マルクス・レーニン主義
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マルクス・レーニン主義(マルクス・レーニンしゅぎ)は、マルクス主義の一つの潮流であり、ボリシェヴィズム、ロシア・マルクス主義の中心でもある。ロシア革命を成功させたボリシェヴィキの指導者ウラジーミル・レーニンの死後に権力を握ったヨシフ・スターリンが1924年4月のスベルドロフスク大学で行った講演《レーニン主義の基礎について》で提唱された、「レーニンが カール・マルクスを正しく承継した」と強調するために作られた用語である。コミンテルンを通じて、世界中に拡散された。レーニン主義・ボリシェヴィキズム・共産主義・スターリニズムとも呼ばれる[1][2][3]。
- ^ 日本国語大辞典,デジタル大辞泉, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,精選版. “ボルシェビズムとは”. コトバンク. 2022年3月13日閲覧。 “広義においてはボルシェビズムはレーニン主義,さらには共産主義と同義で用いられる。”
- ^ 第2版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,世界大百科事典. “レーニン主義とは”. コトバンク. 2022年3月13日閲覧。 “コミンテルンでは、このスターリンの規定を受けて、レーニン主義を、〔1〕帝国主義論とプロレタリア革命論、〔2〕プロレタリアートの独裁の実現の諸条件と諸形態、〔3〕プロレタリアートと農民との相互関係、〔4〕民族問題一般の意義、〔5〕プロレタリア世界革命にとっての植民地・半植民地諸国における民族運動の特殊な意義、〔6〕党の役割、〔7〕帝国主義戦争の時代におけるプロレタリアートの戦術、〔8〕過渡期におけるプロレタリア国家の役割、〔9〕この期のプロレタリア国家の具体的型としてのソビエト権力、〔10〕日和見(ひよりみ)主義的傾向と革命的傾向等への労働運動の分裂の源泉としてのプロレタリアート自身の内部での社会階層化問題、〔11〕共産主義運動内における右翼的・社会民主主義的傾向および左翼的偏向の克服、のすべての面での普遍的原理とし、これが国際共産主義運動を通じて世界化され、「マルクス・レーニン主義」へとエスカレートしていった。 しかし、スターリンが『レーニン主義の基礎』や『レーニン主義の諸問題』などで定式化した「帝国主義とプロレタリア革命の時代のマルクス主義」の内実は、その「帝国主義=三大矛盾」論、「左翼社会民主主義主要打撃」論、「社会主義一党制」「党内分派禁止」の絶対化など、かならずしもレーニン自身の見解・思想と一致するものではなく、むしろ「スターリン主義」とよぶべきものであった。また、レーニン自身の見解・思想としてのレーニン主義も、そのプロレタリアート独裁理解、旧国家機構粉砕論、職業革命家的党組織論、議会制民主主義の過小評価など、20世紀初頭ロシアの歴史的民族的特性を色濃く帯びており、それが1989年東欧革命、91年ソ連解体で最終的に破綻(はたん)することにより、むしろプレハーノフ→レーニン→スターリンの系譜の「ロシア・マルクス主義」の一段階であったとする見解が支配的になった。”
- ^ 小項目事典,世界大百科事典内言及, 百科事典マイペディア,ブリタニカ国際大百科事典. “マルクス=レーニン主義とは”. コトバンク. 2022年5月17日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2016年4月4日). “【秘録金正日(60)】黄長ヨプ亡命の衝撃 デモにおびえ、摘発責任者を処刑”. 産経ニュース. 2022年5月17日閲覧。
- ^ 小項目事典,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),旺文社世界史事典 三訂版,知恵蔵,ブリタニカ国際大百科事典. “主体思想とは”. コトバンク. 2022年5月17日閲覧。
- 1 マルクス・レーニン主義とは
- 2 マルクス・レーニン主義の概要
- 3 理論
- 4 脚注
マルクス・レーニン主義と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
主義 |
ナショナル・ボルシェヴィズム 天皇制ファシズム マルクス・レーニン主義 利他主義 エスノセントリズム |
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