マルコ・ポーロ
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マルコ・ポーロ(伊: Marco Polo、1254年頃 - 1324年1月8日[1])は、ヴェネツィア共和国の商人であり、ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した『東方見聞録』(写本名:『イル・ミリオーネ (Il Milione)』もしくは『世界の記述 (Devisement du monde)』)[2][3]を口述した冒険家でもある。
注釈
- ^ 正確な根拠は無いが、この肖像画は16世紀にローマのモシニョール・バディア画廊で描かれたものである。碑文には、「Marcus Polus venetus totius orbis et Indie peregrator primus」とあり、これは辞書『Nordisk familjebok』(1915年)にも採録されている。
- ^ ほとんどの出典がこの年を採用しており、ブリタニカ百科事典(2002年版、p571)でも「1254年前後生まれ(これは、彼の人生における主要な出来事のほとんどと同じく推測の域を出ない)。」と書かれている。
- ^ 他の説を紹介する文献もあり、例えばBurgan, 2002, p. 7では生誕地をダルマチア(現在のクロアチア)のコルチュラ島だったとしている。Korcula infoでも「完全なる証拠が揃っているわけではないが、(マルコ・)ポーロがコルチュラ島で生まれたという伝説がある」と述べ、同島には「マルコ・ポーロ生誕の地」が存在する[8]。
- ^ Chrism, エルサレムの、イエス・キリスト墓前に灯るランプの油[36]
- ^ チベットの僧侶にしてクビライに仕えたパクパが残した日記によると、1271年にハーンの異邦の友人が訪れたことが記されている。これがマルコ・ポーロ一行だった可能性はあるが、そこに来訪者の名前は無い。この一件がマルコらを示していないとすれば、彼らが到着した年は1275年(愛宕松男の説によれば1274年)ではないかと考えられる[41]。
- ^ 陳舜臣『中国の歴史』(五)p361-362では、マルコ・ポーロはペルシャ語は理解できたが「漢語」には通じていなかったとある。クビライの臣下には「色目人」と呼ばれる西域人(ヨーロッパ人のマルコもこの中に入る)が多数おり、彼らは本俗法という出身地の習俗を維持することが認められていたため、必ずしも中国語に精通する必要性が無かった。
- ^ Parker, 2004, pp=648–649の表記に倣うが、ラルース、p377ではアルグン・ハンは妃到着の直前に死去したとある。
- ^
- ^ ただし、マルコ・ポーロの方位磁石が地中海の羅針盤に直接繋がったとは言いがたい。ヨーロッパの羅針盤は1302年にフラビオ・ジョイアが発明したという伝説があるが、これも実際は他の地域から導入されたものである。応地利明著『「地図世界」の誕生』(日本経済新聞社、ISBN 978-4-532-16583-3、p197)では、この導入ルートを中国から受容したアラブ世界という説と、バルト海域のノルマン人航海者からの伝播という説を紹介している。
脚注
- ^ “Marco Polo | Biography, Accomplishments, Facts, Travels, & Influence | Britannica” (英語). www.britannica.com. 2022年10月19日閲覧。
- ^ a b c 阪田蓉子. “図書の文化史” (PDF). 明治大学. 2010年7月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 片山幹生「マルコ・ポーロ『世界の記述』における「ジパング」」『Azur』第6巻、成城大学、2005年、19-33頁、ISSN 21887497、CRID 1050001202582117376、2023年5月19日閲覧。
- ^ a b 木村榮一. “風の頼りⅡ(第24回)”. 神戸市外国語大学. 2011年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月17日閲覧。
- ^ ラルース、p377
- ^ a b Landström, 1967, p=27
- ^ Bergreen, 2007, p=25
- ^ [1]
- ^ a b c d “マルコ・ポーロ『東方見聞録』”. 京都外国語大学付属図書館. 2010年7月17日閲覧。
- ^ a b c Britannica , 2002, p=571
- ^ a b c d Parker, 2004, pp=648–649
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- ^ Yule & Cordier 1923, ch.1–9
- ^ “Beato Gregorio X in “Enciclopedia dei Papi” – Treccani”. treccani.it. 2014年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月17日閲覧。
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- ^ Zannos, Susan (March 2005). The Life and Times of Marco Polo. Mitchell Lane Publishers. ISBN 978-1-61228-907-6
- ^ Parker, 2004, pp=648–649
- ^ Yule, The Travels of Marco Polo, London, 1870: reprinted by Dover, New York, 1983.
- ^ According to fr. Jacopo d'Aqui, Chronica mundi libri imaginis
- ^ a b c d e f “40.マル・ポーロ『東方見聞録』英訳・1818年”. 放送大学付属図書館. 2010年7月17日閲覧。
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- ^ Bram, 1983
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- ^ a b c Bergreen, 2007, pp=339–342
- ^ Britannica, 2002, p=573
- ^ Bergreen, 2007, pp=367–368
- ^ Edwards, p=1
- ^ ラルース、p374
- ^ Yule, Cordier, 1923年, loc=ch. 2
- ^ Yule, Cordier, 1923年, loc=ch. 3
- ^ Yule, Cordier, 1923年, loc=ch. 5
- ^ Yule, Cordier, 1923年, loc=ch. 6
- ^ ラルース、p375
- ^ Yule, Cordier, 1923年, loc=ch. 7
- ^ Yule, Cordier, 1923年, loc=ch. 9
- ^ a b c ラルース、p376
- ^ a b Parker, 2004, pp=648–649
- ^ Britannica, 2002, p=571
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- ^ W. Marsden (2004年). Thomas Wright: “The Travels pf Marco Polo, The Venetian (1298)” (PDF) (英語). 2009年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月14日閲覧。
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- ^ a b c 長澤、p132-134 マルコ・ポーロの大旅行
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- ^ Boyle, J. A. (1971年). “Marco Polo and his Description of the World.”. History Today. 2022年10月18日閲覧。
- ^ a b c d e 森良和. “マルコ・ポーロの謎”. 玉川大学文学部. 2010年7月17日閲覧。
- ^ イマニュエル・ウォーラーステイン 著、川北稔 訳『史的システムとしての資本主義』岩波書店〈岩波現代選書〉、1985年3月22日、51頁。ISBN 4000047779。
- ^ 『マルコ・ポーロは本当に中国へ行ったのか』(1995年、訳、栗野真紀子 草思社、1997年11月、ISBN 4794207891)
- ^ 『マルコ・ポーロと世界の発見』(2008年)p.97
- ^ 杉山正明「世界史を変貌させたモンゴル」、「クビライの挑戦」など参照
- ^ Mardomsalari紙、翻訳:斎藤正道. “文化遺産観光庁長官「マルコ・ポーロはスパイ目的でシルクロードを旅した」”. 東京外国語大学中東イスラーム研究教育プロジェクト. 2010年7月17日閲覧。
- ^ a b 佐佐木茂美. “ヨーロッパから見た「最初の日本人像」”. 明星大学. 2010年7月17日閲覧。
- ^ 本間久英「砂金の成長についての一考察」『東京学芸大学紀要 自然科学系』第59巻、東京学芸大学紀要出版委員会、2007年9月、49-53頁、ISSN 18804330、NAID 110006487792、2022年2月22日閲覧。
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- ^ 長澤、p134-135 十三世紀の南海路
- ^ 長澤、p135-141 アラブ船の構造、中国船の構造
- ^ 杉本良男「儀礼の受難:楞伽島綺談」『国立民族学博物館研究報告』第27巻第4号、国立民族学博物館、2003年、615-681頁、doi:10.15021/00004031、ISSN 0385180X、NAID 110004413221、2022年2月22日閲覧。
- ^ 小柴はるみ/東海大学. “第7回「サライ・アルバム」研究会報告”. 東京大学東洋文化研究所. 2022年2月22日閲覧。
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- ^ a b Falchetta 2006, p. 592
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- ^ ラルース、p379
- ^ 横道千枝. “陶磁器の技術移転と国際政治”. 慶應義塾大学法学部. 2010年7月17日閲覧。
- ^ 縄手雅彦. “磁石の歴史”. 島根大学総合理工学部電子制御システム工学科. 2010年7月17日閲覧。
- ^ Winchester, 2008年, p=264
- ^ 田村譲. “日中戦争(支那事変・日華事変)”. 松山大学法学部. 2010年7月17日閲覧。
- ^ www.china.org 盧溝橋の解説(英語)
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