ミーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/28 21:32 UTC 版)
利己的遺伝子の進化
ミーム学を理解するために、利己的遺伝子の理論を理解する必要がある[2]。ミーム学は進化論に基づいているが、進化論といっても、学者によって、また学者以外の論者によって、様々な理論がある。ミーム学で必要なのは、利己的遺伝子の理論である。ミーム学には以下の二つのことを理解する必要があるからである。
- 進化とはどのようなものか。
- 脳はどのように進化してきたか。
- 突然変異
- 遺伝子はDNAの中にあり、DNAは細胞の核の中にある。ひも状のDNAに、一般に生命の設計図と言われる遺伝情報が記録されているが、その中の、自分の複製(自己複製)を作ろうとする一部一部を遺伝子と呼ぶ。DNAにはたくさんの遺伝子が含まれる。後に述べるように遺伝子は「利己的に」自己複製する。
- DNAの遺伝情報はほとんどの場合、次世代へ正確に複製される。しかし、まれに複製の時に遺伝情報に誤りが生じる。その誤りが突然変異である。
- 突然変異といっても様々な突然変異があり、突然変異を定義することは単純ではないが、平易な表現では遺伝情報の中の小さな部分が変化することである。さらに突然変異による進化が、急激に生物を大きく変化させるのか、それとも少しずつ変化させていくのかといった議論は、意見が分かれている[9]。
- 自然淘汰
- 遺伝情報の突然変異により、DNAは多様化する。そして生存競争の結果、どのDNAが自己の複製を次世代に伝えられるかということで、遺伝情報は選択されていく。この選択が自然淘汰である(自然淘汰の原語は natural selection、日本の訳語では自然選択もある)。ただし、このプロセスは実際には複雑であり、研究、議論が続いている[9]。
- 進化
- 生物は遺伝子の突然変異によって多様化し、多様化した生物の中から、環境に適応できる生物とそうでない生物が自然淘汰でふるいにかけられる。そうして残った子孫のDNAは、滅びたDNAよりも適応力の強い要素を持っている。このようにして、生物のDNAが環境に適応できる方向へ変化することが、進化である。
- こうした進化が、DNAの情報だけでなく、心の世界の情報でも起きると考えるのがミーム学である。
- 利己的遺伝子
- チャールズ・ダーウィンは、生物の進化をそれぞれの個体が子孫を残せるかどうかで論じたが、ダーウィンはDNAのことは知らなかった。実際には、複製されるのは、個体そのものではなくDNAである。DNAの中の遺伝子が、自分の複製を残すために進化しているというように、進化のプロセスを遺伝子の視点で考えるのが利己的遺伝子の理論である。ただし、実際に遺伝子が視点や意志を持っているという意味ではない。私達が遺伝子の視点に立って考えることで、進化が分かりやすくなるということである。
- 利己的遺伝子と呼ぶのは、進化が人間の幸福のためではなく、遺伝子がいかに自己複製を増やすか、をめぐって進行しているように見えるからである。例えば、私達が強い性的衝動を持つように進化してきたのは、私たちに性的衝動を持たせることが、ある遺伝子の自己複製に必要だからであり私達の生存や幸福のためではない、という視点である。一方、私たちの視点からは「私たちに性的衝動を持たせるために、その役割の遺伝子がある」と言えるが、この視点が間違いな訳ではない。両者の違いは視点の違いであり、「性的衝動は生存や幸福に役立たない」という意味ではない。しかし後に述べるように、遺伝子は必ずしも私たちの生存に役立たない。
- 遺伝子の視点に立てば、遺伝子が存在する理由は、自分の複製をDNAに残すためだけで、私たちの生存に貢献するためではない。遺伝子は自分を複製させるために、宿主である生物を利用している。DNAは細胞核の中で自分が複製されるのを待ち、宿主に食べ物を探させ、結婚相手を見つけさせ、敵と闘わせる。
- 利他的行動
- 利己的遺伝子の理論は、逆説的に動物の利他的行動について説明できる。働きバチは、母親の女王のために働くだけで、自分では子供を産まない。なぜなら、自分の生む子供のDNAよりも女王が生む子供のDNAの方が、自分のDNAに近いからである。
- 進化の方向
- このように、利己的な遺伝子の視点から見れば、生物は遺伝子が自己複製するための乗り物である。利己的遺伝子にとって大事なのは自己複製であって、私達の肉体がよりよいものになることや、よりよい知性を身につけることではない。つまり遺伝子は、より多くの自己複製ができる方へ進化していくのである。
- そのため進化とは、生存に適した肉体や知性を作るということは目的にしていない。したがって馬や犬などの動物がいつしか人間と同じ知性を持つようになるといった進化の方向性はない。例えば、昆虫は人間にあるような知性を持たないが、昆虫のDNAは人間より多く複製されている。
- 生物が生存しなければDNAの複製もできないため、DNAの進化は結果的に生存を助けることが多いが、寿命が短い生物が長い生物よりも繁殖力が強いケースもある。生存への利益と利己的遺伝子の複製への利益が天秤に掛けられた場合、複製への利益が常に優先される。
- 適応度
- 生物がどれだけ自分の複製を作れるかを「適応度」という。適応度の高い生物ほど自分たちを増やし、適応度の高い生物が自然淘汰で生き残る、というのがダーウィンによる進化の考え方であった。しかし利己的遺伝子の考え方では、生物ではなく、適応度の高いDNAが複製されることで進化は進行していくのである。すでに述べたように、複製されるのは生物の個体ではなくDNAだからである。
- 適応度の高さは、ただ自己複製をいくつ残せるか、を意味するのであって、身体の頑強さ、知性、寿命といったものは一切関係ない。
- 適応度はどのように決まるのか。資源の奪い合いにより、あるDNAが他のDNAに勝利することもありうるが、自然淘汰の働き方は資源の奪い合いとは限らず、地球環境の変化、異性の奪い合いなど、この世のあらゆるものが適応度へ影響を与えうる。
- 「設計」されない進化
- 進化において、肉体的な機能は、その機能の目的に合うように合理的に設計される訳ではない。進化は「設計」されるものではなく、様々な突然変異の偶然が重なって進化するからである。そのため、機能から考えれば不合理な肉体に進化することもある。例えば私達の目は不合理な構造の部分がある。進化は偶然生まれたものや不合理な部分が重なって進行していくためである。生存に適する遺伝子と、生存に適さない遺伝子では、もし後者の方がより適応度が高い場合、自然淘汰で生き残るのは後者の遺伝子である。
- 「進化」とはこのような現象であるため、ミームの進化においても、私達の利益になるかどうかではなく、適応度の高いミームが生き残る。
- 脳
- 私達の脳は、芸術を生み出したり学問を積んだりすることができ、これらはDNAの複製に結びつかず、不合理であるが、進化とは目的に合うようになった段階でストップする訳ではないのである。DNAにとって脳の本来の目的は、DNAの複製のための生存と生殖であるが、脳は生存と生殖に注意を払うようになってからも進化が止まらなかった。そうして私達の「意識」が、生存と生殖の機能の上に偶然生まれ、その意識の上に、様々な思考が作られているのである。そうした思考は、DNAの複製という目的からすれば、不必要な脳の使い方である。しかし脳の進化が設計されたものではないがゆえに、こうした脳の使い方が可能になったのである。
- このように進化してきた脳は、優先的に生存や生殖に注意を払うため、その脳が行う思考も生存や生殖に自然に偏る。この傾向はミームを考える上で大切なポイントになる。
- また、人間の脳は石器時代からほとんど進化していない。脳は石器時代に生き延びて子孫を残すように進化したが、現代社会は石器時代とは大きく異なる世界である。これは脳と現代社会に大きなギャップがあるということである。この点もミームを理解する上で大事なポイントになる。
- ミーム
- 生物はDNAの複製のために一生を捧げるが、人間は例外的な存在とも考えられる。なぜならミームの進化がDNAの進化よりも生活に影響力を持つからである。
- DNAが情報を記録し、複製することができるように、ミームも情報の記録と複製を行う。ただしミームの進化はDNAよりも非常に速く進行する。DNAは数千年かけて進化を進め、人は一生の間にDNAが進化することはないのに対して、ミームは数日や数時間で進化できるであろう。そのため、現代の私達には遺伝子進化よりミーム進化の方がずっと大きな影響力があるのである。
注釈
出典
- ^ 第2版,日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,世界大百科事典内言及, デジタル大辞泉,世界大百科事典. “ミームとは” (日本語). コトバンク. 2021年1月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s リチャード・ブロディ、森 弘之訳『ミーム―心を操るウイルス』講談社、1998年。
- ^ スーザン・ブラックモア about memes Memetics UK 2010年11月15日閲覧。
- ^ a b リチャード・ドーキンス、日高敏隆 訳、岸由二訳、羽田節子訳、垂水雄二訳『利己的な遺伝子』紀伊國屋書店、2006年。
- ^ Geoffrey M. Hodgson (2001) "Is Social Evolution Lamarckian or Darwinian?", in Laurent, John and Nightingale, John (eds) Darwinism and Evolutionary Economics (Cheltenham:Edward Elgar), pp. 87-118. 原文(一部相違あり)
- ^ Oxford English Dictionary 内、ミームの項目。
- ^ リチャード・ドーキンス、垂水雄二訳 『遺伝子の川』草思社、1995年
- ^ 佐倉統ほか『ミーム力とは?』数研出版、2001年。
- ^ a b 。河田雅圭『進化論の見方』紀伊國屋書店、1989年
- ^ Viruses of the Mind リチャード・ドーキンス、1991年
- ^ Balkin, J. M. (1998), Cultural software:a theory of ideology, New Haven, Conn:Yale University Press, ISBN 0-300-07288-0
- ^ “Richard Dawkins and Jaron Lanier "Evolution:The discent of Darwin", Psychology Toda,Translated by Minato NAKAZAWA, 2001. Last Update on January 12, 2001 (FRI) 09:22 .”. 2011年7月7日閲覧。
- ^ “Psychology Today”. 2011年7月8日閲覧。
- ^ このシンポジウムをまとめた論考が、以下の書。
ロバート・アンジェ 編、佐倉統・巌谷薫・鈴木崇史・坪井りん 訳 『ダーウィン文化論:科学としてのミーム』産業図書、東京、2004年 (原著2000年)。 - ^ スーザン・ブラックモア著、垂水雄二訳『ミーム・マシーンとしての私』草思社。序文より
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