ポートモレスビー 歴史

ポートモレスビー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 21:48 UTC 版)

歴史

植民地化以前

ポートモレスビーに住んでいたモツ族は、壺を作って、サゴヤシその他の食料、カヌー用の丸太などと交換し、湾内の水上に高床式住宅を建設し、Hanuabada などの集落を作って暮らしていた。また、湾岸州の人々と通婚し、血縁と交易による強い結びつきを形成していた。

ヒリ貿易と呼ばれる商取引は大規模であった。20隻ほどのカヌーまたはlakatoiの船団には600人の乗組員が乗船し、航海の度に約20,000もの土器を運んだ。モツ族にとって、ヒリは営利目的のビジネスであっただけでなく、その長く危険な航海の故、自らの種族としてのアイデンティティを確かめるものでもあった。 この航海は現代においては、エラ海岸で毎年9月に行われるヒリ・モトゥ祭りにおいてしのばれている。

植民地化

1883年のポートモレスビー

19世紀の末、欧米人として初めてこの場所を識別したイギリス海軍軍人である、一等機走スループ「バジリスク (HMS Basilisk)」艦長のジョン・モーズビーが探検に訪れた時代までには、この地域は既に重要な貿易拠点であった。モーズビーは、ニューギニア島の東端の珊瑚海を抜け、当時知られていなかった三つの島を発見した。1873年2月20日の朝10時、彼はその土地がイギリス領であるとし、彼の父、フェアファックス・モーズビー卿(Sir Fairfax Moresby)にちなんで土地を名づけた。

ニューギニア島南東部が大英帝国に帰属した際、実際にヨーロッパ人による移住は10年後まで行われなかった。英国領ニューギニアは、1906年に新しく設立されたオーストラリア自治領に引き渡され、パプアとして知られた。 その後1941年までポートモレスビーの街はゆっくり成長していった。 街の成長は主に港の施設や他の設備が徐々に改善されていった半島部で起きた。 電気が1925年に導入され、水道管は1941年に敷設された。

第二次世界大戦

第二次世界大戦中は連合国の基地があった。1942年日本軍は、海上からポートモレスビー攻略作戦を遂行しようとしたが、失敗した(珊瑚海海戦)。その作戦で航空母艦祥鳳が日本海軍の空母として初めて撃沈された。その後、陸路からも攻略作戦を行ったがこれも失敗した。

パプアニューギニア独立国の首都

1975年、ポートモレスビーはパプアニューギニア独立国(宗主国オーストラリア)の首都となった。 近代的な建築技術と伝統的な設計が統合され、1984年に完成した国会議事堂を含めた、政府の部局が入る新しい政府の建物がワイガニに建設された。PNG自然博物館及び国民図書館も、ワイガニに位置している。

ポートモレスビーの人口は、独立後急激に増加した。1980年の国勢調査では120,000人であった人口が、1990年までに195,000人に増加した。2000年代末には30万人を超え、南太平洋随一の都市になった。

住民が道路沿いあるいは低木地帯の脇で、数多くの野焼き焼畑、焼却などをするため、街は煙のもやにしばしば覆われる。地域の消防部署による調停を受けずに、野焼き、焼畑等が依然行われている。

国会議員を選出する選挙戦は熾烈で、2002年の国政選挙の時、パプアニューギニア大学の学生が警官に撃たれた事件がこの地で起こり、暴動に発展したこともある。 2004年、ポートモレスビーは、Economist Intelligence Unitの世界の130首都のランク中でワーストであった。レイプ、盗難、殺人の頻発及び地元で「raskol」として知られる、ギャング団による大部分の地域エリアの支配などに起因する。2004年の「The Guardian」新聞の記事、失業率は60 - 90 %、殺人率はモスクワの3倍、ロンドンの23倍と見積もられた。こうした状況には、経済の不安定さが影響していた。

2000年代末になって、経済の安定化に伴い、治安も回復しつつある。しかし、その一方で中国系ビジネスに対する組織的犯罪が増えてきている。2010年1月に中国系アジア男性が白昼射殺されるという事件が起こっている。彼はそれまでにも数度にわたって襲われていた。また、中国系ビジネスマンの殺人を請け負う組織もできており、警察に摘発されている。犯罪が組織化される傾向が出ている。[2]

2013年にまとめられた世界の住みやすい都市ランキングでは、140都市中ワースト3位になっている[3]


  1. ^ 英語での発音は「[ˌpɔːrt ˈmɔːrzbi]」であり、日本語におけるカタカナ表記は「ポート・モーズビー」もしくは「ポート・モーズビィ」が適切であると考えられるが、日本では慣用として「モレスビー」と表記/発音される。 なお、名称の元になったイギリス人名、及び命名したイギリス海軍将校の名については「モーズビー」と表記/発音されることが通例である
  1. ^ City Population[リンク切れ]閲覧日:2017年1月31日
  2. ^ 川崎一平「南太平洋随一の国際都市」/吉岡政徳・石森昭男編著『南太平洋を知るための58章 メラネシア ポリネシア』明石書店 2010年 78-79ページ
  3. ^ “世界一住みやすい都市は3年連続でメルボルン、最下位はダマスカス”. ロイター (ロイター通信社). (2013年8月29日). http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPTYE97S00G20130829?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0 2014年2月9日閲覧。 
  4. ^ 警官や兵士、パプア議会に乱入=APEC会議手当未払いに抗議”. AFP (2018年11月20日). 2018年11月20日閲覧。


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