ベトナム 国際関係

ベトナム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 22:59 UTC 版)

国際関係

ベトナムと外交関係を有する諸国の一覧図。

中国との関係

共産党の一党社会主義体制を採用しており、社会主義市場経済ネット検閲など中国と類似する政策を行なっているために「ミニ中国」の異名がある[47]

中国の王朝から侵略や支配を受け938年にその支配を脱した。

第一次インドシナ戦争ベトナム戦争では、ベトナム民主共和国中華人民共和国から支援を受け、グエン・ソンのような中国共産党党員はベトナム人民軍初の士官学校をつくった。しかし、北ベトナムに対して北爆再開など大規模な軍事攻撃を行ったリチャード・ニクソン大統領の中国への電撃訪問から中国はアメリカ合衆国に接近し、パリ協定でのアメリカ軍撤退に乗じて西沙諸島の戦いで中国が南シナ海への進出などしたため、摩擦が起き始めた。中国に友好的だったホーチミンの死後になされた南北ベトナム統一後、ソ連寄りとなったベトナムによるカンボジアへの侵攻(カンボジア・ベトナム戦争)を巡っては1979年に中国との大規模な戦争を起こし(中越戦争)、中国は米国とともに民主カンプチア連合政府フルロなどベトナムに対する抵抗活動を支援し、1989年グエン・ヴァン・リンらがベトナム人民軍にカンボジアからの撤退を命じて中国と国交正常化交渉を開始するまで度々交戦(中越国境紛争)をしている状態であった。

ホアンサ諸島チュオンサ諸島はベトナムのもの」(Hoàng Sa, Trường Sa là của Việt Nam)と主張するキャンペーン。
2013年ホーチミン市統一会堂にて)

中華人民共和国とは陸続きのため、最大の貿易相手国であり、中国製品も多く流通しているが過去の侵略された歴史を含めて、反中感情を抱く者は非常に多い。

台湾との関係

台湾には、在台ベトナム人(在台越南人)とベトナム系台湾人(越南裔台灣人)がいる。ベトナム戦争後の難民や出稼ぎ労働者、配偶者としての台湾への移住などによって形成された。2018年時点で在台外国人約76万人のうち、在台ベトナム人は約22万人と29%を占める[注 3]。出身地では出稼ぎ労働者が主に北ベトナム出身者が多く、配偶者では主に南ベトナム女性の出身者が多い。ベトナム人配偶者は「新移民」とも呼ばれ、台湾の農村地域では配偶者が不足しており、婚姻仲介業者がベトナム人女性を紹介する場合が多く、婚姻により台湾に定住するベトナム人女性が増加しているが、生活環境の違いが問題となる場合もある。

北朝鮮との関係

朝鮮民主主義人民共和国とは、共産主義国家同士の関係で、ハノイ、平壌双方の首都に大使館が設置されており、大韓民国よりも早く国交を結んでいる。ベトナム戦争時には、朝鮮人民軍部隊が北ベトナムへ派遣された(朝鮮民主主義人民共和国のベトナム戦争参戦[48]。また、過去にはベトナムの声の交換中継をしていた。一方で北朝鮮の銀行関係者を追放するなど、国際連合の対北朝鮮経済制裁を実施している[49]

このほか、2019年2月の米朝首脳会談のホスト国も担った。

韓国との関係

ベトナム戦争に韓国がアメリカの参戦要請により参加[50]ハミの虐殺、性暴力、性暴力による出生または民間人との間に出来た子供の置き去りとなったライダイハン問題などが起こる[51]

なおベトナム政府はベトナム戦争の問題では韓国政府への謝罪、補償の要求は行っておらず補償を求めているのは個人である[52]

1992年にかつての北ベトナムであるベトナムと国交樹立し、2000年代以降両国は経済的な結びつきを強めている。韓国のキョンナムグループがハノイで一番高い建物京南ハノイランドマークタワーを所有し、またホーチミン市でも一番高い建物であるビテクスコ・フィナンシャルタワーヒュンダイグループが建設するなどの件が象徴的である。またホーチミン市ではダイアモンドプラザやクムホアシアナプラザなどの韓国資本による商業ビルが多く開業している。特に中国から携帯電話の生産拠点を移したサムスン電子2016年の輸出総額の2割近くを占めている[53]

ベトナム人労働者や結婚移民を送り出しており2019年の韓国における結婚移民ではベトナム人が4万人で最も多かった[54]

アメリカ合衆国との関係

第二次世界大戦中は、アメリカ合衆国と現政権のルーツにあたるベトミンとの関係は対日戦の盟友であった。日本軍優勢の頃にインドシナに不時着したり、パラシュートで降下したりしたアメリカ軍航空隊の兵士たちは、フランス植民地政府に見つかれば日本軍に引き渡されていたが、彼らのうち何人かはベトミンの手により救出されて事なきを得ている[注 4]。また、アメリカ軍が潜入し、タイグエンの日本軍飛行場を奪取した際には、ベトミンの戦闘部隊と作戦の協力を行っている[56]1940年代後半の独立時に制定された憲法は、旧宗主国フランスのみならずアメリカ合衆国憲法をも参考に作られており、1950年代にアメリカでレッド・パージマッカーシズム)が起こった頃には、一時、自らの共産党を法的に非合法組織としたことすらあった。

第一次インドシナ戦争でフランスに勝利した後、アメリカが介入した。影響力を喪失した旧宗主国のフランスに代わり、アメリカ合衆国政府は南ベトナム傀儡政権を樹立して、背後から操って間接支配を続けた。1954年にベトナム独立戦争が終結した後、1960年にアメリカ合衆国の傀儡政権を打倒し、ベトナム人自身による民族自決統治を求める南ベトナム解放民族戦線が、南ベトナム政府軍に対する民族独立の武力闘争を開始した。

1961年にアメリカ合衆国政府は、南ベトナムにアメリカ合衆国軍軍事顧問団を派遣し、傀儡政権である南ベトナム政府を支援し、トンキン湾事件を口実にベトナム戦争への軍事介入、南ベトナム解放戦線に対する掃討戦を開始した。詳しくはベトナム戦争(ベトナムでは「抗米戦争」と言われている)を参照。1965年に、アメリカ合衆国政府北ベトナムに戦線を拡大し、北ベトナムのみでなく、ベトコンが潜伏していたラオスカンボジアに設置された「ホーチミン・ルート」も同時期に大規模爆撃した。

中央情報局(CIA)は、秘密戦争をタイ王国、ラオス、カンボジアで開始していた。中でも、米国内で秘密にされた米軍によるロン・ノル政権支援の為のカンボジアへの大爆撃は、この一国に対してだけで、第二次世界大戦での日本本土空襲総規模の三倍に達していた事も判明している。北ベトナムとアメリカは敵対関係となった。アメリカ軍はベトナム戦争当時の1968年昭和43年)3月16日に、クアンガイ省ソン・ティン県ソンミ村のミライ集落にて、ソンミ村虐殺事件を起こしている。

また、捕らえられた米兵は、別名「ハノイ・ヒルトン」(正式名称:ホアロー捕虜収容所)に収容され、後にアメリカ合衆国上院議員となるジョン・マケインも収容され捕虜となった後、北ベトナム兵より拷問を受けた。(ハノイ・ヒルトンとは蔑称であり、本家「ヒルトンホテル」のことではない)。1999年に、本物のヒルトンホテルである「ヒルトン・ハノイ・オペラ」が、首都ハノイで開業している。

1975年4月30日サイゴン陥落で、ベトナム戦争でのアメリカ合衆国の敗戦が確定した。事前に進軍を察知したアメリカ合衆国は「フリークエント・ウィンド作戦」を決行し、自国民の保護の他に南ベトナムの要人も保護した。アメリカが支援していた南ベトナムからは、多くの難民(ボートピープル)が流出し、カナダオーストラリア、フランス、アメリカ、日本へと移民した。サイゴン陥落後からソビエト連邦の崩壊を経て、ドイモイ政策後の1995年8月5日、アメリカと和解し、当時のビル・クリントン大統領は越米両国の国交を樹立させ、通商禁止も解除された。しかしアメリカは、1973年パリ和平協定の戦時賠償事項を、2015年時点に至っても全く履行していない。

2000年には両国間の通商協定を締結し、アメリカが貿易最恵国としたこともあり、フォード・モーターゼネラルモーターズコカ・コーラハイアットホテルアンドリゾーツといったアメリカの大企業が、ドイモイ政策の導入後の経済成長が著しいベトナム市場に続々と進出。2003年に国防大臣はアメリカ国防総省ペンタゴン)の歓迎式典で最大の敬意を払って迎えられた。

政府は経済、外交などで対米接近を基本政策としており、ジョージ・W・ブッシュ大統領の来訪も大歓迎している。対米関係への配慮から、ベトナム戦争中の枯葉剤などについても、あえて「民間団体」に担当させて、政府は正面に出てこないくらいアメリカに気を遣っている。一般のベトナム人も、経済向上のためにはアメリカとの関係を緊密にすべきだと感じ、アメリカの観光客、企業代表などを熱く歓迎している。米軍に侵攻され、多大な被害を受けたにもかかわらず、政府・国民とも親米的な珍しい例である[57]2010年8月には国交復活15周年を記念し、空母ジョージ・ワシントンが中部ダナン市を訪問した。しかし、薬品会社は未だ枯葉剤問題に対して棄却して未解決であり、アメリカに激しい憎しみを持つ者も存在する。

アメリカは、南ベトナムからは82万人もの難民を受け入れた。ベトナム系アメリカ人が故郷に旅行するなど交流は活発になっているが、基本的に南ベトナムからの難民が大多数なので共産主義の本土とは対立が根深く、政府関係者の訪米には抗議する傾向がある。

2015年7月7日には、ベトナム戦争後、最高指導者として初めてグエン・フー・チョン党書記長が訪米して、バラク・オバマ大統領ホワイトハウスで会談した[58]。2016年にオバマ大統領が訪問し、武器輸出全面解禁を表明した[59]

フランスとの関係

清仏戦争にてベトナム北部のランソンを攻略するフランス軍を描いた1885年フランスの絵画。
19世紀末から20世紀初頭のフランス領インドシナの領域の拡張を示した地図。

1887年明治20年)- 1945年昭和20年)。

植民地化を図るフランス第三共和国は、1883年の癸未条約(第一次フエ(ユエ)条約)と1884年の甲申条約(第二次フエ(ユエ)条約)によって保護国化した。宗主権を主張してこれを認めない朝を清仏戦争で撃破し、1885年天津条約で清の宗主権を否定した。1887年にはフランス領インドシナ連邦を成立させ、カンボジアとともに連邦に組み込まれ、フランスの植民地となった。阮朝は植民地支配下で存続していた。

1900年代になると、知識人の主導で民族運動が高まった。ファン・ボイ・チャウは、日本に留学生を送り出す東遊運動(ドンズー運動)を展開した。1917年ロシア革命によってソビエト連邦が成立すると、コミンテルンが結成され植民地解放を支援した。こうした中で、コミンテルンとの連携の下での民族運動が強まった。1930年にはインドシナ共産党が結成され、第二次世界大戦中のベトミン(ベトナム独立同盟)でもホー・チ・ミンのもとで共産党が主導的な役割を果たした。

1939年9月1日にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発すると、その翌年1940年から、フランス領インドシナ日本軍が進駐した(仏印進駐)。当時は、日本とドイツ同盟を結んでおり、大戦勃発当初は日独両国はフランスと軍事的に敵対していたが、1940年時点では、フランスはナチスドイツに降伏しており、日本はその隙を衝いて[要出典]仏印進駐を行ったのである。

仏印進駐後、フランスと日本による二重支配に置かれた。日本は「大東亜共栄圏」の建設を呼号し、明号作戦の結果、カンボジアとラオスと同時期の1945年3月11日ベトナム帝国としてフランスからの再独立を果たした。このベトナム帝国の成立は、阮朝王政復古を果たした日でもあった。ところが、1944年秋から1945年春にかけて一帯を凶作が襲い、多数の人々が餓死した。日本のポツダム宣言受諾表明に至る1945年8月14日から15日にかけて、インドシナ共産党の全国大会がタンチャオ(トゥエンクアン省)で開かれた。そこで全国的な総蜂起が決定され、全国蜂起委員会が設立された。委員会は軍令第1号全人民に決起を呼びかけた。次の16日に各界・各団体・各民族の代表が出席する国民大会が同地で開かれた。大会は全会一致で総決起に賛成し、ベトナム民族解放委員会を設立してホー・チ・ミンを主席に選出した。同主席は全国民に書簡で総決起を呼びかけた。

その3日後にベトナム八月革命が勃発し、ベトナム帝国皇帝バオ・ダイ8月30日に退位を宣言した。そして、9月2日には、ホー・チ・ミンは臨時政府を代表してベトナム独立宣言を読み上げ、国民と世界に向けてベトナム民主共和国の誕生を宣言した。

現在の食卓で見かけるベトナムコーヒーフランスパンバインミーワインは、仏領インドシナの名残りである。シエスタ昼寝)の習慣ダラットで見かける高級ホテル別荘カトリック教会聖堂であるハノイ大教会サイゴン大教会、ダナン大教会さらにホイアンの古い町並みは、フランス統治時代の面影を色濃く遺している。また、現在は世界遺産であるミーソン聖域の修復を施したのも、フランスのフランス極東学院であるが、ベトナム戦争時に、ここを拠点にしていた南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)アジト掃討のために、アメリカ空軍爆撃機B-52によって破壊された。

日本との関係

百人一首』の歌人、阿倍仲麻呂は中国唐朝安南節度使でもあった。
ホイアンの日本橋(来遠橋)。鎖国前、交易のあった頃に日本人によって作られたと言われ[60]、今でも現地の人に大切に使われている。提灯フェホォと書いてあるが、これは当時のホイアンの町の呼称である。世界遺産
仏印進駐後、サイゴン(現在のホーチミン市)を闊歩する日本軍兵士(1941年)。

明治時代から昭和前半

最期の王朝である阮朝は、フランス共和国の植民地侵攻により、フランス領インドシナとなってしまった。1905年日露戦争帝政ロシアに対する日本の勝利が、ファン・ボイ・チャウなどの知識人らに知れ渡り、独立するための武器援助を日本に求めるため来日した。彼らの要請は犬養毅によって拒否されたが、代わりに勉学に勤しむことを提案され、日本へ留学する「東遊運動」が盛んになった。しかし、フランスは日本に圧力をかけて1907年日仏協約を締結させ、日本在住のベトナム人を追放させた。

第二次世界大戦

1940年昭和15年)に日本軍は北部仏印進駐を行い、1941年(昭和16年)には南部にも進駐した。これは、フランスのヴィシー政権との外交協議によるものであり、日本軍は太平洋戦争末期までフランス領インドシナ政府と共存していた。その後、日本軍は、1945年3月の明号作戦によりフランス領インドシナを解体し、阮朝保大帝の下でベトナム帝国を独立させた。

戦争終結後に生じた権力の空白はベトナム独立同盟(ベトミン)に有利に作用し、1945年8月の日本敗戦直後にホー・チ・ミン(阮愛国)率いるベトミンは保大帝を退位させてベトナム八月革命を達成した。駐留期間の大半においてフランスの同盟国軍として植民地政府に加担したことで、日本もフランスと同類の帝国主義国に過ぎないと見做されている[注 5][信頼性要検証]

第二次世界大戦末期の1945年に、トンキンを中心にベトナム北部で大飢饉が起こり、大量の餓死者が発生した。ホー・チ・ミンが独立宣言の中でフランス・日本の二重支配によって200万人が餓死したと演説しており、国内ではこの200万人という数字は広く知られている(「ベトナム独立宣言」参照)が、日本軍の戦後の調査では犠牲者数は40万人とされている(『ドキュメントヴェトナム戦争全史』岩波現代文庫、2005年)。戦後の日本は、南ベトナム政府に賠償として140億4000万円(3900万ドル)を供与した。北ベトナム政府に対しては1973年の国交樹立により「経済協力」の形で4500万ドル相当の賠償金を支払った。

第二次世界大戦後

第二次世界大戦後、フランスが再び進駐してくると、フランス軍ベトナム民主共和国軍の間で戦争(第一次インドシナ戦争)が始まった。ベトミンに残留日本兵が多数参加し、独立に対して多大な貢献をした。当時、766人の日本兵が留まっており、1954年のジュネーヴ協定成立までに47人が戦病死した。中には、陸軍士官学校を創設して約200人のベトミン士官を養成した者もおり、1986年には8人の元日本兵が政府から表彰を受けた。ジュネーヴ協定によって日本へ帰国した150人以外は、なお留まり続けた模様である。

1951年に日本政府はベトナム国南ベトナム)と平和条約を締結し、1959年には岸信介首相(当時)が国名を変更したベトナム共和国政府と140億4000万円の戦争賠償支払いで合意した。

一方、ベトナム民主共和国(北ベトナム)は戦争賠償の請求権を留保したが、日本と北ベトナムは国交のない状況が続いた。しかし、ベトナム戦争末期の1973年7月より、フランスの首都パリにおいて国交交渉が開始される。同年9月21日には交換公文が交わされ、大使級の外交関係が樹立された[61][62]。また、国交樹立の合意に伴い「経済協力」の形で2年間で4500万ドル相当の賠償金を支払うこととなった。

日本共産党全教1993年よりフエストリートチルドレン保育教育施設「ベトナムの子どもの家」(小山道夫[注 6] 主宰)を運営している。小山自身は日本共産党員であるが、旧社会党[注 7]活動家政治家と親しく、1994年6月30日から1997年(平成9年)11月7日自社さ連立政権下においては、フエ省知事顧問として複数の日本ODA事業をフエに導入することに成功し、地元の信頼を勝ち得た。支援する「ベトナムの子どもの家を支える会」の活動も盛んであり、日本民主青年同盟、革新自治体の青年・学生組織及びピースボートと交流を行なっている。

近年の日越関係

現在,日越関係は「アジアにおける平和と繁栄のための広範な戦略的パートナーシップ」の下、政治、経済、安全保障、文化・人的交流など幅広い分野で緊密に連携している。日越間の交流の増加を受けて、1997年の在大阪ベトナム総領事館開設に続き、2009年に在福岡ベトナム総領事館、2010年に在釧路ベトナム名誉領事館と在名古屋ベトナム名誉領事館が開設された[63]

皇太子徳仁親王(当時)は2008年平成20年)9月20日に日越国交35周年の記念イベントである「ベトナムフェスティバル2008」の開会式に臨席し[64]、翌2009年(平成21年)2月には、ハノイ、ダナン、ホイアン、ホーチミン市と、各地を縦断して訪問し、明仁上皇が皇太子時代の1976年(昭和51年)に南部のカントー川支流で新種のハゼが見つかったことを明らかにした学術論文をハノイ自然科学大学に寄贈した[65]。また、「日メコン交流年2009」ではベトナムの宮廷舞踊や民俗舞踊を観覧している[66]

査証(ビザ)に関しては、2005年5月1日、相互免除に関する口上書を締結し、公用訪日者や短期訪越者は査証が免除されている[67]。2015年1月にベトナム側の入管法改正により一旦再入国や滞在期限延長に関する規制が強化されたが、2016年1月にはある程度の緩和が実施され、良好に査証が免除されている関係である[68]

在日ベトナム人は増加傾向にあり、2020年末には44万8000人となり、日本の外国人では韓国を抜き、中国に次いで2番目に多い[69]

政府開発援助・価値観外交

ODAは日本が最大の支援国であり[69]、日本のODAによってタンソンニャット国際空港カントー橋などの基幹インフラを建設・支援をしている。

教育・文化交流事業

  • 日本の広報拠点として、2002年JICAプロジェクトとしてベトナム日本人材協力センター (VJCC) が開設され、2008年国際交流基金のベトナム日本文化交流センターが開設された。
  • 日本語教育については、1943年昭和18年)にサイゴンで日本語が教えられていたとの記録がある。2003年に国際交流基金の「ベトナム中等学校における日本語教育試行プロジェクト」が始まる。2006年時点で日本語学習者数は29,982人(2003年比1.7倍[注 8])。2007年にハノイ日本語教師会が発足した[注 9]。2020年5月時点で、日本への留学生数は62,233人で、国別では第2位[70]
  • 2016年9月9日、「日越大学」が開校した、日本の政府と大学が協力する[71]

注釈

  1. ^ ただし現在のディエンビエン省ライチャウ省にはタイ族のムアン型国家「シップソンチュータイ」があり、これは第一次インドシナ戦争の終結まで残った
  2. ^ 「一党独裁支配の国であり、選挙は政治において重要な役割を果たしてはいない。国会議員選挙が5月に行われたが、候補者たちは、党の翼賛団体「ベトナム祖国戦線」の入念なチェックを受けている。当選した500人のうち共産党員でない議員はわずか42人だった」[36]
  3. ^ 108年6月底在臺合法居留外僑人數76.4萬人 - 國情統計通報
  4. ^ 1944年末頃、アメリカの航空将校ショウ中尉は飛行機事故のためカオバン付近の山地へパラシュートで降下したが、これを知ったフランス軍が数百名の部隊を派遣して、日本軍とともにその地域を包囲し、飛行機と操縦士の捜索を始めた。しかしその包囲が完成する寸前にショウ少尉はベトミンにより救出され、ベトミン三個小隊の護衛とともに国境のベトミン基地まで脱出、そこからホー・チミンに付き添われながら昆明のアメリカ空軍司令部にたどりついたという[55]
  5. ^ ホー・チ・ミンによる独立演説「1940年の秋に、ファシスト日本が連合国との戦いにおいて新しい基地を確立する為にインドシナ半島の領域を荒らした時、フランスの帝国主義者は彼らに膝を曲げてひざまずいて、我々の国を彼らに手渡した。このように、その日付から、我々の身内は、フランス人と日本人の二重の軛に服従した。」
  6. ^ 日教組分裂(1991年3月6日)以前の都教組委員長。
  7. ^ 民主党及び社民党
  8. ^ 国際交流基金日本語教育機関調査
  9. ^ 発起人は中野英之。
  10. ^ 熱帯の北限ラインはハティン省あたりを通っている
  11. ^ Coordinates obtained from Google Earth. Google Earth makes use of the WGS84 geodetic reference system.
  12. ^ 地方行政は通常3段階に分かれている。60余りある省レベルの下に県レベル、その下に社レベルがある[115]
  13. ^ 。教師の給与は極めて低く、教職は貧しいが人々から尊敬される職業の代表である。
  14. ^ タインニエン、トゥオイチェーともに、言葉の意味合いとしては同じ「青年、Youth」であるが、タインニエンは漢語、トゥオイチェーは固有語であるため、ここでは前者を漢語の「青年」後者を和語の「若者」と訳した。

出典

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