ラリー・ダーカー ラリー・ダーカーの概要

ラリー・ダーカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/25 01:50 UTC 版)

ラリー・ダーカー
Larry Dierker
2014年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ハリウッド
生年月日 (1946-09-22) 1946年9月22日(76歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1964年
初出場 1964年9月22日
最終出場 1977年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴

監督歴

  • ヒューストン・アストロズ (1997 - 2001)

経歴

選手時代

1964年に17歳でヒューストン・コルト45'sと契約。18歳の誕生日である同年9月22日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビュー[1]し、初回にウィリー・メイズから三振を奪った。新球場アストロドームに本拠地を移し、それに伴いチーム名がアストロズに変更された1965年は7勝、1966年6月14日ロサンゼルス・ドジャース戦でメジャー初完封を達成するなど10勝を挙げる。1967年は故障で6月21日を最後に離脱し6勝に留まるが、1968年は12勝15敗・233.2イニングを記録。1969年は前半戦で12勝を挙げ、オールスターゲームに初めて選出される。20勝13敗・防御率2.33・232奪三振、2012年現在も球団記録の305.1イニング・20完投を記録し、球団初の20勝投手となった。1970年は16勝12敗・防御率3.87の成績。1971年は5月までに9勝を挙げるなど前半戦で12勝を記録し、2度目のオールスターゲームに選出されるが故障のため登板はなく、8月8日を最後に離脱した。1972年は5月の3完封を含め前半戦だけで5完封を記録し、15勝8敗・防御率3.40だった。1973年は肩の故障で出遅れ、復帰後もリリーフとしての登板が多く1勝に終わる。1974年は先発に戻り、11勝10敗・防御率2.90と復活。1976年7月9日モントリオール・エクスポズ戦でノーヒッターを達成。11月23日に2選手との交換トレードで、1選手と共にセントルイス・カージナルスに移籍。1977年は故障もあって2勝に留まる。1978年3月28日に戦力外通告され、31歳で現役引退。

引退後はアストロズのフロントに入り、1979年からテレビラジオで専属コメンテーターとして活動した。

監督時代

1997年から、選手との確執が原因で退任したテリー・コリンズに代わってアストロズの監督に就任。指導者の経験が皆無だったため起用には疑問の声も上がったが、就任1年目で11年ぶりとなる地区優勝を果たす。アトランタ・ブレーブスとのディビジョンシリーズでは3連敗で敗退。1998年は球団記録の102勝を挙げて地区連覇。サンディエゴ・パドレスとのディビジョンシリーズでは1勝3敗で敗退するが、ナショナルリーグ最優秀監督賞を受賞した。1999年6月の試合中に意識を失い、検査の結果脳卒中と診断され、手術。1ヶ月後には復帰し地区3連覇を達成。しかしディビジョンシリーズではブレーブスに1勝3敗で、3年連続でディビジョンシリーズ敗退となった。新球場エンロン・フィールドが開場した2000年は地区4位に終わる。2001年は再び地区優勝を果たすが、ディビジョンシリーズでまたもブレーブスに3連敗で敗退し、解任される。

ダーカーのアストロズ在籍時の背番号「49」。
ヒューストン・アストロズの永久欠番2002年指定。

2002年5月19日に選手・監督時代を通じて着けていた背番号49』がアストロズの永久欠番に指定された。2004年から再び解説者として復帰。またアストロズの福祉団体の幹部も務め、自らの野球人生を綴った回顧録を2冊著している。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1964 HOU 3 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 36 9.0 7 1 3 0 0 5 2 0 4 2 2.00 1.11
1965 26 19 1 0 0 7 8 0 -- .467 611 146.2 135 16 37 4 3 109 8 2 69 57 3.50 1.17
1966 29 28 8 2 4 10 8 0 -- .556 776 187.0 173 17 45 0 1 108 4 0 73 66 3.18 1.17
1967 15 15 4 0 1 6 5 0 -- .545 410 99.0 95 4 25 0 1 68 7 0 44 37 3.36 1.21
1968 32 32 10 1 2 12 15 0 -- .444 981 233.2 206 14 89 12 8 161 20 0 95 86 3.31 1.26
1969 39 37 20 4 2 20 13 0 -- .606 1207 305.1 240 18 72 6 1 232 9 0 97 79 2.33 1.02
1970 37 36 17 2 4 16 12 1 -- .571 1132 269.2 263 31 82 4 6 191 8 0 124 116 3.87 1.28
1971 24 23 6 2 1 12 6 0 -- .667 647 159.0 150 8 33 1 2 91 6 0 50 48 2.72 1.15
1972 31 31 12 5 3 15 8 0 -- .652 887 214.2 209 14 51 0 5 115 3 1 87 81 3.40 1.21
1973 14 3 0 0 0 1 1 0 -- .500 120 27.0 27 3 13 0 2 18 2 0 14 13 4.33 1.48
1974 33 33 7 3 0 11 10 0 -- .524 913 223.2 189 18 82 4 6 150 8 3 76 72 2.90 1.21
1975 34 34 14 2 1 14 16 0 -- .467 982 232.0 225 24 91 6 7 127 13 1 109 103 4.00 1.36
1976 28 28 7 4 0 13 14 0 -- .481 790 187.2 171 9 72 6 6 112 12 2 85 77 3.69 1.30
1977 STL 11 9 0 0 0 2 6 0 -- .250 169 39.1 40 7 16 0 2 6 2 1 21 20 4.58 1.24
MLB:14年 356 329 106 25 18 139 123 1 -- .531 9661 2333.2 2130 184 711 43 50 1493 104 10 948 857 3.31 1.22
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし

獲得タイトル・表彰・記録

背番号

  • 49 (1964年 - 1977年、1997年 - 2001年)

  1. ^ 18歳でのメジャー出場は、現在のところこれが最後である。


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