ライムンド・オルシ
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名前 | ||||||||||||||
本名 |
ライムンド・ビビアニ・オルシ Raimundo Bibiani Orsi | |||||||||||||
愛称 | ムモ (Mumo) | |||||||||||||
ラテン文字 | Raimundo ORSI | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 |
アルゼンチン イタリア | |||||||||||||
生年月日 | 1901年12月2日 | |||||||||||||
出身地 | アベジャネーダ | |||||||||||||
没年月日 | 1986年4月6日(84歳没) | |||||||||||||
身長 | 169cm | |||||||||||||
体重 | 68cm | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | フォワード | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
1919-1928 | CAインデペンディエンテ | |||||||||||||
1928-1935 | ユヴェントスFC | 176 | (77) | |||||||||||
1935 | CAインデペンディエンテ | 32 | (9) | |||||||||||
1936 | ボカ・ジュニアーズ | 11 | (0) | |||||||||||
1937-1938 | CAプラテンセ | 27 | (10) | |||||||||||
1939 | CRフラメンゴ | 2 | (0) | |||||||||||
1939-1940 | クラブ・アルマグロ | 23 | (13) | |||||||||||
1940 | CRフラメンゴ | 1 | (0) | |||||||||||
1940-1942 | CAペニャロール | |||||||||||||
1943 | サンティアゴ・ナティオナルFC | |||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||
1924-1928 | アルゼンチン | 12 | (3) | |||||||||||
1929-1935 | イタリア | 35 | (13) | |||||||||||
1936 | アルゼンチン | 1 | (0) | |||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
クラブ
アルゼンチンのCAインデペンディエンテでキャリアを始めたが、より大きな成功を手にしたのは1928-29シーズンに加入したイタリアのユヴェントスFCでのことである。ここでは1930-31シーズンから1934-35シーズンまで、セリエAで5連覇を達成した。その後は南米に戻り、古巣のインデペンディエンテなどアルゼンチンのクラブや、ウルグアイのCAペニャロール、ブラジルのCRフラメンゴに在籍した。
代表
アルゼンチン代表としては1924年にデビュー。1927年南米選手権優勝、1928年アムステルダム五輪銀メダルを獲得した。
ユヴェントス移籍後の1929年からはイタリア代表選手となった。1934年ワールドカップ・イタリア大会では、5試合に出場して決勝戦の同点ゴールを含む3得点を挙げ、イタリアの初優勝に貢献した。同大会のイタリア代表には他にもルイス・モンティ、エンリケ・グアイタ、アッティリオ・デマリアらのアルゼンチン出身選手がいた。
アルゼンチン帰国後の1936年には再びアルゼンチン代表選手として1試合に出場している。
プレイスタイル
169cm、68kgと小柄ながらスピードとテクニックに優れ、鋭いドリブルで突破して、多くのゴールをあげた[1]。
- ^ 週刊サッカーマガジン 編 『サッカーマルチ大事典 改訂版』ベースボール・マガジン社、2006年、128頁。ISBN 4-583-03880-1。
- 1 ライムンド・オルシとは
- 2 ライムンド・オルシの概要
- 3 代表歴
固有名詞の分類
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