メルセデスAMG F1 歴史

メルセデスAMG F1

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 23:38 UTC 版)

歴史

メルセデスは2009年11月16日ロス・ブラウンが所有するブラウンGPを買収してメルセデスGPとすること、株式をメルセデスが45.1%、アブダビ企業のアーバー・インベストメンツが30%取得したことを発表しした[1]。メルセデスのグランプリ参戦は1955年以来54年ぶりである。本項ではメルセデスベンツのすべてのレース参戦記録について述べる。

メルセデスAMG(GP)以前のメルセデスのグランプリでの活動はいくつかの時代に分けられる。まず1935年から1939年までの活動、次が1954年と1955年。そして1993年から2009年に至るまでのエンジンサプライヤーとしての活動である。

1930年代

メルセデス・ベンツの車両は第二次世界大戦前からモータースポーツに盛んに登場していた。

1935年から1939年の第二次世界大戦勃発まで、メルセデス・ベンツとアウトウニオンのドイツ勢は、ヨーロッパのモータースポーツ界を完全に席巻し、F1世界選手権の前身である[2]AIACRヨーロッパ選手権のタイトルをメルセデスとアウトウニオンが独占した。

メルセデス・ベンツチームはレース監督アルフレート・ノイバウアー(サインボードの発明者である)により、まさに軍隊的規律の元でレースに臨み、結果を出し続けた。

戦前のグランプリ・レース用主要マシンはW25(1934年 - 1936年)、W125(1937年)、W154(1938年・1939年)、W165(1939年)で、いずれもフロントエンジンながら、時代の最先端を行く性能を有していた。当時の主要ドライバーは、ルドルフ・カラツィオラ(1935年、1937年、1938年ヨーロッパチャンピオン)、マンフレート・フォン・ブラウヒッチュManfred von Brauchitsch)、ヘルマン・ラングHermann Lang)(1939年ヨーロッパチャンピオン)、ディック・シーマンDick Seaman)。シーマンのみ、英国出身で、他は皆ドイツ人である。

1937年に登場したマシンW125に到っては600馬力を超えるエンジンを持ち、最高速度は現代のF1と遜色ない340km/h以上に達し、そのためW125はターボ・マシン登場以前の1970年代後半になるまで史上最強・最速のレーシング・カーであるとの伝説を保ち続けていた。

同年のアーヴス・レンネン(アーヴスレース;フリー・フォーミュラ=制限なしで行われた)では、ヘルマン・ラングが特製された流線型ボディのW25に乗り、260.7km/hという現代でも驚かされるような平均速度で優勝しているが、クローズド・サーキットの記録としてはその後20年以上及ぶものはなく、オーバルを使用するインディ500において優勝者の平均速度がこの記録を上回るのは1972年のマーク・ダナヒュー(マクラーレン・オッフィー)の平均261.08km/hを待たねばならないほどである。メルセデスとアウトウニオンは、同年のアーヴス・レンネンの直線では、実に380km/hを出していたと言われている。

1939年のトリポリグランプリ(イタリア領リビアのメラハサーキットで開催。メラハサーキットは一周13kmの高速コースで、当時『モータースポーツのアスコット』と呼ばれていた)は、レース開催の8か月前になって、強すぎるドイツ勢を締め出すべく、当時の国際フォーミュラである3リッター・マシンではなく、イタリア国内ルールである1.5リッター・マシンで実施されることとなった。イタリア側としては短期間での新型メルセデス、新型アウトウニオンの製造は不可能と考えたためであるが、メルセデス・ベンツチームはその当時の3リッター・マシン、W154のミニチュアともいうべきW165を短期間で完成させ、同グランプリにおいてもメルセデス以外の全車を周回遅れとして1-2フィニッシュ(ラング、カラツィオラ)を飾ることとなる。ラングの平均速度は197.8km/hを記録している。なお、W165の実戦はこの年のトリポリグランプリのみであった。

また、ルドルフ・カラツィオラはモータースポーツのみならず、速度記録にも挑戦し、メルセデス・ベンツのレーシングカーを改造したレコードブレーカーに乗り、数々の速度記録を打ち立てている。1938年には、フランクフルト:ダルムシュタット間のアウトバーンにおいて、フライング・キロメーターで432.7km/hを記録している。

1935年から再開されたヨーロッパ・ドライバーズ選手権において、メルセデスのシルバー・アローとアウトウニオンのシルバー・フィッシュは激しく争った。この選手権は1939年8月20日スイスグランプリまで続いたが翌月の第二次世界大戦の勃発によって消え去った。

シルバー・アローという呼称

1934年にニュルブルクリンクで開催されたアイフェルレンネンで、新型のメルセデスW25が750kgの規定重量を1kgオーバーしてしまい、軽量化するために当時のドイツのナショナルカラーであった白の塗装を一晩をかけて剥がしアルミむき出しのボディーで出場したという逸話がある。この出来事がシルバー・アローという呼称のはじまりであるとする説はメルセデス・ベンツが日本公式ウェブサイトで紹介しているほど一般的になっている。[3] この逸話はノイバウアーが自伝を出版した1958年に初めて世に出たもので、このエピソードを裏付ける当時の他の資料は見つかっていない。一方で、1932年には既にフォン・ブラウヒッシュが銀色のメルセデスSSKLでアヴスのレースに出走しており、当時のラジオ放送でその車両がシルバー・アローと呼ばれていた。加えてアイフェルレンネンより以前に開催された1934年のアーヴス・レンネンにメルセデスとアウトウニオンはともに銀色のレースカーを出走させており、また1934年のアイフェルレンネンは出走台数を確保するため1934年導入の新フォーミュラ(最大重量750kg)ではなく以前のフォーミュラ・リブレ(最大重量規定無し)のレギュレーションで開催されたため、1934年のフォーミュラに合わせて設計されたW25の重量が問題になるはずは無かった[4]

1954年・1955年

第二次世界大戦によってメルセデスは大打撃を受けた。生産施設は破壊され、加えて戦前・戦中にナチスに協力したと見られてその補償も義務付けられた。メルセデスにとってグランプリへの復帰は悲願であったが、当分のレース活動は市販のメルセデス・ベンツ・300SLを用いたル・マン24時間レースなどに限定された。

1954年に満を持して再びノイバウアーを監督としてメルセデスはF1世界選手権への参戦を決定した。ドライバーには1951年チャンピオンのファン・マヌエル・ファンジオを迎えた。マシンはメルセデス・ベンツ・W196という革新的なクルマであった。このクルマが7月にランス・グーに現れたとき、それはオープンホイールですらなかった。このマシンでファンジオはポールトゥーウィンを飾り戦前のメルセデスの強さは健在であることを見せ付けた。ただしこのマシンはサーキットによってはボディーが大きすぎることがわかったので、オープン・ホイールのタイプも作られた。

ファンジオやスターリング・モスの活躍により出走した12レースで9勝(詳細は以下に記載する)を挙げた。両年ともにファンジオがワールドチャンピオンを獲得した。

しかし、1955年のル・マン24時間レースピエール・ルヴェーの運転するメルセデス300SLRがクラッシュし、分解したマシンのエンジンとサスペンションが200km/hを超える速度のまま観客席に飛び込み、200名以上の観客を死傷させる大惨事となった。死者に哀悼の意を表し、メルセデスは事故の数時間後に自チームの全車両を自主リタイアさせ、レースから撤退した。[5][6]この事故を受け、スイスではサーキットを使用するモータースポーツ自体が禁止される事態となった[5]。また、メルセデスは1955年末で全てのモータースポーツ活動から撤退し、その後1980年代になるまで復帰することはなかった[5]

シャーシ エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 ポイント ランキング
1954 W196 メルセデス M196
2.5L L8
C ARG 500 BEL FRA GBR GER SUI ITA ESP -* -*
ファン・マヌエル・ファンジオ 1 4 1 1 1 3
カール・クリンク 2 7 4 Ret Ret 5
ハンス・ヘルマン Ret Ret 3 4 Ret
ヘルマン・ランゲ Ret
1955 W196 メルセデス M196
2.5L L8
C ARG MON 500 BEL NED GBR ITA -* -*
ファン・マヌエル・ファンジオ 1 Ret 1 1 2 1
カール・クリンク 4 Ret Ret 3 Ret
ハンス・ヘルマン 4 PO
スターリング・モス 4 9 2 2 1 Ret
アンドレ・シモン Ret
ピエロ・タルッフィ 4 2
  • 太字ポールポジション斜字ファステストラップ。(key)
  • † - この3人は1台のマシンを3人でドライブした。当時長時間にわたるレースではしばしばこういうケースが存在した。
  • * - コンストラクターズタイトルは1958年から設定された。このためコンストラクターとしてのポイントやランキングは存在しない。

モータースポーツへの復帰

1980年代に入ってメルセデスはモータースポーツへの復帰を表明し、スポーツカーレースへの参加を始めた。ザウバーと共同でWSPC(世界プロトタイプカー選手権)への出場、1989年のドイツF3選手権でのランキング上位3名であるミハエル・シューマッハハインツ=ハラルド・フレンツェンカール・ヴェンドリンガーの若手ドイツ系ドライバー[7]の育成プログラムを開始する等、徐々に本格的な関わりを構築していった。

ル・マン24時間レースにも1985年に復帰した。初年度はザウバー・C8がミュルサンヌで宙を舞うアクシデントを起こしたが、1989年には見事総合優勝を遂げる。後年、1999年には犠牲者こそ出なかったが予選、フリー走行、決勝レースでメルセデス・ベンツ・CLRが宙を飛ぶ事故を計三度も起こしてしまった。この際もレースでの事故発生直後に全車をリタイアさせており、その後のル・マンには参戦していない。

1993年-2009年 F1エンジンサプライヤー

1990年代序盤にはフォーミュラカー用エンジンビルダーであるイルモアに資本参加し、インディカーおよびF1へ復帰。1993年にイルモアエンジンをConcept by Mercedes-Benzとしてこの年から同じくF1へ参加したスポーツカーレースでのパートナー、ザウバーに提供した。翌1994年から正式にF1への復帰を宣言し、ザウバーにメルセデス・ベンツのバッジを付けたエンジンを供給した。この間、1991年からF1に参戦し、翌1992年にF1初勝利を挙げていたシューマッハは1994年にドイツ人初のドライバーズタイトルを獲得。また、1993年からヴェンドリンガー、1994年からフレンツェンが共にザウバーのシートを得て、ここにドライバー育成プログラムは一定の結果を生み出す事になった。

1995年からはザウバーからマクラーレンに供給先を変えた。マクラーレンは1997年からスポンサーをマールボロからウエストに変更し、同社のタバコパッケージをもじってマシンのカラーリングをシルバーに変更した。以降メルセデスエンジンを搭載したマクラーレンが「シルバー・アロー」と呼ばれることになった。1998年にはミカ・ハッキネンがドライバーズタイトルを獲得し、コンストラクターのタイトルも獲得した。1999年にはコンストラクターのタイトルは逃したものの、ハッキネンが選手権2連覇を果たした。2008年にはルイス・ハミルトンがドライバーズタイトルを獲得した。

2009年にはフォース・インディアブラウンGPにも供給した。ブラウンGPに所属するジェンソン・バトンがドライバーズタイトルを獲得し、同チームもコンストラクターズタイトルを獲得した。

マクラーレン・グループの株式をダイムラーが40%を取得していたことから、マクラーレンを完全買収してメルセデス・ベンツ単独でのF1参加を画策しているという噂は根強かったが、2009年11月16日にブラウンGPの株式をアブダビ政府系の投資会社アーバーインベストメントと共に75.1%をダイムラーが取得し2010年のF1世界選手権からメルセデスGPとして参戦するとしている。また同時に2011年までにマクラーレン・グループ株式を全てマクラーレン・グループに売却をしエンジン供給については2015年まで延長する発表を行った[8]が、マクラーレンは1年早い2014年をもって20年に渡るメルセデスとの協力関係を終了した。


注釈

  1. ^ 139750点はコンストラクターズタイトル制定前の1954-1955年に記録された。

出典

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  7. ^ ヴェンドリンガーはオーストリア人である
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  65. ^ ルイス・ハミルトンのフェラーリ電撃移籍が正式発表! 黄金時代築いたメルセデスは今季限りで離脱……跳ね馬株価も過去最高値を更新”. motorsport.com (2024年2月2日). 2024年2月11日閲覧。





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