ブルーインパルス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/22 05:14 UTC 版)
体制
前述の通り、ブルーインパルスは当初「飛行隊の中で曲技飛行(アクロバット飛行)を担当する1セクション」という扱いで発足している。このことを踏まえ、本節では第11飛行隊として設立された1995年(平成7年)12月以降の体制について記述する。
組織
第11飛行隊の内部組織は、飛行隊長を頂点とし、その下に飛行班・整備小隊・総括班という3つの部署が設置されている[169] が、これは他の航空自衛隊の飛行隊と同様である[169]。
第11飛行隊特有の特徴として、パイロットと整備員については任期が3年と定められている[170] ことが挙げられる。これは、実戦部隊を離れたがらないパイロットが多い事に配慮し[134]、3年間という条件をつけることによって第11飛行隊への選出を行いやすくするためである[134]。また、飛行班・整備小隊においては階級が「空士」の隊員は存在しない[8][注釈 4]。これは、空士は2等空士・1等空士・空士長とも任用期間が3年(2任期目以降は2年)に限られており[171]、第11飛行隊の3年という限られた任期の中では、他の部隊で行われているような新人養成や空曹への昇進試験などに時間を割く余裕がないための配慮[8] である。
通常の制服のほかに『展示服』と呼ばれる、展示飛行の際に着用するための専用の制服や飛行服が用意されている[注釈 5]ことや、整備員とパイロットの連帯感が強い[172] ことも特徴である。相互の理解を深めるため、訓練時にパイロットが他のポジションの後席に同乗する機会を設けている[173]。
飛行班
飛行班長以下、1機あたり1〜3人のパイロットが在籍する[169]。パイロットは「ドルフィン・ライダー」と呼ばれており[174]、パイロットスーツの左腕に装着するパッチにも "DOLPHIN RIDER" と記されている[175]。1番機については飛行隊長と飛行班長の両方が担当する期間もある[134] が、2番機から6番機までは交代要員としてのパイロットは存在しない[134]。第11飛行隊は展示飛行の任務しか行なわない[9] ため、日常のミッションはアクロバット飛行やウォークダウン・ウォークバックの訓練となる[9]。
自衛隊では珍しく所属するパイロットの個人名が紹介されている[174]。
前述のように3年間という任期が定められており、任期の業務内訳は以下の通りである。
- 1年目
- TR(訓練待機、Training Readiness)として演技を修得する[169]。展示飛行の際にはナレーションを担当したり[134]、訓練のため後席に搭乗することがある[176]。
- 2年目
- OR(任務待機、Operation Readiness)として展示飛行を行う[169]。
- 3年目
- ORとして展示飛行を行いつつ、担当ポジションの教官としてTRのパイロットに演技を教育する[169]。
限られた期間内で訓練と展示飛行をこなす必要があるため、途中での担当ポジションの変更は一切なく[134]、また第11飛行隊に選出されたパイロット自身が担当ポジションを希望することもできない[134]。左胸のネームタグもポジションナンバー入りとなっている[175]。
パイロットの選出にあたっては、操縦技量が優れていること[177] のほか、高度なチームワークが要求されるために協調性があることが求められている[177]。また、広報活動が主な任務であり、航空自衛隊の代表として多くの観衆と接するため、社交性も要求される[177]。なお、手当ては普通のパイロットと同様である[134]。ブルーインパルスへの異動は「本人の希望による異動」と「命令による異動」があり、2003年(平成15年)時点ではどちらかといえば後者の方が多かった[134] が、2010年(平成22年)時点では本人が希望することが多くなっている[178]。
それまでのTAC部隊では全くやったことのない操縦技術を習得せねばならず[134]、最初はどのパイロットも戸惑いがあるという[134]。また、TAC部隊で戦闘機を自在に操っていたパイロットにとっても、訓練内容は高度で厳しい内容であるといわれる[179]。一方、訓練の中で編隊飛行の操縦技量等が著しく向上し、3年の任期を終了してTAC部隊に戻ると、空中集合の早さに同僚のパイロットから驚かれたり[180]、「どうしてこんなに編隊が上手いの?」と質問されたりするという[181]。これについて第11飛行隊の初代飛行隊長は「高度な操縦技術を3年間みっちり行なえば、一般の部隊に戻った後にフィードバックできることも多いはず」と述べている[180]。
なお、展示飛行は日中にしか行われないが、技量維持のため1ヶ月に数回ほど夜間飛行訓練を行なっている[105]。
基本的に過去の在籍者の再在籍は行われないが、事故による要員不足時に教官要員としての再在籍があったほか、それ以外でも、要員の都合上異動から数年後に担当ポジションを変えて再在籍した例がわずかながらある。また、2020年3月20日に行われた東京オリンピック・パラリンピック聖火到着式典において、史上初の2チーム・12機体制とする為に、OBがTAC部隊から一時的に異動していた。その後、2021年の2020東京オリンピック・パラリンピック大会においても同様の措置が取られている。
歴代飛行隊長 (T-4)
代 | 氏名 | 出身校・期別 | 在任期間 | TACネーム | 言葉 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
初代 | 田中光信 | 航学24期 | 1994.10.1〜1996.3.21 | 魅 | T-2ブルーインパルス在籍経験有り。 | |
2代 | 阿部英彦 | 防大22期 | 1995.3.23〜1998.3.25 | BEAR | 爽 | |
3代 | 塩澤信行 | 航学28期 | 1998.3.26〜2001.7.31 | SHAW | 夢 感動 | 1994〜95年 T-4準備班長
T-2ブルーインパルス在籍経験有り。 |
4代 | 渡邊 弘 | 航学32期 | 2000.3.25〜2004.3.25 | LUPPIN | 風 | |
5代 | 西村弘文 | 防大29期 | 2003.3.25〜2006.3.22 | JOE | 墨 | |
6代 | 倉田 裕 | 防大31期 | 2005.4.1〜2008.3.31 | DUNK | 道 | |
7代 | 山口英章 | 一般79期(埼玉大学) | 2007.4.1〜2010.3. | SERVE | 心 | |
8代 | 渡部琢也 | 防大35期 | 2009.4.1〜2012.8.27 | WATT | 絆 | |
9代 | 田中公司 | 防大38期 | 2011.5.9〜2014.7.31 | JOE | 櫻 | 2022年1月31日 飛行教導群F-15墜落事故により殉職。航空戦術教導団飛行教導群司令を務めていた。 |
10代 | 日髙大作 | 防大40期 | 2013.3.27〜2016.3.23 | ASH | 挑 | |
11代 | 稲留 仁 | 一般87期(日本体育大学) | 2015.4.1〜2018.3.25 | DOM | 仁 | |
12代 | 福田哲雄 | 一般91期(群馬大学) | 2017.4.1〜2020.6.10 | TETSU | 和 | |
13代 | 遠渡祐樹 | 一般92期 (東京国際大学) | 2019.4.1〜
2022.3.31 |
CHERRY | 繋 | |
14代 | 名久井朋之 | 防大49期 | 2021.4.15〜 | KNUCKLE |
※T-4ブルーインパルスの歴代隊長は部隊を去る際に、飛行隊に込めた思いの言葉を残していく。
歴代飛行班長 (T-4)
代 | 氏名 | 出身期別 | TACネーム | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 小倉貞男 | 航学29期 | LARK | |
2代 | 夛田晋 | 航学31期 | TOUCH | |
3代 | 五十嵐聖 | 航学33期 | LASSIE | |
4代 | 大津範夫 | 航学34期 | MARCH | |
5代 | 宮川範之 | 航学35期 | ANDRE | |
6代 | 吉田信也 | 航学36期 | SHIN | |
7代 | 村田将一 | 航学40期 | GARI | 元4番機要員(3代) |
8代 | 安田勉 | 航学42期 | BEN | |
9代 | 平岡勝 | 航学44期 | GUY | 2016年4月6日 U-125御岳墜落事故により殉職。 |
10代 | 友田要 | 航学46期 | TOMY | |
11代 | 春山維彦 | 航学47期 | SUIT | |
12代 | 越後英 | 航学48期 | DANNA | |
13代 | 海野勝彦 | 航学51期 | GON | |
14代 | 平川通 | 航学54期 | JACKY |
歴代2番機要員 (T-4)
代 | 氏名 | 出身校・期別 | TACネーム | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 陣内信広 | 航学39期 | JIN | |
2代 | 阿蘇晋一 | 防大33期 | VIPER | |
3代 | 植森治 | 防大35期 | SAM | |
4代 | 門間政仁 | 防大36期 | MANMO | |
5代 | 稲留智 | 一般84期(日本大学) | DOME | |
6代 | 玉越晃 | 一般86期(日本文化大学) | MARU | |
7代 | 須藤和徳 | 防大42期 | IPPEI | |
8代 | 里見祥延 | 防大44期 | DIVE | |
山本晋二 | 一般92期(東邦大学) | SHARK | OR資格未取得 | |
9代 | 日高明 | 防大48期 | VARLE | |
10代 | 吉田翔 | 一般97期(明治大学) | KIKKAS | |
11代 | 中條智仁 | 防大53期 | GARP | |
12代 | 住田竜大 | 防大55期 | RYU | |
13代 | 東島公祐 | 防大57期 | GANG |
歴代3番機要員 (T-4)
代 | 氏名 | 出身期別 | TACネーム | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 黒井博文 | 航学38期 | KURO | |
2代 | 木原武幸 | 航学41期 | CHEF | |
3代 | 渡邊裕尚 | 航学43期 | GOJO | |
4代 | 村上勇人 | 航学47期 | LUKE | |
5代 | 安斎茂 | 航学49期 | HAMMER | |
6代 | 岡田晶夫 | 航学50期 | VIPER | |
7代 | 原田晶大 | 航学53期 | KOOL | |
8代 | 大越裕史 | 航学55期 | ZIN | |
9代 | 古賀健 | 航学57期 | KUGA | |
10代 | 平間広太朗 | 航学59期 | MITTSU | |
11代 | 上原広士 | 航学61期 | MUSHA | 2020年3月 東京オリンピック・パラリンピック聖火到着式の展示飛行にOBとして復帰し参加。B編隊3番機を務める。 |
12代 | 久保祐介 | 航学62期 | TOMMY | 2021年7月 東京オリンピック開会式当日の展示飛行にOBとして復帰し参加。B編隊3番機を務める。 |
13代 | 鬼塚崇玄 | 航学65期 | SAIJI |
歴代4番機要員 (T-4)
代 | 氏名 | 出身期別 | TACネーム | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 野崎靖祐 | 航学34期 | BOND | |
佐々木慶宣 | 航学37期 | SAKI | OR資格未取得 | |
2代 | 高橋喜代志 | 航学37期 | KYONCEE | |
3代 | 村田将一 | 航学40期 | GARI | 元飛行班長(7代) |
4代 | 猪俣展泰 | 航学42期 | AVI | |
5代 | 水野匡昭 | 航学46期 | JJ | |
6代 | 鈴木康 | 航学48期 | MAC | |
7代 | 浅岡浩和 | 航学50期 | INOKI | |
8代 | 濱井祐一郎 | 航学52期 | GALLANT | |
9代 | 堀口忠義 | 航学54期 | DENIRO | |
10代 | 立山雄一 | 航学56期 | CHAMBER | |
11代 | 川村翔平 | 航学58期 | RUM | |
12代 | 村上綾 | 航学60期 | MARS | 2021年7月 東京オリンピック開会式当日の展示飛行にOBとして復帰し参加。B編隊4番機を務める。 |
13代 | 永岡皇太 | 航学62期 | ASH | |
14代 | 手島孝 | 航学64期 | IKKI |
歴代5番機要員 (T-4)
代 | 氏名 | 出身期別 | TACネーム | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 柳岡善行 | 航学32期 | JUMBO | |
山崎高徳 | 航学35期 | JAMI | OR資格未取得 | |
2代 | 澤井康二 | 航学37期 | JUNK | 2000年に発生したブルーインパルス牡鹿半島墜落事故で失われた要員の錬成の為、後に一時的に復帰。 |
3代 | 阿部幹雄 | 航学38期 | MAVE | 2000年7月4日 ブルーインパルス牡鹿半島墜落事故により殉職。 |
4代 | 渡辺学 | 航学40期 | RACCO | |
5代 | 川口克己 | 航学43期 | GUCCI | |
6代 | 戸島潔 | 航学45期 | RAMOS | |
7代 | 井川広行 | 航学47期 | SETTER | |
8代 | 乃万剛一 | 航学49期 | JEANE | |
9代 | 澤村正人 | 航学51期 | TUBE | |
10代 | 園田健二 | 航学53期 | EDEN | |
11代 | 元廣哲 | 航学55期 | GORO | |
12代 | 河野守利 | 航学57期 | GABAI | |
13代 | 江口健 | 航学59期 | GUCCI |
歴代6番機要員 (T-4)
代 | 氏名 | 出身期別 | TACネーム | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 伊藤昭 | 航学33期 | KILLER | 2000年に発生したブルーインパルス牡鹿半島墜落事故で失われた要員の錬成の為、後に一時的に復帰。 |
2代 | 安藤浩 | 航学36期 | LEWIS | |
3代 | 一嶋三樹 | 航学39期 | MICKEY | 2000年7月4日 ブルーインパルス牡鹿半島墜落事故により殉職。 |
4代 | 梅川智弘 | 航学41期 | RANGER | 2000年7月4日 ブルーインパルス牡鹿半島墜落事故により殉職。 |
5代 | 村田雄亮 | 航学45期 | CHOJI | |
6代 | 草薙樹一郎 | 航学46期 | POPEYE | |
7代 | 大島悟 | 航学49期 | BAZZAR | |
8代 | 槙野亮 | 航学51期 | KITTY | 2021年7月 東京オリンピック開会式当日の展示飛行で、A編隊3番機後席に搭乗。
同年8月 東京パラリンピック開会式当日の展示飛行で、B編隊3番機(5・6番機予備機)を務める。 |
9代 | 井上英昭 | 航学53期 | CHEETAH | |
10代 | 奥山敬仁 | 航学55期 | CHAKRA | |
11代 | 橋本健二 | 航学57期 | ROVER | |
12代 | 山崎雄太 | 航学59期 | BLADE | 2020年3月 東京オリンピック・パラリンピック聖火到着式の展示飛行にOBとして復帰し参加。B編隊6番機を務める。 |
13代 | 佐藤貴宏 | 航学61期 | RIAS | 2021年7月 東京オリンピック開会式当日の展示飛行にOBとして復帰し参加。B編隊6番機を務める。 |
14代 | 眞鍋成孝 | 航学63期 | LANCE | |
15代 | 加藤拓也 | 航学65期 | FALCON |
整備小隊
地上クルーのうち整備を担当するのが整備小隊で、整備小隊長以下20人前後が在籍[182]。整備員は「ドルフィンキーパー」と呼ばれ[183]、整備服の左腕に装着するパッチにも "DOLPHIN KEEPER" と記される[175]。1機につき3名の機付整備員が配置され[184]、そのうち1名が機付長として受け持つ機体についての作業を任されている[184]。他の部隊と異なり、機体を磨く作業が重要視されている[185] のが業務内容の特徴である。航空祭などではエンジンスタートや地上誘導などを担当する[182] だけではなく、展示飛行の際にはウォークダウン・ウオークバックを披露する[185]。観客に背中を見せる機会が多いため、展示服の背中にはブルーインパルスのロゴも入っている[175]。
パイロットと同様、任期は3年間を原則としており[182]、通常は1に着任して実務訓練を受ける[185]。また所属隊員の個人名が紹介されている[183]。
総括班
総括班長は2006年(平成18年)4月までは5番機のパイロットが兼務していた[186] が、2006年4月以降は展示飛行を行なわないパイロットが選任されている[182]。パイロットであるため、ネームタグは飛行班と同じデザインで、7番機のポジションナンバーが入っている[187]。
総括班は、飛行スーツやヘルメット、酸素マスクなどの維持管理を行う「救命装備員」(LIFE SP)[182][注釈 6]、飛行計画(フライトプラン)を管理する「飛行管理員」(DISP)[182][注釈 7]、物品調達を行う「補給員」(SUPPLY)[182]、その他の庶務を行う「総務員」(ADMIST)[182][注釈 8]という業務内容で、航空祭の時にもパイロットや整備員と同行して展示飛行の準備を行う[182] ため、展示服が用意されている[188]。
歴代総括班長 (T-4)
代 | 氏名 | 出身期別 | TACネーム | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 鮏川健 | 航学36期 | MARS | |
2代 | 井上利幸 | 航学37期 | TOPPO | |
3代 | 藤澤寛 | 航学38期 | SHAMO | |
4代 | 曾田昭彦 | 航学39期 | AKI | |
5代 | 谷為博紀 | 航学42期 | TAMER | |
6代 | 原正宏 | 航学47期 | TYLER | |
7代 | 林幸一郎 | 航学43期 | KOH |
支援設備
格納庫(ハンガー)は1998年(平成10年)7月に建設された[189]。緩やかなアーチ形状の屋根で[190]、正面には "Home of The Blue Impulse" という文字が入れられており[190]、ハンガー内部の床面中央には直径10mほどの大きさで[191] ブルーインパルスのエンブレムが描かれている[190]。
飛行隊舎は格納庫に隣接しており[192]、1階には資料展示室がある[193] ほか、屋上には訓練を見学するための観客席が設けられている[193]。
なお、同隊舎と格納庫は2011年(平成23年)3月の東日本大震災による津波で水没し、損傷したが、駐機場と格納庫を約3.6メートルかさ上げし、格納庫には防水扉を設置。滑走路との間に長さ約200メートル、幅約23メートルの誘導路も新設した。
業務用車両として、現地クルーの移動支援用にトヨタ・ランドクルーザーとホンダ・アクティを導入していた[194] が、2010年(平成22年)に日産・エクストレイルを導入した[195] 後、ランドクルーザーは使用されていない[196]。いずれもブルーインパルスの機体と同じイメージの塗装が施されている[196]。この他、ブルーインパルス専用のトーイングカーと電源車を保有する[196]。なお、給油車については飛行群ではなく整備補給群の所属である[196] が、そのうち1台は「スモークオイル専用の給油車」で、松島基地にしか存在しない[197]。
訓練空域
ブルーインパルスの訓練は、以下の場所で行なわれる。
- 飛行場訓練(フィールドアクロ)
- 実際の航空祭と同様の条件で基地上空で行う[198]。高い訓練効果が得られる[172] が、訓練中は基地周辺の管制圏を30分以上占有する[199] ため、その間は他の航空機の離着陸が出来なくなってしまう[199]。このため、飛行場訓練が行なわれるのは1週間に3回程度である[172]。
- 金華アクロ訓練
- 金華山沖の空域を使用する訓練である。ここはブルーインパルス専用の訓練空域で[199]、同じ第4航空団に所属する第21飛行隊が使用することはない[198]。しかし、この空域では夏に海霧が発生しやすいため[199]、2000年(平成12年)の事故以降、あらかじめ天候偵察用の機体を使用して気象状況などの安全を確認したうえで[196]、訓練機を飛ばすようにしている[196]。また、新課目の開発についてもこの空域が使用される[198]。
注釈
- ^ a b 東宝のデザイナーが考案したといわれているが、実際にはチーム内で検討した塗装案を東宝のデザイナーが手直しして、正式デザインが決定された[40]。
- ^ a b この時のコールサインは "Blue-1" であった[116][117]。
- ^ 但し26-5692はIRAN中であった為、B編隊の1番機は通常仕様のT-4が使われた。
- ^ 階級については自衛隊の階級を参照。
- ^ 展示服は明るい青色であり、サンダーバーズ(濃い紺色)よりアメリカ海軍のブルーエンジェルスに近い色合いである。
- ^ 「LIFE SP」は "Life Supporter" の略[175]。
- ^ 「DISP」は "Dispatch" の略[175]。
- ^ 「ADMIST」は "Administrator" の略[175]。
- ^ 航空機では重力加速度 (G) の制限値が定められており、これを超えた飛行を行った場合は機体の点検が必要となる[201]。
- ^ なお、使用しない機関銃の銃口はプラグで封鎖したが、機関銃自体は重心位置に変更が生じないようバラストとしてそのまま残された。
- ^ a b 胴体に斜めの帯が入っていることから、部隊内部では「襷」とも称されていた[203]。
- ^ 他の改修点は、非力なためフルスロットルでなくともアフターバーナーを使用可能にするパート・スロットル・アフターバーナー (PTA) は右エンジンも使用するとスモークオイルが完全燃焼してしまうため左エンジンのみ使用可能とするスイッチを追加装備、コックピットへの握り手の追加、一部計器の配置や仕様の変更、スモークオイル残量計の追加などである。また初期にはブルー仕様機は、後期型でも通常の前期型同様に機銃の代わりにバラストを搭載していたが、機体を学生教育に使用する際に支障が出たために、のちに機銃を搭載することとなった。
- ^ ノズルの位置を後方に移設する改修が行われているが、これは通常使用時のスモークの発煙性向上を狙ったものである。
- ^ F-86FとT-2では、スモーク発生装置以外で操縦特性に関わる変更点はほとんどなかったため、通常仕様の機体でアクロバット飛行の訓練を行なうことが可能であった[217]。
- ^ 機体の疲労度の再評価プログラムが行われており、今後他の部隊と同じ仕様へと改修を施したうえで、機体の入れ替えが行われる可能性もある。
- ^ JARG(日本航空機研究会)発行のシリアルリスト2001年版による。なお、02-7962号機はブルーインパルスに所属したことのある機体である。春日基地に保存されている82-7777号機は、カラーリングを「ブルーインパルス」風に塗装してあるだけで、ブルーインパルスに所属したことはない。
- ^ F-86Fを使用していた時期には、1番機のジェット排気が自機のエンジンの空気取り入れ口に入ってきてしまうこともあったという[231]。
- ^ 近年では環境への影響を考慮し若干高価ではあるが、パラフィンを使用するスモークも開発され、レッドブル・エアレース・ワールドシリーズなどで使われている。
- ^ 時間が経過すると切削油と染料が分離してしまうため
- ^ 11月下旬や12月に航空祭を行う基地(築城基地や新田原基地、那覇基地など)で見ることができる。
- ^ 早朝から強風が吹いており、聖火輸送機も予定より約1時間早い午前10時に到着した。到着地を羽田へ変更する可能性もあったが、到着を早めることで回避した。
- ^ ブルーインパルスが“感謝飛行” 10台超のカメラで生中継 #医療従事者にエールを - YouTube - ANNニュース公式チャンネル、2020年5月29日、9分15秒。
- ^ 【ノーカット版】ブルーインパルスの“感謝飛行”を空から見た #医療従事者にエールを - YouTube - ANNニュース公式チャンネル、2020年5月29日、22分39秒。
出典
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