ポルシェ・356
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ポルシェ・356 | |
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ポルシェ356 タイプC クーペ(1964) | |
概要 | |
製造国 | ドイツ |
販売期間 | 1948年-1965年 |
ボディ | |
乗車定員 | 2 |
ボディタイプ | 2ドアクーペ 、2ドアコンバーチブル、2ドアロードスター |
駆動方式 | RR |
パワートレイン | |
変速機 | 4速MT |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,100mm |
全長 | 3,870 - 4,010mm |
全幅 | 1,660mm |
全高 | 1,220 - 1,320mm |
車両重量 | 771 - 1,041kg |
系譜 | |
後継 | ポルシェ・911/912 |
高性能と居住性、実用性の3つを高度に満たした小型スポーツカーであり、第二次世界大戦後の小型スポーツカーの分野における一つの指標となった。
概要
1931年の創業以来、他社の車両設計・開発請負を主な業務としてきたポルシェ社が、スポーツカーの自社生産に新たな活路を見出し、第二次世界大戦の終戦後に開発に着手した小型スポーツカーである。「356」の名称はポルシェ社内の開発コードから来たものである。
開発当時、創業者フェルディナント・ポルシェ博士は大戦中の軍事開発の責を問われ、1945年から戦犯として2年あまり連合国軍側に拘留されていた。356の開発および設計を主に担当したのは、ポルシェ博士の息子で自身技術者である「フェリー」ことフェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェと、1920年代のアウストロ・ダイムラー以来ポルシェの下で多数の車両開発に携わってきた技術者カール・ラーベ(Karl Rabe )らのチームである。原型スタイリングは、フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)のスタイリングも手がけたポルシェ社員のエルヴィン・コメンダ(Erwin Komenda )による。
その源流には、1938年[1]にタイプ1の原型をベースとしてポルシェの手で開発された[1][2]「フォルクスワーゲン・ベルリンローマ速度記録車」こと、ポルシェ・64の存在があった。
1944年以降、ポルシェ社は本拠地のシュトゥットガルトから戦火を避けてオーストリア・グミュントに疎開しており、終戦後はシュトゥットガルトの本拠が連合国側当局に接収されていたため、1950年まで不便なグミュントでの活動を余儀なくされていた。厳しい状況の中、1947年6月に設計が始まった356は、戦後の混乱期のため資材、部品の調達や資金面等の多数の問題が発生したが、1948年6月には試作車が完成、ナンバー登録された翌月にはインスブルックの小さなレースに出場し優勝している。
1949年から増加試作的量産が開始され、以後約15年に渡り細かい改良を重ねて発展しながら製造販売された。
356.001
1948年、いわゆるフォルクスワーゲン・ベルリンローマ速度記録車のメカニズムの延長上に、アルミニウムボディーの2シーターでロードスター型プロトタイプを試作した。ポルシェの名を冠した初の車であることから「ポルシェNo.1」とも呼ばれる。
量産型356とは異なり、試作1号車は鋼管スペースフレームのミッドにエンジンをレイアウトした。エンジンはフォルクスワーゲン用の空冷水平対向4気筒OHV、内径φ75mm×行程64mmで1,131cc、25馬力の369型エンジンをベースとし圧縮比を5.8から7.0に上げるなどで40hp/4,000rpm、7.0kgm/2,600rpm[3]に出力アップを果たした。ブレーキは機械式のドラムブレーキでノンシンクロの4MTを搭載し、596kgの車体を135km/hまで加速させた。
1948年3月にはグロスグロックナー峠にてテストが始められた。1948年9月にあるスイス人ユーザーに販売され、スイス国内でヒルクライムレースなどに出場し好成績を収めた。その後何人かのユーザーを点々としたが1958年に買い戻され、現在はポルシェ本社に併設されている博物館に展示されている[3]。
356/2
試作2号車はクローズドボディのクーペとして製造され、1948年7月に完成した[3]。エンジンはリアに移動されている。
量産化に際し車体はクーペとカブリオレの2種となり、後部に補助シート2席を追加し、フロントは中央2分割窓となっており、シャーシは鋼板プレス、溶接組みたてのプラットホーム型と、リアエンジンレイアウトとなった。これは座席やラゲッジスペース確保による実用性の向上と、フォルクスワーゲンとの構造、部品の共通化によるコストダウンが目的である。
エンジンは引き続きフォルクスワーゲン用369型をベースとしたが、スポーツカーカテゴリの1,100ccクラスへ出場できるよう[3]内径φ73.5mm×行程64mmで1,086ccに縮小した。出力は当初35hpだったが、1949年11月以降はシリンダーヘッド改良、ソレックス26VFJキャブレターで40hp/4,200rpm、6.5kgm/3,300rpmとなった。電装系は当時のVWと同じく6V。最高速度は140km/h。
サスペンションはVWと同じ4輪独立トレーリングアームと横置きトーションバースプリングで、ブレーキはドラム。ボディはアルミ製でシャーシに溶接された。プラットホーム型シャーシは、補強が不要なほどの強度を備えており、カブリオレでも追加補強はない。
この時代の少量生産車に多く見られたことだが、ボディを製造する工場や時期の違いによる細部の差異がある。グミュント工場で生産されたが、ボディを外部の複数の会社が架装した車両も多数あった。そのためにメッキモールの仕様や、アルミ製バンパーもオーバーライダー付きとなしがあり、ランプ類もボッシュ製とヘラー製があり、ライト下のウインカーレンズやリアのテールランプには複数の形状がある。腕木式の方向指示器の仕様も存在した。内装もインパネ形状にメーター類や、シートも左右独立のタイプやベンチシート仕様もあり、後席も左右独立や一体型、カーペットを敷いただけの車両もある。
プロトタイプ以外に約49台が生産されたが、この時期のグミュント製車両は手探り状態で製造販売されていたようなもので、増加試作車同然ともいえる。全長3,870mm、全幅1,660mm、全高1,300mm。
注釈
- ^ Dはボディーメーカーがドラウツであることを示す。
出典
- ^ a b 『世界の自動車-5 ポルシェ』pp.7-22「ポルシェ前史 最初の電気車からVWまで」。
- ^ 『われらがポルシェ ポルシェなんでも事典』p.67。
- ^ a b c d 『ワールド・カー・ガイド1ポルシェ』p.35。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『ポルシェ博物館/松田コレクション資料』p.100。
- ^ a b 『ワールド・カー・ガイド1ポルシェ』p.43。
- ^ a b c d 『ワールド・カー・ガイド1ポルシェ』p.45。
- ^ a b 『ワールド・カー・ガイド1ポルシェ』p.49。
- ^ a b c d 『ワールド・カー・ガイド1ポルシェ』p.52。
- ^ 『ワールドカーガイド1ポルシェ』p.50。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『ポルシェ博物館/松田コレクション資料』p.101。
- ^ a b c d 『ワールド・カー・ガイド1ポルシェ』p.144。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『ワールド・カー・ガイド1ポルシェ』p.53。
- ^ a b 『ワールド・カー・ガイド1ポルシェ』p.55。
- ^ a b c d e f g h 『ポルシェ博物館/松田コレクション資料』p.102。
- ^ 『ワールドカーガイド1ポルシェ』p.56。
固有名詞の分類
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