マッチ マッチ工業

マッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 04:21 UTC 版)

マッチ工業

特徴

マッチ製造の特徴は、製造工程の大部分が軽作業の手作業で可能で、必ずしも機械や大型設備を必要としないところにある。早くも19世紀後半に各工程の製造機械が発明され、完成度の高いものに結実したが、その普及は各国の賃金、政策、世論等の要因に左右された。19世紀から21世紀の現在に至るまで、手作業による製造と機械による製造が並行している。大規模・一貫工程の工場は機械を多用し、労働集約的なところはほとんどない。その対極が家内工業や内職だが、零細企業で生産が完結するのでなく、中規模の工場で中心工程を行い、手作業を低賃金の下請け、内職として出したり、工場内の低賃金部門にする形態が多い。

歴史的には、そして国によっては現在でも、女性労働児童労働の比重が高い分野である[8]。薬品を作って軸木に付けるのが中心工程で、男性が比較的高い賃金で行なうことが多い。軸並べと箱詰めは特別な訓練なしに始められる仕事で、低賃金・一時雇用の女性・児童が数多く雇われた。紙箱作りは貧しい家庭の内職で、ここでも女性と子供が働いた。

スウェーデン

スウェーデンはマッチに適した軟かいアスペン材を産する19世紀からのマッチ生産大国である。19世紀まで、スウェーデンのマッチ工業の従事者の過半数は女性であり、児童労働が多く用いられていた。家内工業の比率が高く、箱の製作は内職に依存した。しかしスウェーデンは自国の工作機械工業に支えられた諸発明によって早くも1860年代から作業の機械化を進め、1892年には軸木から箱詰めまで一貫生産する連結式機械が登場した。児童労働は法規制により19世紀後半に抑制され、20世紀初めに家内工業的生産が衰退した。機械化に歩調をあわせてイーヴァル・クルーガーの手による企業の合同が進み、1917年に巨大なスウェーデン・マッチ(Svenska Tändsticka AB)社が誕生した[9]

日本

日本では、当初小箱一個が4升と見合う高価な輸入品であった。1875年明治8年)4月、フランスに学んだ金沢藩士の清水誠[10]が、マッチ国産製造の提案者であり後援者でもある吉井友実三田別邸に構えた仮工場でマッチの製造を開始、大きな成功を収めた。その後本所に新設した工場で本格的に生産を開始した(その跡地にできた東京都立両国高等学校の敷地内に、1986年に建立された「国産マッチ発祥の地」の記念碑がある[11]。)。

19世紀末から神戸を中心にした兵庫県と大阪がある大阪府の生産が他地方を圧した。マッチは当時の日本が輸出競争力を持つ数少ない工業製品で、1880年代から中国インドをはじめとするアジア地域に輸出された。最盛期である20世紀初めには、スウェーデン、アメリカと並び世界三大生産国となった。このときは生産量の約80パーセントが輸出にまわされた。日本では家内制手工業での生産が中心であったが、原料の一つである硫黄が大量安価に手に入ったので価格競争力があった。軸木は北海道で製造し[12]、これら原料が大都市に送られ、都市下層民の低賃金でマッチになった。マッチ工場の雇用と内職は大阪・神戸で貧民の生活を向上させたが[13]、その反面、マッチ工業は児童労働の集中業種でもあった[14]。当時のマッチ箱は経木を組み合わせるものであり、箱作り(箱張り)はもっぱら貧民家庭の内職に出された[15]

20世紀に入ってしばらくすると、スウェーデンのマッチ製造会社が進出してきたため、零細企業が次々と廃業した。1916年(大正5年)施行の工場法により12歳未満の児童労働が禁止され[注釈 1]、徐々に機械の導入も進んだが、日本では工場・内職ともに低賃金女子労働力に頼る工程が長く残った。1920年代には企業統合が進展するとともに、兵庫県西部(姫路を中心にした播磨地方)に移転した。昭和になると、スウェーデン燐寸が主導する企業の再編が進み、一時的に日本の生産量の70%はスウェーデンの影響下の会社が製造するものとなった。しかし1932年にスウェーデン燐寸の総帥、イーヴァル・クルーガーが死去すると本国からの投資が滞るようになり、再び国内の企業による企業の再編が進んだ[16]

本格的・全面的な機械化は20世紀後半に進み、昭和40年代にマッチ箱が経木製から紙製になると[17]箱張り内職は跡を絶った。ライターなどの普及、喫煙者の減少によりマッチ生産は減少傾向にある。現在では姫路市周辺で日本の生産量の80パーセントが生産されている。


注釈

  1. ^ 子供の工場勤めはなくなったが、内職の手伝いという形での労働はこの後も長く続いた。
  2. ^ 該当の火災ではユーザーがコーティングのことを知らなかったと推察され、火花が出ないことに対して何度も棒を強くこすりつけ、オイルが周囲に飛び散っていた。その状況下で発火してしまい、マッチ棒のみならず本体側より炎が発生、慌てたユーザーが本体の炎に気を取られた隙に棒の炎がゴミ袋に引火、初期消火に失敗したことも相まり火災へと発展した。

出典

  1. ^ 管野浩編 『雑学おもしろ事典』 p.356 日東書院 1991年
  2. ^ 小野隆弘「マッチの美 ハートに火◇喫茶店やバー、宣伝を超えた芸術 収集し私設博物館◇」『日本経済新聞』朝刊2018年3月5日(文化面)
  3. ^ 大石高志「近現代インドにおけるマッチ産業と女性・児童の労働 : 矮小化と弾力性の表裏関係]」80頁図。83頁にはスウェーデンについて、1930 - 50年代に紙箱に変わったとある。
  4. ^ 清水誠先生伝 松本三都正
  5. ^ 「値段は当分変わらぬ 品質はほとんど戦前なみ」『日本経済新聞』昭和25年10月17日
  6. ^ 燐寸倶楽部 - こんなマッチ知ってる? - 「ロウマッチ ―― 名前の由来」 - 黒田 康敬 2003年(平成15年)6月9日 (参考文献:1910年(明治43年)8月20日発行 石井研堂著「少年工芸文庫・マッチの巻」、1935年(昭和10年)8月16日発行 大阪時事新報「竹軸マッチ」):[1]
  7. ^ 燐寸倶楽部 - こんなマッチ知ってる? - 「ロウマッチ ―― バードアイマッチ」 - 黒田 康敬 2003年(平成15年)7月1日: [2]
  8. ^ 大石高志「近現代インドにおけるマッチ産業と女性・児童の労働」。
  9. ^ 大石高志「近現代インドにおけるマッチ産業と女性・児童の労働」81-84頁。
  10. ^ 関崎正夫「マッチと清水誠:日本で初めてマッチの国産化をした人」『金沢大学サテライト・プラザ「ミニ講演」講演録集』、金沢大学大学教育開放センター、2006年、2019年10月16日閲覧。
  11. ^ マッチ業界の多角化 - マッチの世界(日本燐寸工業会)
  12. ^ 横山源之助『日本の下層社会』157頁。
  13. ^ 横山源之助『日本の下層社会』31頁、159-160頁。
  14. ^ 横山源之助『日本の下層社会』162-165頁。
  15. ^ 「府下貧民の真況」27頁。松原岩五郎『最暗黒の東京』35頁。横山源之助『日本の下層社会』157-158頁。津田真澄『日本の都市下層社会』58-61頁。
  16. ^ マッチの歴史大和産業株式会社ホームページ 2017年2月6日閲覧
  17. ^ “燐寸の世界”. 日本燐寸工業会. http://www.match.or.jp/talk/talk01.html 2014年12月19日閲覧。 
  18. ^ ネットライブ配信中にオイルマッチで火事になるまさにその瞬間が海外でもニュースになる


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