モナコグランプリ
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過去のおもな出来事
- 1929年 - 初開催。ブガッティに乗るウィリアム・グローバー=ウィリアムズが優勝した。初優勝者を記念して、1991年にサン・デボーテ(第1コーナー)に彼の銅像が立てられた。
- 1931年 - モナコ出身のルイ・シロンが地元優勝を果たした。
- 1932年 - 4回目の開催で初めてブガッティ以外の車両が勝利。アルファロメオのタツィオ・ヌヴォラーリが優勝したものの、直後を同じアルファロメオで走っていたルドルフ・カラツィオラは車両にトラブルが出ていたヌヴォラーリを故意に抜かずに2番手をキープしたままゴールし、八百長ではないかということでレース後に物議をかもした。
- 1933年 - この年から決勝レースのグリッドポジションをくじ引きではなく練習走行のタイムを基準に決める方式に変更。その練習走行のタイムアタックでトップを争っていたルドルフ・カラツィオラがタバココーナーの壁でクラッシュし、右足に深刻な重傷を負う事故が発生。
- 1936年 - 豪雨の中の開催となる。ルドルフ・カラツィオラが2位に2分近いタイム差をつけ、3位以下を周回遅れにする圧勝。
- 1950年 - F1世界選手権開幕2戦目として開催。1周目にブラインドコーナーで多重事故が発生したが、優勝したファン・マヌエル・ファンジオはコースサイドの群集の動きから危険を察知し、接触を回避した。
- 1952年 - スポーツカーレースとして開催。トンネルでの事故で負傷したルイジ・ファジオーリが入院中に死亡。
- 1955年 - この年以降はF1の選手権として開催される。アルベルト・アスカリのマシンがシケイン付近で海中に転落したが、無事救助される[注 3]
- 1961年 - スターリング・モスがフェラーリの2台を振り切り、モナコ通算3勝目を達成。モスのレースキャリアにおいてベストレースのひとつにあげられる。
- 1963年 - グラハム・ヒルがモナコ初優勝。以後1964年、1965年、1968年、1969年と5勝を獲得し、「ミスターモナコ」と呼ばれる。
- 1965年 - ポール・ホーキンスのマシンがアスカリと同様にシケインから海に転落、その後無事救助された。
- 1966年 - エンジンの最大排気量が3リッターに変更された最初のレースとして開催。完走と認められたのは僅か4台で、2023年現在でもF1最少完走台数の記録を保持している。
- 1967年 - ロレンツォ・バンディーニのマシンがシケインで炎上。バンディーニは火傷により3日後に死亡。
- 1970年 - 最終ラップの最終コーナーでジャック・ブラバムが痛恨のスピンを喫し、ヨッヘン・リントが大逆転優勝。
- 1982年 - 終盤に上位が次々脱落し、リカルド・パトレーゼがF1初優勝。
- 1984年 - 大雨により赤旗終了。ルーキーアイルトン・セナとステファン・ベロフの追走が注目される。またこのレースでセナは初のファステストラップを記録している。
- 1988年 - トップ独走中のセナがポルティエ(第8コーナー)で単独クラッシュ。
- 1992年 - ナイジェル・マンセルが1位、セナが2位を走行していたが、レース終盤にマンセルがタイヤ交換で2位に後退してセナが1位に。ピットアウトしたマンセルがセナを猛追するモナコGP史に残るデッドヒートを展開したが、セナが抑え切って4連覇、5回目の優勝を達成。アクティブサスペンションによる圧倒的な競争力を誇ったウィリアムズのマシンを制した大金星。
- 1993年 - セナがモナコGP5連覇、並びにヒルの記録を塗り替えるモナコ通算6回目の優勝を達成。
- 1994年 - 前戦サンマリノGPで事故死したセナとローランド・ラッツェンバーガーへの哀悼の意を表して1・2番グリッドを空席とし、路面に両ドライバーの母国の国旗をペイントした。
予選中、カール・ヴェンドリンガーがシケインのバリアに激突。一時意識不明となる。ミハエル・シューマッハが自身初のポールポジションからモナコGP初制覇。 - 1995年 フリー走行でマシンがストップしたために、井上隆智穂が乗車しながらロープで牽引されている最中、突然飛び出してきたオフィシャルカー(ジャン・ラニョッティが運転していた)に衝突されマシンが横転した。その様子をモニターで見ていたシューマッハは大笑いした。また、そのシューマッハのドライブによりルノーエンジンが念願のモナコGP初制覇を達成。
- 1996年 - 雨中の乱戦でオリビエ・パニスがF1初優勝。リジェに搭載された無限エンジンにとってもF1初優勝。チェッカーを受けたのは僅か3台で、完走扱いを含めても7台のサバイバルレースとなった。
- 2004年 - ルノーのヤルノ・トゥルーリが自身初のポール・トゥ・ウィンでF1初優勝。ルノーエンジン9年ぶりのモナコ制覇(ルノーワークスとしては初)。またこのトゥルーリ以降モナコGPで初優勝を達成したドライバーは2019年モナコGP終了時点では出ていない。
- 2006年 - 予選中、シューマッハがラスカス(第17コーナー)に故意にマシンを停め、後続のフェルナンド・アロンソやマーク・ウェバーらのアタックを妨害したとして予選記録を無効抹消とされ、最後尾ピットからのスタートとなった(俗に言う「ラスカス・ゲート[6]」ないしは「ラスカス事件[7]」)。
- 2007年 - ワン・ツー・フィニッシュしたマクラーレンにチームオーダー疑惑発生(チームオーダーは2010年まで禁止だった)。
- 2008年 - 雨の決勝レース、フロントロウを独占したフェラーリの2台は奮わず、3番手スタートのルイス・ハミルトンがタイヤをパンクさせた序盤のミスを挽回しモナコGP初制覇。一時、非力なフォース・インディアで表彰台目前の4位まで浮上する活躍を見せたエイドリアン・スーティルだったが、キミ・ライコネンに追突されてリタイヤし男泣き。
- 2009年 - この年に台風の目となったブラウンGPがこのGPでも危なげなくワン・ツー・フィニッシュを決めるが、優勝したバトンはモナコのしきたりを知らず前述の珍事を起こす。
- 2010年 - レース終了直前に2台のマシンの衝突によりセーフティカーが入り、セーフティカー先導でレースが終了することに。しかしこの年セーフティカー退出時のルールが変更され、セーフティカーがピット入口のラインを越えた時点から追い抜きが可能となっていた。この年メルセデスから復帰したシューマッハはこれを利用し、最終ラップでセーフティカーが退出するや否やコントロールラインまでのわずかな間に前のフェルナンド・アロンソをオーバーテイク。しかしこれは明らかなルール違反で20秒加算のペナルティを受けた。この一件がセーフティカー退出時のルールが再考されるきっかけとなった。[8]
また、決勝レースで単独クラッシュしたルーベンス・バリチェロが苛立ちのあまり、マシンから出る際にステアリングホイールをコース上に投げ捨て、危険行為と高価な代物を粗末に扱ったことで非難された。ステアリングホイールは外装が傷ついただけで済んだ。 - 2011年 - 予選Q3でザウバーのセルジオ・ペレスがトンネル出口でバランスを失いヌーベルシケイン入口のバリアに高速で衝突。マシンは大破、ペレスは脳震盪を起こして決勝レースと次戦カナダGPを欠場し、カナダGPではペドロ・デ・ラ・ロサが代役を務めた。セバスチャン・ベッテルがモナコGP初制覇。
- 2013年 - メルセデスのニコ・ロズベルグが優勝し、父ケケ・ロズベルグが1983年に優勝してから30年越しで親子2代でのモナコGP優勝を達成。
- 2014年 - 予選Q3の終盤にロズベルグがミラボー(第5コーナー)でオーバーランしてエスケープロードにマシンを止め、イエローフラッグが振られる。これによりアタック中だったハミルトンはアタックを断念、ロズベルグがポールポジションを獲得し、決勝でロズベルグがポール・トゥ・ウィンを飾り2連覇するも物議を醸す。
- 2015年 - レース終盤に2台のマシンの衝突によりセーフティカーが入る。ポール・トゥ・ウィンを目指していたハミルトンは、後続のロズベルグやベッテルもこのタイミングでピットに入ると考えタイヤ交換のためピットインしたが2台はステイアウト。なんと戻った場所は彼らに続く3番手の位置だった[9]。ハミルトンはこの自滅によって3位でレースを終え、ロズベルグは図らずもF1史上4人目のモナコGP3連覇を達成した。
- 2016年 - このGPで改良型のルノーパワーユニットを積んだレッドブルのダニエル・リカルドがチーム久々かつ自身初のポールポジションを獲得し、雨の中スタートした決勝もこのまま優勝かと思われた。しかし雨が上がってきた終盤、2位のハミルトンのタイヤ交換(ウェットからウルトラソフトに交換)を見たレッドブル陣営はリカルドの交換タイヤを直前で「ソフト」から「スーパーソフト」に変更。しかしモナコ特有のピットの構造もあってガレージに適切に情報伝達されず、リカルドがピットインした時にタイヤが用意されていなかった[10]。このピットでのタイムロスによりリカルドはハミルトンに順位を明け渡す形となって2位でレースを終え、怒りと失意を口にした[11]。
- 2017年 - 予選でライコネンが自身2008年フランスGP以来のポールポジションを獲得し、フェラーリがフロントロウを独占。決勝ではベッテルがライコネンを逆転して優勝。これは自身にとって6年ぶりのモナコGP優勝、チームとしては2001年以来16年ぶりのモナコGP優勝、及び2010年ドイツGP以来のワン・ツー・フィニッシュとなった。
- 2018年 - コースレコードを塗り替える走りで自身2度目のポールポジションを獲得したリカルドだったが、決勝では19周目でMGU-Kの故障により180馬力を失い、回生ブレーキが効かなくなったことに伴うリアブレーキの加熱、その上柔らかいウルトラソフトタイヤでロングランを強いられるという苦境に立たされた。しかし手負いのマシンで逃げ切って優勝し2016年の雪辱を果たした[12]。
- 2019年 - 元F1王者でメルセデスの重役を務め、前週の5月20日に亡くなったニキ・ラウダをF1全体で追悼。決勝スタート前にドライバー達は彼のトレードマークだった赤いキャップを着けて黙祷し、メルセデスは特別に1戦限りの赤いハロを2台のマシンに着けて臨んだ。
決勝はポールからスタートしたハミルトンがチームの選択ミスにより終盤タイヤを使い果たしていたが、マックス・フェルスタッペンのテール・トゥ・ノーズの猛追を辛くも抑え切り優勝(フェルスタッペンは5秒加算ペナルティで4位に降格)。自身をメルセデスに引き入れてくれたラウダの死去に人一倍ショックを受けたハミルトンにとっては、ラウダに捧げる特別な勝利となった。 - 2020年 - 1月下旬より新型コロナウイルスの感染が世界に拡大し、各国で多くのスポーツ大会が中止する決断が行われた。F1も例外でなく、当初は計画上の第4戦に開催予定であった中国GPの開催延期のみにとどまっていたが、開幕戦オーストラリアGPの中止をきっかけに5月までに開催されるレースはすべて延期が決定した。そして3月19日(UTC)、当初は延期にとどまっていたモナコGPだったが、主催者は今年のレースを中止にすると発表。そのため、1955年にF1レースとして始まって以来66年ぶりの開催中止となった。
- 2021年 - フェラーリのシャルル・ルクレールが母国レースで自身初、チームとしても久々のポールポジションを獲得したが予選最終アタックでクラッシュ[13]。ギアボックスには損傷はなかったが、ドライブシャフトにトラブルが出て決勝レースをスタートできなかった[14]。
ポールシッターが不在となったレースはフェルスタッペンが支配し、ホンダに1992年以来29年ぶりのモナコGP優勝をもたらした。メルセデスのハミルトンが奮わずボッタスがリタイアしたことで、自身及びレッドブル・ホンダ体制になってから初のドライバーズ・コンストラクターズの両方でポイントリーダーとなった[15]。
リタイアしたボッタスだが、ピットでのタイヤ交換の際にホイールナットの角をホイールガンで削ってしまい(俗に言う「なめる」)、ホイールを外せなくなるという前例の無いトラブルに見舞われた。そのためマシンは一度英国に送り返され、ファクトリーでホイールを外す作業が行われた[16]。 - 2022年 - 雨の中スタートした決勝レース26周目にハースのミック・シューマッハがプールサイドシケインで単独クラッシュした際、マシンがリヤセクションが離断するほど大破した。低速コースとしては異例の大きな破壊度であったため他のドライバー達はこれを深刻視し、検証と対策を求める声を上げた[17]。
決勝レースは、フェラーリが予選でフロントロウを独占していながらピット戦略の度重なる混乱によりレッドブルの先行を許し、前年に移籍したペレスがモナコGP初勝利[18]。しかし、予選Q3でペレスがクラッシュしフェルスタッペンのアタックを妨害する形になった件は、シーズン終盤にルクレールとドライバーズランク2位を争っていたペレスを優位にするためにサンパウロGPにおいて出されたチームオーダーをフェルスタッペンが頑なに拒否することにつながり、2人の間に亀裂を生むきっかけとなった[19]。 - 2023年 - 車体規則が変更された前年、メルセデスは他チームと異なる極小のサイドポッド「ゼロポッド」を採用したが、ここに至るまで戦闘力と挙動安定性を著しく欠き、ついにこのGPから他チームと同様のサイドポッドを導入した。このマシンはハミルトンがフリー走行でクラッシュした際に奇異に映るほど高くクレーンで持ち上げられ[20]、グラウンドエフェクトカーの肝であるアンダーフロアが早速「公開」された。メルセデス代表のトト・ヴォルフは「クレーン操縦者はシルク・ドゥ・ソレイユ出身だったのだろう」と揶揄した[21]。また、予選Q1でクラッシュしたペレスのマシンも同様に高々と持ち上げられ、最速マシン『レッドブル・RB19』の戦闘力の秘訣の一端が露わになることとなった[22]。
注釈
出典
- ^ “モナコの不運がボッタスのF1キャリアを左右か。メルセデス後には魅力的な選択肢なし”. autosport web (2021年6月1日). 2021年6月1日閲覧。
- ^ a b c Christian Sylt and Caroline Reid / Me (2010年5月14日). “モナコ、そのたぐいまれな引力”. ESPN F1 2012年1月13日閲覧。
- ^ 尾張正博 "F1ピットストップ「メルセデスのテストは違反行為か!?魔の金曜日にF1界騒然の事件発覚。」". Number Web.(2013年5月31日)2013年6月29日閲覧。
- ^ 辻野ヒロシ (2008年11月18日). “セナの名前がF1に帰ってくる!?”. All About 2012年1月13日閲覧。
- ^ “チェッカーフラッグを振るセリーナ・ウィリアムズ”. pbs.twimg.com. ESPN Vivo. 2021年12月17日閲覧。
- ^ “用語集>ラスカス”. Formula1-data. 2023年3月28日閲覧。
- ^ [1] TOPNEWS 2010年5月13日
- ^ “モナコGP シューマッハに20秒加算ペナルティ!”. ESPN F1 (2010年5月17日). 2016年8月28日閲覧。
- ^ “How tyre confusion influenced Hamilton’s pit call”. F1 Fanatic (2015年5月25日). 2015年5月28日閲覧。
- ^ “レッドブル、ピットストップでのミスを防ぐための予防策を約束”. オートスポーツweb (2016年6月2日). 2016年6月8日閲覧。
- ^ “モナコGP優勝を逃し、怒りのリカルド「2レース連続で失敗された」 ミスはなぜ起きたのか”. オートスポーツweb (2016年5月30日). 2016年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月8日閲覧。
- ^ “三重苦となったマシンを生還させたリカルドの力走【今宮純のF1モナコGP決勝分析】”. オートスポーツweb (2018年5月29日). 2019年5月28日閲覧。
- ^ “ルクレールが母国でポールポジション獲得も、最終盤にクラッシュ。フェルスタッペンが2番手【予選レポート/F1第5戦】”. autosport web (2021年5月23日). 2021年5月24日閲覧。
- ^ “モナコGPポールポジションのルクレールに悲劇……ドライブシャフトにトラブル発生で決勝出走できず”. motorsport.com (2021年5月23日). 2021年5月24日閲覧。
- ^ “F1モナコGP決勝:フェルスタッペン完勝で選手権首位に。PPルクレールに悲劇、角田は16位”. motorsport.com (2021年5月24日). 2021年5月24日閲覧。
- ^ “悪夢……なぜボッタスのピットストップは、”43時間”もかかったのか?”. motorsport.com (2021年5月30日). 2022年6月1日閲覧。
- ^ “モナコGPの大クラッシュにドライバー達ショック。まさかのマシン“真っ二つ”に検証の必要性訴える”. motorsport.com (2022年5月31日). 2021年5月31日閲覧。
- ^ “レッドブルのペレス、感涙のモナコ初優勝。サインツJr.との激闘を制す|F1モナコGP決勝”. motorsport.com (2022年5月30日). 2022年6月1日閲覧。
- ^ “ペレス、フェルスタッペンのチームオーダー無視に不満たっぷり「アレが”本当のアイツ”だ……」”. motorsport.com (2022年11月14日). 2023年5月29日閲覧。
- ^ モンテカルロ市街地コースはコースが狭くランオフエリアが限られているため、クレーン車が入れない場所でクラッシュするとコース外からクレーンで吊る必要があり、必然的にクレーンの動作範囲が大きくなる。
- ^ “新フロア大公開!メルセデス代表、宙吊りになったマシンに苦笑い「サーカスみたいだ」”. motorsport.com (2022年5月28日). 2023年5月29日閲覧。
- ^ “フロア写真は空力エンジニアの”大好物”!モナコGPで宙吊りにされたレッドブルRB19を「舐め回す」とメルセデス”. motorsport.com (2022年5月29日). 2023年5月29日閲覧。
- ^ “History”. モナコ自動車クラブ(ACM) (2017年1月17日). 2021年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月25日閲覧。
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- 4 過去の結果
- 5 脚注
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