ブルネイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/15 17:05 UTC 版)
国名
正式名称は、マレー語のアラビア文字(ジャウィ文字)表記では、نڬارا بروني دارالسلام、ラテン文字表記では、Negara Brunei Darussalam。「ヌガラ・ブルネイ・ダルッサラーム」と読む(日本における呼称「ネガラ・ブルネイ・ダルサラーム」はローマ字読みの転訛に由来したものであるが、ジャウィ文字表記とラテン文字表記を照らし合わせる限りにおいては誤りであると言える[独自研究?][注 1])。
マレー語の名称「Negara Brunei Darussalam」が英語に「the Nation of Brunei, the Abode of Peace」と翻訳する。しかし、国際における公式の英語表記は「Brunei Darussalam」しか表記しない[4]。略称は Brunei [bruːˈnaɪ, bruːˈneɪ] (ブルーナイ、ブルーネイ)。
日本語表記は、ブルネイ・ダルサラーム国。通称、ブルネイ。中国語における表記は「文萊」、「汶萊」であり、「汶」と略される。
Negara は、マレー語で「国」を意味する語。Darussalam は、アラビア語の dar(u)(家、土地)と (a)s-salam(平和)で、「平和な土地」の意味。Brunei は、諸説あり。マレー語の buni(亜麻)や buah nyiur(ココナッツ)から転じた等。
歴史
- 1660年代、王室で起こった内紛を鎮圧。援助したスールー王国へサバ州の大部分を割譲。
- 1775年からイギリス東インド会社がブルネイのスルタンと貿易交渉。
- 南京条約の1842年、ジェームズ・ブルックによるプランギン・ウソップの乱鎮圧をスルタンが評価、サラワクを割譲。3年後、トマス・コクランがサバ北端を根城にもつ海賊を掃討。ブルネイの財政基盤である奴隷狩りがイギリスの奴隷貿易廃止方針と利害衝突。1846年にスルタンが親英勢力の排除を命令。
- 1888年、サラワク王国と北ボルネオがイギリスの保護領となる。1906年に補足条約締結、イギリスが駐在官を設置。国教に関わらない限り駐在官の意見を全て飲まなければならないと定めた[注 2]。開発が進められ、初めプランテーションを軸としていたものが1929年からセリア油田にシフトした。
- 1941年、太平洋戦争の勃発に伴う日本軍の侵攻により1945年まで日本の統治下となる。日本はスルタンを現地勢力として支援した。
- 1947年:香港上海銀行の開いた支店が国内初の銀行となる。1985年に取り付け騒ぎ。
- 1956年:ナショナリズムと早期独立を掲げるブルネイ人民党が結成される。
- 1959年:条約改定、イギリスの自治領となる。駐在官制度廃止、高等弁務官が常駐。
- 1962年:ブルネイ人民党内の急進派によるブルネイ動乱。
- 1963年:石油法および石油関連所得税法を制定。
- 1967年:シンガポールとの間に通貨等価交換条約を締結。
- 1971年:条約改定、完全自治を達成するも、外交はイギリスが担当、軍事は両国共管とした[3]。
- 1975年:国連でブルネイの民族自決と独立のための決議案が採択される[3]。
- 1984年:イギリスより独立し、国連、ASEANに加盟[3]。
- 1990年:国立学校の男女共学を廃止[3]。
- 1991年:禁酒令施行[3]。
- 1996年:経済協力開発機構の援助対象国からはずれ、開発途上国を脱した[3]。
- 2005年:TPSEPに署名[5]。
- 2018年:TPP11に署名[6]。
政治
行政
スルターンの称号を有する国王を国家元首とする立憲君主制だが、国王の権限が強化されており、絶対君主制の一種である。国王とは別に首相がおり、閣僚は国王によって指名される。内閣は国王が議長となり、行政執行上の問題を処理する。このほか、宗教的問題に関する諮問機関である宗教会議、憲法改正などに関する諮問機関である枢密院、王位継承に関する諮問機関である継承会議があり、国王に助言をする。1962年、ブルネイ動乱に際して非常事態宣言を発令し、その後2年ごとに更新され現在も宣言は継続中である[7]。
立法
立法機関は、一院制の立法評議会 (Majlis Mesyuarat Negara)。議員の選出は、1970年に選挙制から国王任命制となった。この立法議会は1984年以来活動が停止されていたが、ブルネイ政府は再開を表明。2004年9月に再開されて、議会の構成に関する憲法改正が行われ、公選議員が含まれることとなった。
政党
現在、ブルネイでは定期的な国政選挙が無いものの、国内には3つの政党が存在している。
司法
司法権は最高裁判所に属している。
死刑制度は存在しているが、1957年以降、執行が行われていない為に事実上廃止の状態となっている。
注釈
出典
- ^ a b “UNdata”. 国連. 2021年10月10日閲覧。
- ^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年10月13日閲覧([1])
- ^ a b c d e f g h 第2版, 日本大百科全書(ニッポニカ),旺文社世界史事典 三訂版,百科事典マイペディア,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉プラス,世界大百科事典. “ブルネイとは”. コトバンク. 2021年8月25日閲覧。
- ^ “Embassy of Brunei Darussalam to the United States of America”. Brunei Embassy. 2000年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2000年12月6日閲覧。
- ^ “Trans-Pacific Economic Partnership Agreement - press statements, NZ Ministry of Foreign Affairs and Trade: Trade Agreements”. web.archive.org (2006年9月7日). 2021年8月25日閲覧。
- ^ Staff, Reuters「米国抜きのTPPに11カ国が署名、人口5億人の貿易圏誕生へ」『Reuters』、2018年3月9日。2021年8月25日閲覧。
- ^ Naimah S Talib. “Brunei Darussalam: Royal Absolutism and the Modern State” (English). 京都大学東南アジア研究所. 2014年5月26日閲覧。
- ^ 倉田亮 『世界の湖と水環境』p24 成山堂書店、2001年、ISBN 4-425-85041-6
- ^ IMF
- ^ 国民経済計算 Archived 2010年2月10日, at the Wayback Machine.
- ^ 「1人あたりのGNI 〔2015年〕」帝国書院
- ^ 「<新興国eye>世銀所得別国別分類、カンボジアを「低所得国」から「低・中所得国」に格上げ」モーニングスター2016/07/15
- ^ Gross national income per capita 2017, Atlas method and PPP
- ^ 在ブルネイ日本大使館 "経済概要"(2013年6月19日閲覧。)
- ^ ミャンマー初の取引所始動、来年売買開始-大和の初接触から22年ブルームバーグ 2015年12月9日
- ^ a b “CIA world fact book - Brunei”. 2016年7月11日閲覧。
- ^ a b “MALAYSIA Basic Facts” (PDF) (英語). WorldMap. worldmap.org. pp. 3 (2008年). 2009年4月28日閲覧。
- ^ a b Gordon, Raymond G., Jr. (2005年). “Ethnologue report for language code:kxd” (英語). Ethnologue: Languages of the World, Fifteenth edition. SIL International. 2009年4月28日閲覧。
- ^ “ブルネイ 危険・スポット・広域情報”. 外務省. 2021年12月10日閲覧。
- ^ 日本アセアンセンター(2010)『祝祭日カレンダー』(2010年5月14日閲覧)
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