ブリヂストン 沿革

ブリヂストン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/30 02:24 UTC 版)

沿革

那須野が原那須塩原市)にあるブリヂストンテストコース(写真中央)、栃木工場、黒磯工場(写真左)
那須工場周辺
北九州工場(北九州市若松区
  • 1930年(昭和5年) - 日本足袋株式会社(現・アサヒシューズ株式会社)タイヤ部により純国産タイヤ第1号が生まれる。
  • 1931年(昭和6年) - 3月1日 - 日本足袋タイヤ部が独立し、福岡県久留米市に「ブリッヂストンタイヤ株式会社」設立。
  • 1932年(昭和7年) - 商工省より優良国産品の認定受領。米国フォード社やGM社の製品試験に合格。東アジア等への輸出を開始。
  • 1934年(昭和9年) - 久留米工場開設。本格量産開始。
  • 1935年(昭和10年) - ゴルフボールの本格量産開始。
  • 1937年(昭和12年) - 本社を東京に移転。Vベルト・ゴムホース製造と防振ゴム試作を開始。
  • 1938年(昭和13年) - 横浜工場開設。
  • 1942年(昭和17年) - 太平洋戦争激化に伴い、英語表記の社名を「日本タイヤ株式会社」に変更。
  • 1947年(昭和22年) - 二代目石橋徳次郎保有の日本タイヤ株式と石橋正二郎保有の日本ゴム株式を交換し、資本・経営関係を分離[4]
  • 1949年(昭和24年) - 販売店の登録代理店制度を発足。「ブリッヂストン自転車株式会社」発足(1946年(昭和21年)より自転車の試作を開始)。輸出事業強化に向けて輸出部を設置。石橋正二郎が東京電気自動車(後のプリンス自動車工業の源流)に出資。
  • 1951年(昭和26年) - 社名を「ブリヂストンタイヤ株式会社」に変更。グッドイヤー社と生産・技術提携契約を締結(1979年(昭和54年)に解消)。他社に先駆けタイヤコードのレーヨン化を開始。東京京橋にブリヂストンビルを竣工、「ブリヂストン美術館」を併設。
  • 1951年(昭和26年) - カーボンブラックの国産化を目的として石橋正二郎により旭カーボンを設立[5]
  • 1952年(昭和27年) - 横浜工場でフォームラバー生産開始。ブリヂストン自転車にてオートバイの製造開始。トラック・バス用タイヤ全サイズをレーヨンコード化し更に新パタンに切替え「U-LUG」と命名し発売開始、大ヒットとなる。アジア諸国へ主張員を派遣し市場調査を開始。石橋正二郎が会長を務める「たま自動車」が、初の乗用車「プリンス」を発売開始(同年、社名を「プリンス自動車工業」に変更)。
  • 1953年(昭和28年) - 売上高100億円突破、業界首位に。中近東諸国への出張員派遣を開始。
  • 1956年(昭和31年) - 創立25周年記念式典挙行、記念事業の一環として石橋文化センターを建設し久留米市へ寄贈。日本初のトラック用スチールバイアスタイヤ開発。販売店の自社系列化政策を開始(販売会社化)。戦後初の海外拠点としてシンガポール支店を設置。
  • 1958年(昭和33年) - 欧米諸国への出張員派遣を開始。
  • 1959年(昭和34年) - 他社に先駆けタイヤコードのナイロン化を開始。
  • 1960年(昭和35年) - 東京工場開設。横浜工場でウレタンフォーム生産開始。「ブリヂストン液化ガス」(現:「ENEOSグローブ」)を設立。
  • 1961年(昭和36年) - 株式公開を実施(店頭 5月)、東京・大阪証券取引所に株式を上場(10月)。
  • 1962年(昭和37年) - 日本初のトラック用スチールラジアルタイヤ開発。東京工場敷地内に技術センター開設。
  • 1963年(昭和38年) - 日本初の本格的レースである第1回日本グランプリに参戦。
  • 1964年(昭和39年) - 日本初の乗用車用ラジアルタイヤ開発(試験開始は1957年(昭和32年))。
  • 1965年(昭和40年) - マレーシアに戦後初の海外工場を設立。欧州で最初の販売会社をスイスに設立。米国インペリアル・イーストマン社と技術援助契約、「ブリヂストン・インペリアル・イーストマン」(現:「ブリヂストン・フローテック」)を設立(1981年(昭和56年)に子会社化)。タイヤ品質保証部を設置し、品質の保証を体系化・体制の充実を図る。
  • 1966年(昭和41年) - CMソング「どこまでも行こう」放送開始。ブリヂストン液化ガス、三井物産と資本提携。
  • 1967年(昭和42年) - アメリカに販売会社「ブリヂストン・アメリカ」を設立。ブリヂストンタイヤショップ制度発足。
  • 1968年(昭和43年) - デミング賞受賞。社是制定。アフリカで最初の駐在員事務所をヨハネスブルグに開設。
  • 1968年(昭和43年) - 久留米商工会館屋上にゴム三社(月星ゴム〈現ムーンスター〉、日本ゴム〈現アサヒシューズ〉、そしてブリヂストンタイヤ〈現ブリヂストン〉)の回転式ネオン塔を設置。
  • 1970年(昭和45年) - スチールコードメーカーのベルギー・ベカルト社と協同し「ブリヂストン・ベカルト・スチール・コード」社設立。防振ゴム分野の米国クレバイト社と提携して、「ブリヂストン・クレバイト」(現:「ブリヂストンエラステック」)を設立。第1回「ブリヂストンゴルフトーナメント」(現:「ブリヂストンオープン」)開催。
  • 1971年(昭和46年) - 環境対策強化を睨み、環境管理部を設置、各種公害の軽減や資源リサイクル分野の強化を開始。
  • 1972年(昭和47年) - アルミホイールの製造・テスト販売を開始。米国クエスター社と合弁契約を締結、「ブリヂストン・スポルディング」を設立しスポーツ用品事業に本格進出。
  • 1973年(昭和48年) - グループ3社(タイヤ・液化ガス・サイクル)提供番組「クイズオンクイズ!!」(日本テレビ系)放送開始。
  • 1976年(昭和51年) - 日本初のF1レースに初参戦(但し1チームのみのスポット参戦)。
  • 1977年(昭和52年) - 栃木県黒磯市に日本初のタイヤテストコース開設。
  • 1979年(昭和54年) - 「ポテンザ」ブランド誕生。
  • 1980年(昭和55年) - 販売情報の集約のため、全国の販売網との間にオンラインシステム「DOTシステム」を構築。米国ユニロイヤル社を買収。
  • 1981年(昭和56年) - 提供番組「ベストヒットUSA」(テレビ朝日)放送開始。ブリヂストン液化ガス、三井液化ガス(初代)に社名変更。
  • 1982年(昭和57年) - 日本初のスタッドレスタイヤ発売。
  • 1983年(昭和58年) - アメリカのファイアストンのナッシュビル工場を買収。
  • 1984年(昭和59年) - 社名を「株式会社ブリヂストン」に改称。(CI導入)
  • 1986年(昭和61年) - 新タイヤ形状理論RCOT発表
  • 1988年(昭和63年) - アメリカのファイアストンを正式に買収、子会社化。
  • 1989年(平成元年) - アメリカの子会社を再編、「ブリヂストン/ファイアストン・インク」設立。
  • 1990年(平成2年) - ヨーロッパ統括会社として「ブリヂストン/ファイアストン・ヨーロッパ エス エー」を設立。
  • 1993年(平成5年) - スポーツ関連用品事業をブリヂストンスポーツに統合。
  • 1994年(平成6年) - ヨーロッパにおける事業を「ブリヂストン/ファイアストン・ヨーロッパ エス エー」に統合
  • 1997年(平成9年) - F1に本格参戦。
  • 1998年(平成10年) - ブリヂストンの源流である株式会社アサヒコーポレーション会社更生法適用を申請。ブリヂストン代表取締役海崎洋一郎は資金援助の拒絶を表明。久留米市内の工場で同社の人員を受け入れる等の形で再建への協力を行う [4]
  • 1999年(平成11年) - 旭カーボンを子会社化[6]
  • 2001年(平成13年) - 「ブリヂストン/ファイアストン・インク」が持株会社制を導入。(「ブリヂストン/ファイアストン アメリカス ホールディング・インク」)
  • 2002年(平成14年) - 創業者の石橋正二郎が日本自動車殿堂入り。ロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦。
  • 2003年(平成15年) - アメリカの統括子会社の社名を「ブリヂストン アメリカス ホールディング・インク」に、同様にヨーロッパの統括子会社の社名を「ブリヂストン ヨーロッパ エヌヴイ エスエー」に変更。
  • 2003年(平成15年) - 栃木工場で大規模な火災事故が発生、操業を一時停止。原因は工場内での溶接中に火花が原料ゴムに着火したことによる。
  • 2004年(平成16年) - 中国にタイヤ事業を統括する普利司通(中国)投資有限公司を設立。
  • 2005年(平成17年) - 日本市場向けとしては24年ぶりとなる新ブランド「Playz(プレイズ)」を発売。
  • 2006年(平成18年) - ブリヂストン アメリカス ホールディング・インク、再生タイヤ大手バンダグ社(Bandag Inc.)を買収。石橋正二郎が米国自動車殿堂入り。戦略的事業ユニット(SBU)、グローバル経営プラットフォーム(GMP)、グローバル本社(GHO)からなる組織改革を実施。
  • 2007年(平成19年) - リトレッド事業のリーディングカンパニー「バンダグ」社を買収、子会社化
  • 2008年(平成20年)5月16日 - 同業の第4位メーカーである東洋ゴム工業と業務・資本提携を発表した。
  • 2010年(平成22年) - 契約満了に伴い、F1へのタイヤ供給から撤退。
  • 2011年(平成23年)3月1日 - 創業80周年を機にCI(ブリヂストンシンボル)と企業理念を変更(リファイン)し、新タグラインとして「あなたと、つぎの景色へ(日本国外ではYour Journey, Our Passion)」を制定。
  • 2013年(平成25年)11月5日 - 東京都中央区京橋の東京スクエアガーデンへの本社移転に伴い、新本社での業務を開始(12月9日に移転完了)。
  • 2014年(平成26年)6月13日 - 国際オリンピック委員会(IOC)のTOPスポンサーになり、調印式を帝国ホテル東京で行った。








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