フリゲート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 00:35 UTC 版)
概要
帆船時代のフリゲートは、戦列艦よりも小型・高速の艦を指し、艦隊決戦の戦列には加わらず、むしろ哨戒・通報や船団護衛・通商破壊、海外派遣などで活躍した。この艦は後に巡洋艦へと発展していったことから、「フリゲート」という単語が巡洋艦や大型駆逐艦を指していた時期もあった。しかし第二次世界大戦期にイギリス海軍が建造したリバー級を端緒として、むしろ駆逐艦より小さくコルベットよりは大きい航洋護衛艦を指すようになっていった。
日本では、"Destroyer"は「駆逐艦」、"Cruiser"は「巡洋艦」、"Battleship"は「戦艦(戦闘艦)」などと日本語訳されたが[7]、フリゲートに関してはそのままカタカナ語として用いられている[2][注 3]。語尾に「艦」を付加して「フリゲート艦」と呼ばれることもあるが[12][13]、「フリゲート」のみで一つの艦種を表すので、特に「艦」は付けなくてもよい。
日本とベトナムを除く漢字文化圏(中華圏、および朝鮮半島)では、「駆逐艦」と「巡洋艦」については日本での訳語がおおむね踏襲されているが、「フリゲート」については「護衛艦」(簡体字: 护卫舰、朝鮮語: 호위함)あるいは「巡防艦」(簡体字: 巡防舰)と訳されることが多い。中華民国/台湾ではフリゲートを「巡防艦」、コルベットを「護衛艦」と区別するが、中華人民共和国/中国人民解放軍では自国のフリゲートとコルベットを纏めて「護衛艦」と呼称するのが一般的で、それぞれの海軍の艦艇もそのように区別される。
また、ヨーロッパ大陸諸国の海軍では、中佐の階級呼称として「フリゲートの艦長」に相当する語を用いる例が多い。
- ドイツ海軍:Fregattenkapitän
- フランス海軍:Capitaine de frégate
- イタリア海軍:Capitano di fregata
- スペイン海軍:Capitán de Fragata
- ポルトガル海軍:Capitão-de-fragata
帆走フリゲート
「フリゲート」という単語は「フレガータ」(fregata)を語源とする。これは地中海で用いられたガレー船であり、複数のマストと帆、多数の橈を備えた快速船の別称であったが、のちに転じて、広く快速の帆走軍艦を指すようになった。イギリス海軍初のフリゲートは諸説あるが、一般的には鹵獲したフランスの私掠船を模して建造され、1646年に進水した「コンスタント・ワーウィック」とされる[14][15]。
どの程度の軍艦を「フリゲート」として類別するかは定見がなく、判然としない部分があるが、おおむね備砲24~40門程度のシップ型の軍艦がこのように称された。一般的に砲列甲板は単層で、甲板長は40メートル程度、排水量は1,000トン程度であった[16]。また18世紀ごろに備砲の数による等級制度が整備されると、5等艦・6等艦がフリゲートとされるようになった。この時代のフリゲートは、勅任艦長(海佐艦長)が艦長に任ぜられる最小規模の軍艦であり、艦隊決戦では戦列には加わらずに通信の中継や損傷艦曳航などの補助的任務にあたっていた。特に快速力と高性能を活用した偵察・通報はフリゲートの独壇場であり、「艦隊の目」として若く有能な艦長が配される事が多かった[16]。また決戦以外の場でも、敵国の船舶に対する通商破壊や、逆に敵の私掠船・通商破壊艦を撃退するシーレーン防衛により、多くの戦歴が記録された[14]。特に敵船の拿捕に成功すれば捕獲賞金の分配があり、海軍将兵としての薄給を遥かに上回る収入を一気に得ることができたことから、フリゲートへの乗り組みは海軍将兵の憧れの的であった。腕の良い艦長であれば年収250年分の捕獲賞金を得た例もあったとされるが、逆に捕獲賞金に釣られた艦長が商船狩りに熱中して作戦をなおざりにした例もあり、大局的見地からは弊害も少なくなかった[17]。
フランス革命戦争・ナポレオン戦争を通じて、フリゲートの大型化・火力強化が進められた[18]。例えばイギリス海軍では、1794年の時点では12ポンド砲搭載の32門艦と28門艦が多数を占めていたが、1814年の時点では18ポンド砲を主砲とした38門艦と36門艦が主力となっていた。またアメリカ海軍は、1794年の再設立以降は戦列艦を持たなかったこともあって、24ポンド砲を主砲とする44門艦・36門艦と、他国よりも重武装・大型のフリゲートを主力とした。折からの英海軍の慢性的な乗員不足による戦力低下もあって、独立戦争・米英戦争ではイギリス海軍のフリゲートに対して優位に立った[14]。米英戦争における海戦の勝利はアメリカに自信を与え[19]、イギリス海軍のフリゲートは戦訓から巨大化していった[18]。
19世紀に入って舶用蒸気機関が普及すると、1839年進水のイギリス海軍「サイクロプス」を端緒としてフリゲートにも導入され、機帆船の時代となった。当初は外輪船の方式であったが、舷側砲の設置を妨げるうえ、クリミア戦争において攻撃に対する脆弱性が露呈し、まもなくスクリュープロペラによる推進が主力となった[20]。日本でも江戸幕府(幕府海軍)が[21]、オランダ製の帆走フリゲート「開陽」を輸入している[22]。さらに北アメリカ大陸の南北戦争で装甲艦に砲塔を備えたモニター艦が出現し、軍艦の歴史に新たな潮流がうまれた[13]。またアメリカ連合国海軍(南軍)の装甲艦バージニアは、北軍の従来型フリゲート艦を圧倒する大戦果をあげた[23]。このように南北戦争の海戦で装甲艦が活躍し、木造船では装甲艦に歯が立たないことが明確になる[4]。列強各国は装甲艦(甲鉄艦)の建造に邁進した[24]。航走手段も帆から推進機へに変わっていく流れの中、帆装に基づく従来の類別法とは異なる名称が望まれるようになり、イギリス海軍では1875年進水の「シャノン」[25]を端緒として「巡洋艦」という名称が使われるようになり、1878年には、既存のフリゲートとコルベットは巡洋艦に類別変更された(旧来の艦種呼称も1880年代までは公文書で用いられていた)[26]。フランス海軍でも1882年進水の「ヴォーバン」は巡航鋼鉄艦(Cuirassé de Croisière)と称され、「フリゲート」の名称は使われなくなっていった[27]。
注釈
- ^ Frigate,[1]「フリゲート」型艦(上中二段ノ砲甲板ヲ有シ砲三十門以上七十門未滿ノ四等軍艦今ノ防護巡洋艦ニ相當ス).
- ^ Corbette,[3]「コルベツト」型艦(昔時帆前艦前装砲時代ニ艦ノ大小ニ從ヒ等級ヲ區別セル時ノ五等艦ニシテ甲板ニノミ砲ヲ備ヘ砲數二三十門ノモノナリ一,二,三等艦ハ戰艦,四等「フリゲート」,五等「コルベツト」).
- ^ 海上自衛隊では、草創期のくす型では「PF」[8]、また平成30年度計画から建造を開始したもがみ型ではFFMと[9]、フリゲートを意味する艦種記号を付与された艦があり、またDEの記号を付与された艦もフリゲートとして扱われることがあるが[10]、いずれも公式の艦種は「護衛艦」(destroyer)である[8][11]。
出典
- ^ 堀内 1911, p. 55.
- ^ a b 須永 1894, p. 10原本12頁
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- ^ a b 有終会 1932, pp. 68–69(原本102-104頁)ハムプトンの海戰
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- ^ a b c 阿部 1996.
- ^ 内賀島 1911, pp. 5, 15–16.
- ^ a b 高須 1984.
- ^ “艦種記号「FFM」新設 多機能化の30護衛艦に適用”. 海上自衛新聞 (第2610号): p. 1. (2018年4月6日)
- ^ 福岡 2006, p. 32.
- ^ 海上幕僚長 (30 March 2020). 海上自衛隊の部隊、機関等における英語の呼称について (PDF) (Report). p. 15.
- ^ 若林 1917, p. 159原本286-287頁
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- ^ a b c 青木 1996.
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- ^ a b 田中 1984.
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- ^ a b 若林 1917, pp. 160–161原本288-292頁
- ^ 有終会 1932, pp. 62–64(原本91-94頁)海戰の概要
- ^ 田中 1996.
- ^ 造船協会 1911, pp. 69–71(原本60-62頁)第一項 和蘭に於て軍艦開陽の建造と留學生の派遣
- ^ 造船協会 1911, p. 81(原本81頁)幕府海軍艦船表/軍艦/開陽
- ^ 若林 1917, pp. 177–178原本325-326頁
- ^ 須永 1894, pp. 8–9原本9-10頁
- ^ 若林 1917, p. 193原本357頁
- ^ Friedman 2012b.
- ^ 鳥居 1984.
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- ^ Wertheim 2013, p. xxi.
- ^ IISS 2016, p. 498.
- ^ Friedman 2012, pp. 22–35.
- ^ a b Friedman 2004, pp. 293–294.
- ^ a b 阿部 2001.
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