ブラジリアン柔術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/02 02:00 UTC 版)
ブラジリアン柔術 Jiu-jitsu Brasileiro | |
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別名 | BJJ |
使用武器 | なし |
発生国 | ブラジル |
発生年 | 公称20世紀初頭 |
創始者 | カーロス・グレイシー |
源流 | 柔道 |
流派 |
マチャド柔術 ノヴァウニオン柔術 バルボーザ柔術 カナディアン柔術 |
主要技術 | 抑込技、絞め技、関節技、投げ技 |
公式サイト | 国際ブラジリアン柔術連盟 |
ブラジルに移民した日本人柔道家・前田光世が自らのプロレスラーなどとの戦いから修得した技術や柔道または柔術の技術をカーロス・グレイシー、ジュルジ・グレイシーなどに伝え、彼らが改変してできあがった。ブラジルではリオデジャネイロを中心にサンパウロやクリチバなどで、長年に渡り盛んに行われている。
ブラジリアン柔術には、護身術と格闘技という側面があるが、最初に前田光世から手ほどきを受けたカーロス・グレイシーの弟であるエリオ・グレイシーは小柄で喘息持ちであった。そんな彼でも自分の身を守り、体格や力の上で劣る相手でも勝てるように考案されたのがグレイシー柔術で、グレイシー柔術の武術的な側面を簡略化し、競技として発展させたものがブラジリアン柔術である。寝技の組み技主体であるが故の安全性の高さや、全くの素人からでも始められるハードルの低さから、競技人口が急速に増加している。国際柔術連盟 (JJIF) での名称は寝技柔術(ねわざじゅうじゅつ、英: Jiu-Jitsu、仏: Ne waza)。
概要
ブラジリアン柔術は柔術競技、バーリトゥード、護身術を3つの柱にしている。
- 稽古は柔術競技を中心に行われ、この競技において上達するとバーリトゥードでもある程度強くなるように考えられている。しかしながら、柔術競技は寝技の組み技が主体のため、安全性が高い着衣格闘技である。国内外問わずこの柔術競技のみを教えている道場も多い。
- バーリトゥードは原則、着衣無しの『なんでもあり』の試合(総合格闘技)で、稽古では柔術競技との細かな技術的な違いを中心に教えられる。実際に技を掛け合う乱取り稽古は諸々の現代格闘技と同じくスパーリングと呼ばれる。
- 他の武術・格闘技では、実戦=バーリトゥード(何でもあり)、と考えがちだが、ブラジリアン柔術ではバーリトゥードと護身術を区別して捉えている。他の二つと異なり、立ち姿勢で不意打ちの状況が中心である。
歴史
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勃興期
以下の歴史はグレイシーバッハJAPANとグレイシーアカデミーの公式サイトなどを元に記述する。 20世紀前半、日本を離れた前田光世の柔術にほれ込んだスコットランド系移民をルーツに持つガスタオン・グレイシーが自分の子供達に柔術を教えてほしいと依頼し、長男のカーロス・グレイシーらが前田から学ぶこととなった。末弟のエリオはカーロスから学んだが、カーロスと比べて肉体が決して強くなかったエリオはてこの原理を応用した技術開発に取り組み、その延長線上で教授法を獲得して兄弟の中でも頭角を表し始めた。 カーロスは自らだけでなく、兄弟達の試合のマネージメントを行って柔術の有効性を証明し続けることで着実に国内での柔術の足場を築いていった。特にエリオは技術に秀でていたことから積極的に他流試合に出続けた。その中でも特に知られているのがエリオと木村政彦の一戦であり、エリオは最終的に敗れたがその前の試合では日本人柔道家相手に好成績を残しており、内一人を十字絞めで絞め落として日系人コミュニティを大いに動揺させた。
1950年代-90年代
1950年代以降、グレイシー一族が活動していたブラジル北東部におけるバーリ・トゥードは衰退期に入っていったが柔術は存続し続けた。カーロスは20人以上の子供をもうけたが、多くを人格者、指導者として優れていたエリオに預けていた。一族でも史上最高の柔術家と目されているホーウス・グレイシーもその一人だった。ホーウスはエリオが重視していた防御的なスタイルに限界を感じ、自ら積極的に攻め立てるスタイルを模索して柔術だけではなく柔道、レスリング、サンボといった他の組技系格闘技を修めて柔術に技術革新をもたらした。 後にホーウスは事故死してしまうが、彼の指導を受けて成長し、バーリ・トゥードで名を馳せていたレイ・ズールを破ったヒクソン・グレイシーをはじめとする新世代のグレイシー一族や、オズワルド・アウヴェスといった非グレイシー系の黒帯が増えたことで柔術の普及は進んでいった。
1990年代 - 2000年代
もともと何でもありのケンカでは強いのは打撃であり、組技は実戦では役に立たないと思われてきた。そんな中で1993年11月12日、エリオの息子ホイス・グレイシーが、長兄ホリオン・グレイシーが主催したUFC 1(反則攻撃は目潰し、噛み付きのみの格闘技大会)で参加選手中、最軽量だったにもかかわらず優勝し、一躍柔術が脚光を浴びた。この大会は広いフィールドで1対1の状況が約束されているという柔術が最も得意とする条件で行われたため、大会の認可が下りた際ホリオンは柔術による世界の格闘技市場制圧を確信したとまで語っている。 その結果、全米中の格闘技の道場やジムでブラジリアン柔術が普及し始め、グレイシー一族だけでなくビクトー・ベウフォートやアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラら柔術をバックボーンにもつ格闘家が好成績を収めるとその他の格闘家も寝技を研究していき、世界の格闘技情勢は一変した。
2010年代以降
国際的に普及した柔術はさらに安全面での配慮や競技人口の増大により他の格闘技と同様スポーツ化の様相を見せ始め、いわゆるモダン柔術という相手のバックを積極的に狙って試合を優位に運んだり、護身術、格闘技の観点からは考えられない試合展開(お互いに尻餅をついて向き合い、コントロールを試みるダブルガードなど)が見られてきた。これに対してグレイシー一族(特にIBJJFに関わっていないエリオ派)らを中心とした保守派や、独特のアプローチで柔術とMMAの技術の互換性を志向し続けているエディ・ブラボーらによりIBJJFルールではない試合が行われるようになり、Metamorisをはじめとするポイント制を廃したグラップリング、柔術大会が話題を呼び始めている。
日本における団体の設立
日本では、1997年(平成9年)に渡辺孝真を会長とした日本ブラジリアン柔術連盟 (JBJJF) が設立された。また2008年(平成20年)2月に、ヒクソン・グレイシーを会長とする全日本柔術連盟 (JJFJ) が設立された。
帯制度
帯の色は柔道や空手道のように習熟度や実力によって分けられており、白帯、青帯、紫帯、茶帯、黒帯の順に高位となっていく。柔道の場合は各県において昇段審査があり、受験者同士の試合結果にて取得する点を一定数貯めると昇段といった制度があるが、柔術では試合や大会での戦績に応じて指導者の判断で授与するのが一般的である。
黒帯制度がある各武道の中でも昇段が最難関と言われており、黒帯を取得出来る者は稀である。目安として青帯は基礎技術を習熟し、紫帯で指導員としての実力を有し、茶帯および黒帯は下位帯に対して圧倒的な実力差を有する。習得期間や寝技の技量・戦歴によって、所属先の指導者が帯の昇格を認めると柔術を始めてから1年で昇格をする場合もあれば10年以上の歳月をかけて昇格する人もいる。ただし、総合格闘技のプロ経験を持った者や柔道・レスリング・サンボ等でオリンピック出場経験・全日本大会以上の優勝経験を持った者は無条件で色帯として昇格される場合もある[注 1]。また、中学生で緑帯を所得したものは中学校卒業した時点で青帯昇格となる。ブラジル柔術連盟(CBJJ)によると、黒帯に昇格してから31年経った者に赤帯を授けている。
紫帯以上の指導者はいつでも門下生に自分の帯のより一段階下の帯を認定することが出来る。黒帯二段以上は黒帯以下の全ての帯を認定することが出来、黒帯初段は2011年の改制により、黒帯(黒帯無段)を認定することが出来ない。黒帯初段以上は指導者個人ではなく、国際ブラジリアン柔術連盟の公認連盟のみが認定することが出来る。
それぞれ最短終了期間が定められており、青帯の場合は会員登録から最低2年以上経過しないと紫帯を取得することが出来ない。
注釈
出典
- ^ 厳密には今昔をとわず「柔道」とは武術の流儀名でも格闘技名でもなく、「道」の名の示すとおり、嘉納治五郎の創作した徳目プログラムを指す。現在「柔道」(講道館柔道)という名で知られまた呼ばれる格技種目は、本来その教材となる(嘉納流の)柔術流儀のことであった。[要出典]
- ^ a b 三宅タロー、谷幸雄『対訳「The Game of Ju-jitsu」柔術の勝負』内田賢次(監修)、創英社、三省堂書店、日本(原著2013年8月8日)、3-4頁。ISBN 978-4-88142-811-5。
- ^ 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』新潮社、日本(原著2011年9月30日)、330頁。ISBN 978-4-10-330071-7。
- ^ 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』新潮社、日本(原著2011年9月30日)、329-330頁。ISBN 978-4-10-330071-7。
- ^ 『黒帯三代 南米紀行・米洲を征覇して』石井機械製作所、日本。
- ^ a b 三宅タロー、谷幸雄『対訳「The Game of Ju-jitsu」柔術の勝負』内田賢次(監修)、創英社、三省堂書店、日本(原著2013年8月8日)、4頁。ISBN 978-4-88142-811-5。
- ^ 三宅タロー、谷幸雄『対訳「The Game of Ju-jitsu」柔術の勝負』内田賢次(監修)、創英社、三省堂書店、日本(原著2013年8月8日)、88-89頁。ISBN 978-4-88142-811-5。
- ^ “UAE Jiu-Jitsu Federation”. JJIF. 2020年1月11日閲覧。 “PO Box 110004”
- ^ “CONTACT OUR TEAM”. AJP. 2020年1月11日閲覧。 “PO BOX 110004”
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