モガディシュ 名称

モガディシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/28 02:51 UTC 版)

名称

モガディシュ(Mogadishu、Mogadischu)は英語ドイツ語などで用いられる名称で、イタリア語フランス語スペイン語などではモガディッショ、モガディシオ(Mogadiscio)と呼ばれる。公用語であるソマリ語ではムクディショ(Muqdisho)、アラビア語ではマカディーシュー(アラビア語: مقديشو‎)と表記される。

名前の由来は明らかではない。一説によると、「シャーの玉座」を意味するアラビア語のmaqad shahのソマリ語表現と言われているが、他にはスワヒリ語で「最北の都市」を意味するmwyu maのソマリ語表現という説もある。

歴史

1980年代の街並み
モガディシュの住居地域とアメリカ軍のヘリコプター(1992年)

モガディシュの地には、900年アラブ人や黒人の植民者が定住し、12世紀初頭にはアフリカ東海岸における一大商業拠点にまで発展し、その交易の様子は14世紀に訪れたイブン・バットゥータが記している。15世紀には鄭和の船団の訪問を受けている(「木骨都束」と記されている)。16世紀にはポルトガルの支配下に入った。1871年ザンジバル島スルタンにより征服され、1892年イタリア租借地となった。イタリアは1905年にこの都市を買い上げ、イタリア領ソマリランドの首都とした。第二次世界大戦中は、ケニアを拠点とするイギリス軍に占領された。

1970年代より続くソマリア内戦では、1990年に反乱軍側がモガディシュを奪取した。その後、反乱軍内部の部族間、派閥間の抗争が激化し、都市は大きく破壊された。1992年から1995年まで内戦に介入した国連平和維持軍が駐留したが、1993年10月には派遣されたアメリカ軍とアイディード派の地元民兵の間に戦闘が発生し、アメリカ軍兵士に18人、平和維持軍のマレーシア兵に1名の死者、ソマリア人にも多数の死傷者が出た(モガディシュの戦闘)。

現在のモガディシュは、人道支援者への襲撃や部族間抗争が依然として続いていることから、きわめて危険な状態にある。国際的に認知されているソマリア暫定連邦政府の所在地でもあったが、2006年6月にイスラム法廷連合(UIC)がアメリカの後援をうける「平和の回復と対テロ同盟」を破って実効支配を開始した。厳格なイスラーム法を施行するUICにより治安は回復し、モガディシュ国際空港や港湾も開放され、アラブ首長国連邦との通交が行われたという。だが情勢はむしろ悪化しており、2006年12月28日、ソマリア暫定連邦政府軍がエチオピア軍の支援の下にモガディシュを一時制圧し、アフリカ連合軍が治安維持に当たった。その後もイスラム武装勢力とソマリア暫定連邦政府とが勢力確立を争っていたが、2008年8月のソマリア暫定連邦政府とUICの後身であるARSの穏健派グループが、ジブチ合意(停戦等)に署名。2012年9月10日にハッサン・シェイク・モハムッドが連邦議会により新大統領に選出され就任したことから、再び国家首都として機能している。

2017年10月にはトラック爆弾による同国史上最悪の爆発があり500人以上が死亡。2022年10月には教育省の前で爆発があり100人以上が死亡するなど、テロが続いている[5]

地理

モガディシュの荒廃した通り"Green Line"。この通りは北と南にモガディシュを分けるものとなっており、部族闘争の境界線でもある。
新しい道路(2015年)

Gezira Beachを始め以前はリゾートであった砂浜がある。内戦中は事実上閉鎖状態だったが、2011年からはリドで海水浴が復活している[6]

エチオピア中央部からインド洋へ向かって下るシェベル川が街から30kmのところで海岸と平行になりキスマヨ近くでジュバ川と合流する。サトウキビ、綿花、バナナの栽培に重要な水源である。

上空から見た街の広がり







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