マハーヴィーラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/10 15:00 UTC 版)
視覚芸術におけるマハーヴィーラ
マハーヴィーラ像は、彼の死(涅槃)の600年以上後に彫刻されるようになった。マハーヴィーラあるいはむしろすべてのティールタンカラ(ティッタンカラ、祖師)の像は、ジャイナ教徒の信者にとって奉献の必需品であった。それゆえ、彼らの実際の肖像を発見することを目指す代わりに、第一にかれらのなかで規格化された基準のなかでの精神的・審美的な模範が主として求められたのである。
祖師たちのイメージとは、大部分が石、金属または色に変換された心のイメージであった。頭の後方でみずからの肩と蛇のかぶり物にかかる髪を結い、初代アーディナータ(リシャバデーヴァ)と23代祖師パールシュヴァナータのイメージはそれぞれ異なった標識を持つが、そうした区別は、若干の地域偏差や遠方における少数の微細な特徴をのぞくと、他のティールタンカラ像ではほとんどみられない。
マハーヴィーラ像の場合も、胸のライオンの紋章と頭部のわずかに他と異なる特徴のほかは、他のティールタンカラのそれと大部分は同一である。少なくとも数千とある古代の単独像で、異なるティールタンカラの紋章を含む奉献台には、ほとんど完全なものはないのであり、それゆえ、それぞれのティールタンカラ固有の同一性を認めるのは困難である。
マハーヴィーラの像容は、主として直立(kayotsarga-mudra)または結跏趺坐(padmasana)である。他の姿勢は、マハーヴィーラが大悟(keval gyan)に達したというときの姿勢godohana-mudraでさえ好まれなかった。空衣派(digambara)の信者によって求められる像は衣服のみならずあらゆる種類の装飾のない裸像であり、白衣派(svetambara)によって求められる像は、衣類、宝石また冠さえ着用するものがある。君主が座すような玉座に据え付けられるものさえ見受けられる。
視覚芸術におけるマハーヴィーラ像は彼の人生のエピソードをほとんど反映していない。ただし、彫刻家も画家も、多くのメイドが付き添いベッドに横たわる彼の母トゥリシャーラを描き、母が出生の際に16の吉兆を夢みたという話にまつわる関心を示した。マハーヴィーラのトリ・ラトナ(「正信」「正知」「正業」の3つの宝)の象徴的記号表現もさまざまな彫刻パネルでみられる。同様に、かれの最初の説法(samavasarana )の図は多くの細密画や壁画の画題となった。
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