ミルトン・フリードマン 人物概要

ミルトン・フリードマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/20 00:10 UTC 版)

人物概要

20世紀後半におけるマネタリスト新自由主義を代表する学者として位置づけられている[1]戦後、貨幣数量説を蘇らせマネタリストを旗揚げ、裁量的総需要管理政策に反対しルールに基づいた政策を主張した。

1970代までは先進国の各国政府は、「スタグフレーション」に悩んでいた。フリードマンは、スタグフレーションのうちインフレーションの要素に対しての姿勢や政策を重視した。また、経済に与える貨幣供給量の役割を重視し、それが短期の景気変動および長期のインフレーションに決定的な影響を与えるとした。特に、貨幣供給量の変動は、長期的には物価にだけ影響して実物経済には影響は与えないとする見方であり、(貨幣の中立性[2])、インフレーション抑制が求められる中で支持された。
1976年 これらの主張により、ノーベル経済学賞を受賞した[2]

経歴

ハンガリー東部(現在はウクライナの一部となっているザカルパッチャ州Berehove)からのユダヤ移民の子としてニューヨークで生まれる。父親は工場経営者・資本家で、ナオミ・クラインは絶望工場的な場所だったと指摘している[3]

奨学金を得て、15歳で高校を卒業した。ラトガーズ大学学士を取得後、数学経済学のどちらに進もうか悩んだ結果、世界恐慌の惨状を目にしたこともあって、シカゴ大学経済を専攻し、修士を取得した。さらに、コロンビア大学サイモン・クズネッツ(1971年ノーベル経済学賞受賞)の指導を受け博士号を取得した。コロンビア大学と連邦政府で働き、後にシカゴ大学の教授となる。また、アーロン・ディレクターの妹であるローズ・ディレクターと結婚し、一男(デヴィッド・フリードマン)一女をもうけた。

後に反ケインズ的裁量政策の筆頭と目されるようになったが、大学卒業後の就職難の最中で得た連邦政府の職は、ニューディール政策が生み出したものであった(国家資源委員会における大規模な家計調査研究は、クズネッツの助手として全米経済研究所で行った研究と併せて、後の『消費の経済理論』と恒常所得仮説につながった[4])。後に振り返って、ニューディール政策が直接雇用創出を行ったことは、緊急時の対応として評価するものの、物価と賃金を固定したことは適切ではなかったとし[4]、大恐慌の要因を中央銀行による金融引締に求める研究を残している。ただし、第二次世界大戦が終わって、連邦政府の職を離れるまでは、自身の経済学上の立場は、一貫してケインジアンであった。

1969年リチャード・ニクソン政権大統領経済諮問委員会で、変動相場制を提案[5]した(後にニクソンとは決裂している)。また、1975年のチリ訪問や1980年から中国を訪問など世界各国で政策助言を行ったことでも知られ、特に「資本主義をみたければ香港に行くべき」と香港を称えており[6]、香港の積極的不介入自由経済の最適なモデルと評価した[7]。日本では、1982年から1986年まで日本銀行の顧問も務めていた[8]

シカゴ学派のリーダーとして、ノーベル経済学賞受賞者を含め多くの経済学者を育てた。マネタリストの代表者と見なされ、政府の裁量的な財政政策に反対した。政府の財政政策によってではなく、貨幣供給量と利子率によって、景気循環が決定されると考えた。また、1955年には、教育バウチャー(利用券)制度を提唱したことでも知られる。これは公立学校を減らす、または廃止して民営化を最終目的としたものであり、教育における学力と貧富の格差を最大化するものであった。主著は『A Monetary History of the United States, 1867-1960』、『資本主義と自由』。

1951年ジョン・ベーツ・クラーク賞、1967年米経済学会会長、1976年にノーベル経済学賞を受賞。1986年に保守派の中曽根康弘内閣から「勳一等瑞宝章」、1988年にはフリードマンが支持した右派ロナルド・レーガンからアメリカ国家科学賞大統領自由勲章を授与される。

2006年11月16日心臓疾患のため自宅のあるサンフランシスコにて死去。94歳。

思想・主張

フリードマンはリチャード・ニクソンとロナルド・レーガンを熱烈に支持した[9]。ニクソン、レーガンともに、50年代にジョセフ・マッカーシーの「赤狩り」に全面協力した人物である。この段階で、フリードマンの思想が「新」自由主義であるかどうかに疑問符がつく。ただしニクソンについては、有権者の支持をとりつけるためにケインズ主義的な政策を取ったため、フリードマンは激怒し、「史上最も社会主義的な大統領」と事実とは異なる感情的な批判をおこなった。また、軍事独裁政権アウグスト・ピノチェト大統領時代のチリを支持し、訪問もした。ピノチェトの独裁で数千人の死者と、それを上回る行方不明者が出た。フリードマンの弟子の「シカゴ・ボーイズ」はチリに入り、ピノチェトの経済政策についてアドバイスをした。しかし、経済が低迷しのちにはピノチェトですら、彼らの意見に耳を傾けなくなった。フリードマンにとっての理想は、規制のない自由主義経済の設計である。フリードマンは、あらゆる市場への制度上の規制は排除されるべきと考えた。そのため、公正な民主主義を支持する人々は、フリードマンを新自由主義(Neo Liberalism)、反ケインズ主義(アンチ・ケインジアン)の筆頭格として批判した。フリードマンは元ケインズ主義からの転向者であり、理念の一部はケインズと共通点もあった[10]

フリードマンは、基本的には、市場に任せられるところはすべて任せるが、いくつか例外があり、自由主義者は無政府主義者ではないとして[11]、政府が市場の失敗を是正することを認める[12]。また、中央銀行の仕事だけは市場に任せるわけにはいかないという考えであり、中央銀行を廃止して、貨幣発行を自由化する、金本位制のように外部から枠をはめるような制度を作るといった代案を提示している[11]。フリードマンは、連邦準備銀行マネーサプライを一定の割合で機械的に増やせば、インフレなしで安定的な経済成長が見込めると述べており(Kパーセントルール[13]コンピュータに任せてもよいとした[14][15]

財政政策批判

政府によって実施される財政政策は、財政支出による一時的な所得の増加と乗数効果によって景気を調整しようとするものである。しかし、フリードマンによって提唱された恒常所得仮説[16]によると、一時的な変動所得が消費の増加に回らないため、ケインジアンの主張する乗数効果は、その有効性が大きく損なわれる。そのため、恒常所得仮説は、中央銀行によって実施される金融政策の復権を求めたマネタリストの重要な論拠の一つになった。また、経済状況に対する政府中銀の認知ラグや政策が実際に行われるまでのラグ、および効果が実際に波及するまでのラグといったラグの存在のために、裁量的に政策を行ってもそれは適切に機能せず、かえって不要の景気変動を生み出してしまうことからも、裁量的な財政政策を批判した。

フリードマンは、ケインズ政策はスタグフレーションに繋がるとし、ケインズ政策の実行→景気拡大→失業率の低下→インフレ期待の上昇→賃金の上昇→物価の上昇→実質GDP成長率の低下→失業率の再上昇というメカニズムで、結果的に物価だけが上昇すると主張している[17]

大恐慌

フリードマンは、金本位制が問題であったと理解しており[18]、著書『A Monetary History of the United States, 1867-1960』の中で、大恐慌はこれまでの通説(市場の失敗)ではなく、不適切な金融引き締めという裁量的政策の失敗が原因だと主張した。金融政策の失敗を世界恐慌の真因としたフリードマンの説は、現在も有力な説とされており[1]、その後の数多くの研究者が発表した学術論文によって、客観的に裏付けされている[19]ベン・バーナンキFRB理事(当時)は、2002年のフリードマンの誕生日に「あなた方は正しい。大恐慌はFRBが引き起こした。あなた方のおかげで、我々は二度と同じ過ちを繰り返さないだろう」とこの主張を認めている[20]

麻薬合法化

麻薬政策について、フリードマンは、麻薬禁止法の非倫理性を説いている。1972年からアメリカで始まったドラッグ戦争麻薬の取り締り)には「ドラッグ戦争の結果として腐臭政治、暴力、法の尊厳の喪失、他国との軋轢などが起こると指摘したが、懸念した通りになった」と語り大麻の合法化を訴えていた[21]。また、別の主張では、大麻にかぎらずヘロインなども含めた麻薬全般の合法化を主張した[22]

主張した具体的政策

義務教育国立病院、郵便サービスなどは、公共財として位置づけるのではなく、市場を通じた競争原理を導入したほうが効率的であると主張していた[23]1962年、フリードマンは、著書『資本主義と自由』において、政府が行うべきではない政策、もし現在政府が行っているなら『廃止すべき14の政策』を主張した。下記を参照[24]

  1. 農産物の買い取り保障価格制度。
  2. 輸入関税または輸出制限。
  3. 商品サービスの産出規制(生産調整・減反政策など)。
  4. 物価や賃金に対する規制・統制。
  5. 法定の最低賃金や上限価格の設定。
  6. 産業や銀行に対する詳細な規制。
  7. 通信や放送に関する規制。
  8. 現行の社会保障制度や福祉(公的年金機関からの購入の強制)。
  9. 事業・職業に対する免許制度。
  10. 公営住宅および住宅建設の補助金制度。
  11. 平時の徴兵制
  12. 国立公園
  13. 営利目的の郵便事業の禁止。
  14. 国や自治体が保有・経営する有料道路

提案・支持したアイディア

日本のバブルについての見解

日本バブル景気について、1980年代に日銀の顧問も務めたフリードマンは「日本は、円通貨の供給を増やしてドルを買い支えた結果、通貨供給量の急増を招いた。私はこの通貨供給量の急激な伸びが『バブル経済』を引き起こしたと見ている。日本銀行は長期間にわたってこのような金融緩和路線をとり続け、納税者に莫大な損害を与えた。最後には日銀もブレーキをかけたが、今度は急ブレーキをかけすぎた。金利を引き上げ、通貨供給量の伸びを急激に抑え、深刻な景気後退を引き起こしてしまった。これはどんなによい意図から出たものであれ、不適切な金融政策は悲惨な結果をもたらし得るという最たる例だ。日銀は誤りを正すのが遅くて、そのためにリセッションを長引かせ、深刻なものにしてしまったように思われる」と指摘している[28]

日本への提言

フリードマンは日本の「平成大停滞」でも、積極的な金融緩和政策の適用をかなり早い段階から提唱していた[29]日本銀行政策委員会審議委員としてゼロ金利量的緩和を考案するなどフリードマンの信奉者であったベン・バーナンキから唯一日銀幹部で「ジャンク」ではないとされた中原伸之とも連絡をとりあっていた[30]

1998年9月11日の読売新聞でのインタビューで日本について「(景気を拡大させるために)減税と歳出削減を通じて小さな政府にする。また、日本銀行が通貨供給量を急速に増やすことが欠かせない」「日銀がもっとお札を刷り、通貨供給量の平均伸び率を5-7%程度まで引き上げることが景気回復の決め手となる。1990年から今日までの日本の状況は、1929年から1933年まで通貨供給を約三分の一減らして大恐慌となったアメリカと似ている」「財政政策で景気のテコ入れを図るケインズ主義的な手法は誤り」と述べている[31]




  1. ^ a b 日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、89頁。
  2. ^ a b 日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、89頁。
  3. ^ 「ショック・ドクトリン」上巻:ナオミ・クライン
  4. ^ a b The Boston Globe "Nobel laureate economist Milton Friedman dies at 94" 2006-11-16
  5. ^ 影の主役はフリードマン 2つのニクソン・ショック ジャーナリスト 岡部直明 2014/8/12 日本経済新聞電子版]
  6. ^ Waldemar Ingdahl (2007年3月22日). “Real Virtuality”. The American. 2018年6月24日閲覧。
  7. ^ Milton Friedman and Rose Friedman (1990). Free to Choose: A Personal Statement. Harvest Books. p. 34. ISBN 0-15-633460-7. 
  8. ^ 過去の海外顧問:日本銀行金融研究所
  9. ^ http://www.legacy.com/ns/milton-friedman-obituary/19938148
  10. ^ 「ケインズの目的は、私と同じで、社会の幸福に貢献することだった。私は、ケインズを心から尊敬している」経済学者フリードマン(ラニー・エーベンシュタイン、大野一翻訳、日経BP社2008.1.17)P.140
  11. ^ a b 浜田宏一・若田部昌澄・ 勝間和代 『伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本』 東洋経済新報社、2010年、150頁。
  12. ^ 日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、98頁。
  13. ^ ポール・クルーグマン 『クルーグマン教授の経済入門』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2003年、162頁。
  14. ^ Thomas Palley, "Milton Friedman: The Great Conservative Partison"
  15. ^ Ip, Greg; Whitehouse, Mark (2006年11月17日). “How Milton Friedman Changed Economics, Policy and Markets”. The Wall Street Journal. http://online.wsj.com/public/article/SB116369744597625238-foIWt7vDyt4ralPtdifXt5Ux3Lo_20061216.html 
  16. ^ 消費は、現在の所得の関数ではなく、将来に亘って恒常的に得られると期待される所得(恒常所得)の関数である、とする説である。
  17. ^ 竹中平蔵 『経済古典は役に立つ』 光文社〈光文社新書〉、2010年、200-201頁。
  18. ^ 浜田宏一・若田部昌澄・ 勝間和代 『伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本』 東洋経済新報社、2010年、151頁。
  19. ^ 日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、93頁。
  20. ^ 日本経済新聞社編 『経済学の巨人 危機と闘う-達人が読み解く先人の知恵』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2012年、94頁。
  21. ^ Milton Friedman on the War on Drugs Thursday, July 31, 2008
  22. ^ Prohibition and Drugs by Milton Friedman From Newsweek, May 1, 1972
  23. ^ 中谷巌 『痛快!経済学』 集英社〈集英社文庫〉、2002年、181頁。
  24. ^ フリードマン 2008.
  25. ^ フリードマン 2008, pp. 345-354.
  26. ^ フリードマン 2008, pp. 171-205.
  27. ^ フリードマン 2008, p. 87.
  28. ^ ミルトン・フリードマン「世界の機会拡大について語ろう」〜「グローバルビジネス」1994年1月1日号掲載ダイヤモンド・オンライン 2011年8月1日
  29. ^ 田中秀臣 『不謹慎な経済学』 講談社〈講談社biz〉、2008年、131頁。
  30. ^ 中原伸之『日銀はだれのものか』中央公論新社、2006年[要ページ番号]
  31. ^ 読売新聞1998年9月11日9面「通貨供給 大幅に増やせ ノーベル経済学賞受賞 フリードマン氏 日本経済に処方せん 減税と歳出削減同時に」読売新聞縮刷版1998年9月p535
  32. ^ マーク・ブローグ 『ケインズ以後の100大経済学者-ノーベル賞に輝く人々』 同文舘出版、1994年、73頁。
  33. ^ a b トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、65頁。
  34. ^ ウィリアム・ブレイト、ロジャー・W. スペンサー編著 『経済学を変えた七人-栄光のノーベル経済学賞受賞者』 勁草書房、1988年、147頁。
  35. ^ a b c トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、57頁。
  36. ^ a b トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、58頁。
  37. ^ 江頭進『はじめての人のための経済学史』新世社、2015年、150頁。
  38. ^ トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、59-60頁。
  39. ^ 日本経済新聞社編 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、87頁。





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