嘱作品であるが、同財団は現在建築中の「シティ」と「ローデン・クレーター」にも資金提供している。
さらに、その多くの作品は直近の町からレンタ・カーを何時間も飛ばさなければ、そもそも到達すらできない。「稲妻の平原」にはディア財団が宿泊施設を併設しているが、「可能なかぎり長い逗留」が推奨されるような作品である。これらは作品鑑賞の面でも、決して万人に開かれたものではない。
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