ヘヴィメタル
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歴史
黎明期
今日ヘヴィメタルと形容される音を、最初に取り扱ったバンドについては諸説ある。初期のバンドであるレッド・ツェッペリン、ブラック・サバス、ディープ・パープルなどは、1960年代末から70年にデビューした「ハードロック・バンド」である。ステッペンウルフやアイアン・バタフライ、ブルー・チアー、マウンテン、ユーライア・ヒープ、フリー、ヴァニラ・ファッジなどを挙げる評論家も存在する[21]。
ヘヴィメタルの由来となったものとしては、キンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」[22]、ビートルズ「ヘルター・スケルター - Helter Skelter[23]」(『ザ・ビートルズ』収録、1968年発表)などがある。これらのサウンド、激しいリフの上にシャウトするコーラス部などの音楽的な要素が特徴である。
その他にも1960年代後半からクリーム、ヴァニラ・ファッジ、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルを始めとするラウドなロックが多数現れた。また、ステッペンウルフが1968年に出した「ワイルドで行こう(ボーン・トゥ・ビー・ワイルド)」の歌詞には、オートバイ(のエンジン音)を「"Heavy Metal" thunder」と例える箇所がある[24]。これらのバンドも音的にヘヴィメタルな要素を多分に含んでいるが、いずれもハードロックの範疇に留まるとみなすことが多い。
以上のようにハードロック、ヘヴィメタルの源流は様々挙げられる。より現在のヘヴィメタルシーンにまで直接的な影響をもたらしているバンドとして、1970年デビューのブラック・サバスがある。同年発表のファースト・アルバム『黒い安息日』やサード・アルバム『マスター・オブ・リアリティ』などのオカルト志向はユーライア・ヒープなどにも見られ、当時は新しい音楽表現と見做された。
NWOBHMとヘヴィメタルの確立、定着
英国のハードロックは1970年代前半に一時代を築き上げるが、ハードロック、プログレッシブ・ロックのマンネリ化への反動や大不況などから、1970年代半ばにパンク・ロック・ムーヴメントが起きる。かつてのハードロックは「オールド・ウェイヴ」と呼ばれるようになり、ブリティッシュ・ハードロック・シーンはその勢いを失っていった。しかしアンダーグラウンドシーンでは様々な若手バンドが、一部ではパンクのビートの性急感をも取り入れながら、新しい時代のハードロックを模索するようになっていた。『サウンズ』誌の記者ジェフ・バートンにより「NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)」と名付けられたこのムーヴメントは、少しずつ知られるようになっていった。1980年にはアイアン・メイデン、デフ・レパードがメジャーデビューし、シーンは一気に活性化していく。それらのバンドと比べると商業的な成功は大きくなかったものの、ヴェノムやダイアモンド・ヘッドものちのメタルシーンに影響を与えた[25]。
NWOBHM勢に結成は先立ちながら、同時期のヘヴィメタルの立役者となったのが、同じくイギリス出身のジューダス・プリーストである。ブルースの影響を捨て去ることで、真っ白なヘヴィメタルの隆盛に寄与したのである[26][27]。1969年の結成当初は比較的オーソドックスなハードロックをプレイしていた彼らであるが、やがて硬質で疾走感のあるギターリフを用い、金属的な高音ボーカルでシャウトするなどの様式美の伝統を作り出した。さらに1970年代後半からはレザー・ファッションを取り入れるなど、ステージ・パフォーマンスの面でも後々までステレオタイプ化されるような「ヘヴィメタル」のイメージを作り上げた。またモーターヘッドは、ロックンロールにパンク・ロック的な要素やスピード感のあるリズムを導入し、後のハードコア・パンクやスラッシュメタルの先駆けにもなった。さらにディープ・パープルのコンピレーション・アルバムが発売され、かつてのハードロックバンドの再評価、活躍も見られた。
イギリス以外の世界のバンドについては、ドイツのスコーピオンズ、アクセプト、オランダのヴァンデンバーグ、ゴールデン・イヤリング、オーストラリアのAC/DC、カナダのラッシュ、マホガニー・ラッシュ、デンマークのプリティ・メイズなどが注目された。日本では、1976年にBOWWOW(のちのVOW WOW)、1977年にレイジーがデビューした。
アメリカ/産業化とLAメタル
1978年にヴァン・ヘイレンがデビュー・アルバム『炎の導火線』でブレイクしたのを皮切りに、ヘヴィメタル・シーンはアメリカにも広がっていく[28]。1980年代に入ると、1970年代初頭のヘヴィメタルに影響を受けたクワイエット・ライオット、モトリー・クルー、ラット、W.A.S.P.[29]らの成功によりロサンゼルスのサンセット・ストリップにあったクラブを中心としたシーンが活性化する。LAメタル、またはグラム・メタルと呼ばれるジャンルが誕生する。ドッケン、ナイト・レンジャー、ポイズン、L.A.ガンズの他、東海岸ではボン・ジョヴィ、スキッド・ロウ、シンデレラなどのバンドが次々とメジャーデビューを果たした。こうしたバンドはグラム・メタルの名に違わず、グラム・ロックの影響を受けた派手でグラマラスでなルックスと、ノリのよいサウンドと歌詞が特徴で[30]、広く若者の支持を集めることができたのである。MTVはヘヴィメタルバンドを大々的にバックアップし、産業化が進んでいくこととなる。
こうしてヘヴィメタルの巨大マーケットがアメリカに生まれると、それは旧来の英国市場とは比較にならない規模であり、欧州のバンドの多くがアメリカ進出を目指すようになった。ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンといった英国の古参はもとより、英米以外の国からも多数のヘヴィメタルバンドがアメリカでも受け入れられ、特にオーストラリアのAC/DC、西ドイツ(当時)のスコーピオンズ、カナダのラッシュやトライアンフ等の活動が目立った。1980年代後半にはボン・ジョヴィ、デフ・レパード、ホワイトスネイクといったグループがアメリカを中心に大ヒットを連発し、ドイツのハロウィン、日本のLOUDNESSなどもビルボードのアルバムチャートに顔を出すなど、全盛期を迎えた。
80年代中頃には、アイアン・メイデンに影響を受けた音楽性で活動を開始したフェイツ・ウォーニングがアルバム『アウェイクン・ザ・ガーディアン』をリリースし、今でいうプログレッシブ・メタルの原型となるスタイルを提示した[31]。このスタイルは後にドリーム・シアターやクイーンズライクらによって商業的な成功を収めることとなる。
1980年代ヨーロッパのシーン
1980年代中期のヨーロッパでは英国の伝統的ハードロックの影響下に、スピードを重視したアップテンポのリズムとメロディックで分かりやすい歌で人気を得たアクセプト、全米チャートでヒットを出したヨーロッパらの活躍があった。またスウェーデン出身のイングヴェイ・マルムスティーンは、クラシック音楽のバイオリニストパガニーニ、そしてディープ・パープルのリッチー・ブラックモアの影響を受け、ネオクラシカルメタルと呼ばれるスタイルを確立。彼の速弾きは世界のギタリストたちに影響を与えた。
1980年代の後期になると、デスメタルやブラックメタルの荒々しいサウンドに対するリアクションとして、パワーメタルシーンができあがった[32]。このジャンルの先駆けとしては、ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンのようなハイトーン・ヴォーカルとスラッシュメタル由来のスピードを組み合わせることで、メロディアスで疾走感みなぎる新たな形式を生み出したドイツのハロウィンがいる[33]。また、スウェーデンのハンマーフォール、イギリスのドラゴンフォース、フロリダのアイスド・アースなどは明らかに伝統的なNWOBHMのスタイルに影響を受けたサウンドを展開している[34]。日本や南アメリカなどではこのジャンルの人気が根強く、ブラジルのアングラなどがポピュラーなバンドとして知られている[35]。
スラッシュメタルの流行
NWOBHMそのものは1980年代半ばにその勢いを失ってしまうが、各国で若者達がヘヴイメタル・バンドを結成するきっかけとなった。 アメリカのアンダーグラウンドシーンでは、メタリカ、メガデス、スレイヤー、アンスラックスなどのバンドが、ヴェノムをはじめとするNWOBHMやハードコア・パンクの影響を受けながら、よりヘヴィな音楽形態であるスラッシュメタルを確立。これらはテンポの速さ、リフに重きを置いたサウンド、ダークな世界観を特徴とし、グラム・メタルとは一線を画するものであった。
80年代後半のメタルシーンを席巻したスラッシュメタルも、似通ったスタイルのバンドの乱立などで衰退していくが、フロリダではスラッシュメタルの凶暴性を突き詰めたデスメタルが[36][37]、北欧ノルウェーでは、デスメタルを否定し80年代スラッシュメタルへの回帰を唱えて、反キリスト教のコンセプトを強調したブラックメタルが誕生するなど[38]、その後のエクストリーム・メタルシーンの成立に大きな影響を与えるとともに、シーンの細分化が進んだ。
ヘヴィメタルの衰退 - オルタナティヴ・メタルの勃興
ヘヴィメタルは1980年代後半に商業的なピークを迎え、ガンズ・アンド・ローゼズやボン・ジョヴィ、ホワイト・ライオン、ウォレント、ポイズン、グレイト・ホワイト、ウィンガーらがヒットを出したが、90年代に入ると衰退の道をたどることになった。原因はポップ・ミュージック化したロックへの反発から登場した、グランジやオルタナティヴ・ロック・バンドがより若者たちの支持を集めるようになり、やがて大きなムーブメントになったからだった。この変化に対応できなかったバンド、あるいは変化の過程でファンの支持を得られなかったバンドはやがて表舞台から消えていった。
この状況を打開したのが、スラッシュ・メタルの代表と目されていたメタリカであった。彼らはアルバム『メタリカ』(1991年)[39]でスラッシュ的なスピード性を放棄し、ヘヴィな音楽性を導入して2200万枚という大ヒットを飛ばす。また、メタリカ同様パンテラが『俗悪』で、ヘルメットが『ミーンタイム』で提示したグルーヴ・メタルというスタイルは数々のバンドが手本にした。パンテラに強く触発されたロブ・ハルフォードがジューダス・プリーストを脱退してFIGHTを結成したことは、この時期の流れを象徴するものといえる。また、インダストリアル・ロックバンド、ミニストリーは『ΚΕΦΑΛΗΞΘ‐詩篇69‐』に見られるように、従来の彼らの音楽にスラッシュメタル的な要素を加えるようになっていったが、この頃からフィア・ファクトリーをはじめとするメタル勢からも電子音楽にアプローチする動きが現れ始める。
こうした動きに呼応してヘヴィメタルシーンでは、若手ミュージシャンを中心にオルタナティヴ・メタルという新ジャンルがあらわれた。それはシンプルなリフに重いギターサウンド、現代社会を反映した歌詞、ラップの導入など、時代に適応した新しいメタル像(ニュー・メタル)であった。しかし、日本では音楽雑誌『BURRN!』を中心に、この動きをモダン・ヘヴィネスやヘヴィ・ロックと呼称して区分し、旧来のヘヴィメタルとは違うことを強調する傾向が出てきた。
このような流れの中、シャロン・オズボーンは、夫オジー・オズボーンが時代の半歩先を行く音楽性で常にヘヴィメタルの象徴であり続けたことを活かし、若手ニューメタル・バンドとオジー・オズボーン擁するブラック・サバスという組み合わせで全米をツアーするオズフェストというツアーに打って出る。これは見事に成功し、マリリン・マンソンやスリップノット、コーンなどのプロモーションに大きく貢献し、メタルコアなど後続のムーブメントに大きな影響を与えた。さらに結果的にはオジー・オズボーンそしてブラック・サバスを再認識させることに成功した。
1990年代のエクストリームメタルシーン
1990年代初頭には、グレイヴやエントゥームドがイヤーエイク・レコードから1stアルバムをリリースし、デビュー。後にメロディックデスメタルシーンへ多大な影響を与えることとなるスウェディッシュ・デスメタルシーンが全盛を迎えた[40]。
他方で、ノルウェーではデスメタルを"ライフメタル"と揶揄し、バソリーやセルティック・フロストをはじめとする1980年代スラッシュメタルの復権を唱えたブラックメタルシーンが大きな動きを見せていた。1992年には、それまでテクニカル・デスメタルとして活動をしていたダークスローンがセカンド・アルバムを発表してブラックメタルへの転向を見せ[40]、世界中のエクストリームファンを驚愕させたともいわれる。また、1993年にはイギリスの『ケラング!』誌がブラックメタル特集を大々的に行い[41]、多くの聴衆の目をひくこととなった。
同じく1990年代初頭にはトラブルがドゥームメタルにアシッドロックの音楽性を融合させ、カテドラルがイヤーエイク・レコードからデビューを果たしている。つづく1992年にはカイアス[42]とスリープ[43]が重要なアルバムをリリースし、後でいうストーナーロック・シーンをつくりあげることに貢献した。こうして1990年代は、新しい時代にふさわしい姿に成長したバンド、消えていった旧世代のバンド、時代に応じて現れた若手のバンドと、世代交代が急速に進んでいった時代であったといえる。
2000年代以降のヘヴィメタル
1990年代後半のヨーロッパでは、デスメタルに叙情的なメロディを取り入れたメロディックデスメタル、ゴシック・ロックのサウンドやゴスファッションを取り入れたゴシックメタル[44]、ヘヴィメタル的な要素を守りつつもニュースクール・ハードコアに接近したメタルコア、など、新たな動きが生み出されていった。
また、ヘヴィメタルと電子音楽との融合は1990年代初頭のインダストリアル・メタルなど過去から行われていたが、2000年代に入ってパソコンの普及が進んだことから、テクノ、エレクトロニカ、トランス、などの要素を取り入れたメタルバンドも現れるようになっている。このようなサブジャンル化(後述)は現在も止まることなく進んでいる。
この流れから、2000年代はスリップノットによるニュー・メタルの台頭や、リンキンパークやインキュバスなどによる、DJを含めた新しいスタイルの演奏に影響を与え、伝統的なヘヴィメタルと一線を画していった。
また、ベテランのヘヴィメタル・バンドであるジューダス・プリーストやアイアン・メイデンらも活躍した。黄金期のラインナップで再興した彼らは、新たなアルバムの発売やツアーを行い、メタルシーンの活性化に貢献した。シャロン・オズボーンもまたこうした動きに注目し、これらのベテラン・バンドと新しいバンドが新旧問わず多数参加する「オズフェスト」を毎年開催されるイベントに育てた。
音楽業界に「再結成ブーム」が到来したこともあり、多くのベテランバンドも再結成した。特にモトリー・クルーやヨーロッパ、ホワイトスネイクなどは再結成ツアーが成功を収めた。ジャパニーズ・メタルにおいてもラウドネスがオリジナルメンバーに戻ったり、アースシェイカーやANTHEM、BOWWOWにSHOW-YA等が再結成したりするなど、同じような現象が起きている。
一方でスリップノットが「Knotfest」(ノットフェスト)を主催して、親交のあるメタルバンドと世界規模のツアーを実現するなど、新しい世代による音楽活動も精力的に行われた。
注釈
出典
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- ^ ヘヴィメタルを題材としたWEB漫画『メタル生徒会長』の単行本第1巻が発売 amass 2018年3月7日 2021年7月12日 閲覧
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