ライムンド・オルシ ライムンド・オルシの概要

ライムンド・オルシ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/28 05:30 UTC 版)

ライムンド・オルシ
名前
本名 ライムンド・ビビアニ・オルシ
Raimundo Bibiani Orsi
愛称 ムモ (Mumo)
ラテン文字 Raimundo ORSI
基本情報
国籍 アルゼンチン
イタリア
生年月日 (1901-12-02) 1901年12月2日
出身地 アベジャネーダ
没年月日 (1986-04-06) 1986年4月6日(84歳没)
身長 169cm
体重 68cm
選手情報
ポジション フォワード
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1919-1928 CAインデペンディエンテ
1928-1935 ユヴェントスFC 176 (77)
1935 CAインデペンディエンテ 32 (9)
1936 ボカ・ジュニアーズ 11 (0)
1937-1938 CAプラテンセ 27 (10)
1939 CRフラメンゴ 2 (0)
1939-1940 クラブ・アルマグロ 23 (13)
1940 CRフラメンゴ 1 (0)
1940-1942 CAペニャロール
1943 サンティアゴ・ナティオナルFCスペイン語版
代表歴
1924-1928 アルゼンチン 12 (3)
1929-1935 イタリア 35 (13)
1936 アルゼンチン 1 (0)
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
1928 アムステルダム サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

クラブ

アルゼンチンのCAインデペンディエンテでキャリアを始めたが、より大きな成功を手にしたのは1928-29シーズンに加入したイタリアのユヴェントスFCでのことである。ここでは1930-31シーズンから1934-35シーズンまで、セリエAで5連覇を達成した。その後は南米に戻り、古巣のインデペンディエンテなどアルゼンチンのクラブや、ウルグアイCAペニャロールブラジルCRフラメンゴに在籍した。

代表

アルゼンチン代表としては1924年にデビュー。1927年南米選手権優勝、1928年アムステルダム五輪銀メダルを獲得した。

ユヴェントス移籍後の1929年からはイタリア代表選手となった。1934年ワールドカップ・イタリア大会では、5試合に出場して決勝戦の同点ゴールを含む3得点を挙げ、イタリアの初優勝に貢献した。同大会のイタリア代表には他にもルイス・モンティ、エンリケ・グアイタ、アッティリオ・デマリアらのアルゼンチン出身選手がいた。

アルゼンチン帰国後の1936年には再びアルゼンチン代表選手として1試合に出場している。

プレイスタイル

169cm、68kgと小柄ながらスピードとテクニックに優れ、鋭いドリブルで突破して、多くのゴールをあげた[1]


  1. ^ 週刊サッカーマガジン 編 『サッカーマルチ大事典 改訂版』ベースボール・マガジン社、2006年、128頁。ISBN 4-583-03880-1 


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