ピッツバーグ・パイレーツ 概要

ピッツバーグ・パイレーツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/15 02:05 UTC 版)

概要

19世紀から存在する古参球団。第1回ワールドシリーズに出場したことで知られる。1970年代にはロベルト・クレメンテウィリー・スタージェルという名選手が揃い、地区優勝6回を果たす。さらにリーグ優勝2回、ワールドシリーズ制覇2回を果たすなど第1次黄金期を迎える。1990年代にはジム・リーランド監督の下、バリー・ボンズを筆頭とした第2次黄金期を迎え、地区優勝3連覇を果たしている。

近年は長らく低迷が続いており、1993年から2012年までの20シーズン連続負け越しを記録(それまでの記録はフィラデルフィア・フィリーズが1933年から1948年にかけての16年)。これは北米4大プロスポーツリーグにおいて最長記録となり、と同時に観客動員数の低迷に悩まされた。現在の本拠地であるPNCパークが開場した2001年は年間約240万人に達した観客動員数も、以降はMLBでもワーストクラスの年間約180万人程度で推移し、年俸総額も2007年はMLB30球団中27位の約3800万ドルにとどまり、緊縮財政を強いられた。

2013年にようやく長い低迷期から脱却し、ワイルドカードで3年連続ポストシーズンに進出。2014年には観客動員数が240万台を記録するなど、往年の人気を取り戻しつつある。2019年時点ではナショナルリーグ15球団中で最もワールドシリーズ進出から遠ざかっており[注 1]リーグチャンピオンシップシリーズ進出からはMLB30球団で最も遠ざかっている[注 2]

1921年8月5日、フォーブス・フィールドで行われたパイレーツ対フィリーズ戦で、MLB初のラジオ中継が行われている。これを行ったのが地元ピッツバーグに世界最初のラジオ局として創設されたKDKAであり、1ヵ月前の7月2日にはジャック・デンプシー対ジョルジュ・カルパンチェの世界戦の中継や、翌8月6日に全米オープンテニスの中継も行っている。パイレーツの試合はその後ピッツバーク・ラジオ・ネットワーク(Pittsburgh Pirates Radio Network)によってペンシルバニア州はもとより近隣の三州へ放送されていて、1960年代の老朽になったフォーブス・フィールド使用終了時代には試合が7回を終わると付近のピッツバーグ大学カーネギー工科大学などの学生たちを中心に一般人も外野席へは無料で入れるような集客方策をやっていた。


注釈

  1. ^ MLB全体では1977年の球団創設以来一度も進出経験がないシアトル・マリナーズに次いで2番目。
  2. ^ 3地区制となりポストシーズンにディビジョンシリーズが導入された1994年以降(ストライキの影響があり実際に開催されたのは1995年から)MLB30球団では唯一リーグチャンピオンシップシリーズへの進出がない。

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