マルティン・ルター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 09:37 UTC 版)
影響
キリスト教会の分裂(シスマ)はルターの本来の意図ではなかったが、彼の影響下で福音主義教会(ルター派教会)とアウクスブルク信仰告白が形成された。
聖書をキリスト教の唯一の源泉にしようというルターの呼びかけはプロテスタント諸教会のみならず、対抗改革を呼び起こしたという意味でカトリック教会にも大きな影響を与えた。ローマ・カトリック側はルターを「異端者」「好色家」「犯罪人」「誇大妄想狂」と呼んで批判した[注釈 1]。
また、宗教上の足跡のみならず、ヨーロッパ文化、思想にも大きな足跡を残した。例えば、ルターの手によるドイツ語聖書が、近代ドイツ語の成立において重要な役割を果たしたことや、自ら賛美歌を作ったことなどが挙げられる。さらに、当時、宗教家の間で流行っていたボウリングのルールを統一してもいる。
賛美歌
ルターは、エアフルト大学に進学した際に音楽理論と実践的な音楽教育を受けていたこともあって、自ら演奏と作曲の両方することができた[5]。また、彼はフランドル楽派の多声音楽、特にジョスカン・デ・プレの作品を称賛していたといわれている[5]。
ルターは礼拝の場で積極的に賛美歌(コラール)の歌唱を奨励し、自らもリュートを演奏しながら多くのコラールを作詞・作曲した。彼は『神はわがやぐら』『深き悩みの淵より』など現在の日本でもよく知られているコラールを残したが、合唱曲としての編曲はヴィッテンベルク教会の楽長ヨハン・ヴァルターが多くを手がけた。
カトリック教会は古くからラテン語典礼文による複雑な多声合唱を発展させており、これらは音楽的に優れたものではあったが、必ずしも歌詞の聞き取りやすいものではなかった。また専門的な合唱隊が歌唱を担当した。
これに対し、ルターは教養の一部としてラテン語を習得することを重んじつつも、礼拝において会衆が彼らの母国語であるドイツ語で、美しいだけでなく単純で歌詞が聞き取りやすいコラールによって神をともに賛美することを重視し、新たな典礼音楽を推進した[5]。ルターの奨励したコラールは、ドイツのプロテスタント教会におけるバロック音楽の発展に大きな影響を及ぼし、コラールを主題としたオルガン曲(前奏曲、幻想曲)、声楽曲(モテット、カンタータ、オラトリオ)など広い分野に及んだ。
ドイツ語への影響
またルターは主に聖書翻訳を通じて、近世ドイツ語の規範の確立に大きく寄与した。一方でルターは国際語としてのラテン語の長所を理解しており、神学的著述のみならずラテン語によるミサ曲の作曲も行っている。
ルターにとっては公衆に広く理解されるということが最も重要であり、ルターのドイツ語重視を単なる民族主義的熱情と理解することはできない。ルターが民族主義と離れていたことは、民間伝承の英雄ディートリヒや民話などを説教に用いる神父をルターが軽蔑していたことにも表れる。それら大衆のものは文化的ではなく(教会の教養者の多くがそう考えていたように)教会の教えに反する「ロバの話」無教養の産物と断じられた[要出典]。
また、アリストテレスやプラトンを異教者とし、それについて語る神父もまたルターの軽蔑の対象だった。
注釈
- ^ ヨハネス・オッホレウス著『マルティン・ルターの行為と著作についての注解』がその代表作の1つである。ドミニコ会のハインリッヒ・デニフレの『原資料によるルターおよび発展初期のルター主義』は、ルターが肉欲的な動機でもって宗教改革を行ったとしている。イエズス会のハルトマン・グリザールの『ルター』は、ルターを「誇大妄想狂の精神異常者」と判断している。[43]
- ^ これは英国国教会も時を移さず踏襲した判断であり、根拠のないルター個人の決定では決してない。やがてプロテスタント教会で使用する聖書からルターがApocryphaとした書物は概ね姿を消したが、これは長い世紀の移り行きの結果である。
- ^ 岡田稔はルターが宗教改革の尖兵であったために、新約聖書のうち23巻を特に教理の構築のために活用したと考えている[44]。
出典
- ^ Martin Luther German religious leader Encyclopædia Britannica
- ^ “大航海の時代、日本では大地震が頻発する中、3英傑が天下統一を果たす”. ヤフーニュース (2020年7月13日). 2020年10月20日閲覧。
- ^ 徳善 2012, p. 12.
- ^ 徳善 2007, pp. 22–23.
- ^ a b c d e f g h 樋口 1985, pp. 18–21.
- ^ 徳善 2007, p. 310.
- ^ 「塔の体験」という名前は、ヴィッテンベルク大学学生寮の塔内の図書室において、新しい福音の光が与えられたと、後年述べたことに基づいている
- ^ 徳善義和著『マルティン・ルター ことばに生きた改革者』(岩波新書、2012年)p.61
- ^ 徳善 2012, pp. 86–89.
- ^ 徳善 2007, p. 312.
- ^ 1521年4月18日の有名な演説は、「ルター自身の手になるラテン語訳だけが伝えられている」が、その全文の邦訳は、吉島茂・井上修一・鈴木敏夫・新井皓士・西山力也編訳『ドイツ文学 歴史と鑑賞』朝日出版社 1973、15-18頁に掲載されている。
- ^ Martin Luther, the Reformation and the nation DW Documentary
- ^ 他方、正教会では妻帯司祭は一般的に存在してきた。
- ^ 産業革命以前のヨーロッパの農民とは農奴のこと。松原久子『驕れる白人と闘うための日本近代史』
- ^ 宗教改革者で農民といっしょに命を落としたミンツァーはこう書いている。「休まずどんどんやれ、続けろ、火が燃えているではないか。刀を血で濡らせ。そこにいるあいつらがお前たちを支配しているかぎり、誰もお前たちに神について語ることはできない。なぜならそこにいる彼奴らがお前たちを支配しているからだ。休まず続けるのだ、がんばれ、時がきた、神が先へいく、神に続け」松原久子 『驕れる白人と闘うための日本近代史』(文藝春秋 2005年)
- ^ エンゲルス『ドイツ農民戦争』
- ^ 松原久子 『驕れる白人と闘うための日本近代史』(文藝春秋 2005年)
- ^ 宣教ビラ『強盗のような、殺人者のような農民の群れに対抗する』の中で「彼らを閉め出し、絞め殺し、そして刺し殺さなければならない、密かに、あるいは公然と」「扇動的な人間ほど、有毒で、有害で、悪魔的なものはいない」と書いている。松原久子 『驕れる白人と闘うための日本近代史』(文藝春秋 2005年)
- ^ 彼らの大半は、一揆が崩壊した後に、領主による裁きによって殺された。ペトラルカ・マイスターの木版彫刻には、捕らえられ、縛られた農民たちが鞭を打たれ、車裂きの刑に処せられ、首を吊られ、串刺しにされ、首をはねられ、生きたまま火炙りにされている一方で、支配者たちが毛皮のついたガウンを身にまとい、復讐が実行される様子を観覧席から眺めている様が描かれている。松原久子『驕れる白人と闘うための日本近代史』
- ^ 帰省先から大学へと戻る途上で同行者とのいさかいゆえに生じた「決闘」が原因とされる。
- ^ 滝上 2011, p. 435.
- ^ a b 滝上 2011, p. 436.
- ^ 滝上 2011, pp. 436–437.
- ^ 滝上 2011, p. 438.
- ^ 滝上 2011, p. 439.
- ^ このため、ルターは利尿作用のあるビールを積極的に飲んだが、アルコールによる臓器障害があったと思われる記録は残っていない
- ^ 滝上 2011, pp. 439–441.
- ^ 徳善 2007, p. 315.
- ^ 翻訳『ユダヤ人と彼らの嘘』歴史修正研究所訳 ISBN 4947737379
- ^ 『ユダヤ人迫害史』黒川知文 教文館 ISBN 4764265354
- ^ 『教会が犯したユダヤ人迫害』ミカエル・ブラウン著 横山隆訳 ISBN 4872071700
- ^ 大澤武男 『ユダヤ人とドイツ』 講談社〈講談社現代新書〉、1991年、57-59頁。
- ^ 中村敏著『著名人クリスチャンの結婚生活』ファミリー・フォーラム・ジャパン
- ^ 永田諒一『宗教改革の真実-カトリックとプロテスタントの社会史-』 講談社現代新書
- ^ a b c #ポリアコフ1985,p.109-111.
- ^ 「宗教改革」世界大百科事典,平凡社.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ポリアコフ 1巻,p269-283.
- ^ a b 下村 1972, p.107-8.
- ^ a b c #大澤1991,p.55-75
- ^ Martin Luther, Werke, Bd. 6. Briefe, Frankfurt, 1982, p.184.
- ^ ポリアコフ 1巻p.273.
- ^ stultissimus
- ^ 古屋安雄著『激動するアメリカ教会-リベラルか福音派か-』ヨルダン社
- ^ a b c d e 岡田稔著『岡田稔著作集』いのちのことば社
- ^ 小学館編『地球紀行 世界遺産の旅』p85 小学館<GREEN Mook>1999.10、ISBN 4-09-102051-8
- ^ Documents representing the beginning and the early development of the Reformation initiated by Martin Luther Memory of the World - UNESCO
固有名詞の分類
思想家 |
蘭渓道隆 本居宣長 マルティン・ルター クセノファネス アダム・スミス |
聖書翻訳者 |
左近義弼 山崎亭治 マルティン・ルター 尾山令仁 マクシム・グレク |
ドイツの神学者 |
エルンスト・ブロッホ ヨハン・ニコラウス・フォン・ホントハイム マルティン・ルター マルティン・ニーメラー エルンスト・トレルチ |
教育関係人物 |
本居宣長 トーマス・ホプキンズ・ギャローデット マルティン・ルター 外山恒一 潮木守一 |
ルネサンスの作曲家 |
ヤーコプ・オブレヒト クリストバル・デ・モラーレス マルティン・ルター アレクサンダー・アグリコラ アントワーヌ・ビュノワ |
- マルティン・ルターのページへのリンク