ビートたけしのお笑いウルトラクイズ 主な出来事

ビートたけしのお笑いウルトラクイズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 02:49 UTC 版)

主な出来事

定期的開催時代
  • 第2回までは、芸人参加者によるロケツアーと、スタジオで行われるクイズ企画の2部構成だった。第1回のロケツアーはあまり予算もなく、オープニングも都内某所の公園にて行なわれ、他のロケも路線バスを借り切って移動するなどして行なわれた、最後のコーナーも東京江戸川にて行なわれるぐらいで、大きな企画は出来なかった。後半はたけし軍団らがロケに赴いたVTRから出題されるクイズや、下品な言葉を言わないとパネルを捲る事が出来ない神経衰弱等を、ゲストの女優陣に答えさせていた(第1回の優勝者への賞品は、後半パートへの参加権)。時はバブルの絶頂期だったが、当時の世相や流行に逆行するかのような、手作り感覚の番組だった。
  • だが、第1回の視聴率が予想をはるかに越えて高かったため、第2回は元日夜9時からの放送となり『新春かくし芸大会』(フジテレビ系)の真裏で放送された。それと同時に、第2回以降から予算も徐々に上がり、バススタントやスカイダイビングなどの大掛かりな企画が出来るようになって、第3回以降はロケツアーがメインの構成となった(第19回はスタジオ収録は無し)。その結果、第2回も高視聴率を獲得。同年から1996年まで、元日に加え春・秋の年3回に増した。
  • 派手なリアクションが当番組の目玉だったため、出演者には危険が伴っていた。安全対策には十分に気をつけていたが、大怪我をしてしまう者もいた。しかし、マイナーな芸人にとっては、その治療費以外に、番組プロデューサーから「気持ち」として上乗せされるギャランティーがありがたかったという[2]
  • 第7回で野放しされている土佐犬の上に、宙つりされている芸人がクイズに答え、不正解だと土佐犬に噛まれる距離まで近ついて、最終的に土佐犬に噛まれる企画があった[3]が、収録当日の日が予想よりも気温が高く、いつもは威勢の良い土佐犬もこの気温でばてて噛む状況にはならなくなり、結局企画倒れに終わる。結局この企画はボツ企画となった。また、この企画の他にも様々な事情によりボツ企画が多数ある。実際に、負傷および流血の可能性が高い企画案は一切採用されていない。なぜか、前述の土佐犬の企画など、アゴ勇がその被害者になることが多い。
  • ダチョウ倶楽部の名をあげたリュックサック爆破クイズでは、爆破の炎が頭に直撃し頭が焦げてしまったが、その際、とても「おいしい」ハプニングになったということで、その夜、プロデューサーから「おいしい」エビフライをごちそうしてもらった(DVDの座談会で証言)。
  • 第9回の時に行われた「溺死寸前!バス吊り下げアップダウンクイズ」は、番組史上最も危険かつ秀逸な企画。クイズを間違った芸人達を乗せたバスが海へ沈められる企画だったのだが、収録当日の海が大荒れ状態だったにもかかわらず収録は決行。荒れ狂う海に芸人たちがバスもろとも沈められ、上島竜兵などは本当に溺死寸前となった(ラッシャー板前が助けてくれたと上島は述懐している)。だがそんな切迫した状況においても、芸人たちが笑いを忘れない振る舞いを見せたことがこのクイズを名企画へ押し上げた(DVD発売の際には初回特典としてこれをモチーフにしたブルブル震える手のひらサイズのバス型ぬいぐるみが付いてきた)。なお、CS放送日テレプラスで第9回が再放送された際にはカットされた。
第9回は『オールスター感謝祭』(TBS系)の真裏で放送された。
  • 粘着を使う企画にて、粘着が固まり易過ぎて(皮膚から粘着を剥がすのに収録終了から5時間もかかった)出演者・スタッフ共々苦慮していた、そこで固まりにくいラブラバー(歯形を取る時に使われる、凝固し易い赤色のシリコン)を使ってみたが、今度は逆に固まりが悪かった。そこで、今度はどろどろに溶けたロウを用いたが、結局粘着と同じ位の粘着力だったという。
  • 第15回のグランドチャンピオン決定戦では、決勝のカースタントクイズにてクイズに正解すればグランドチャンピオンの栄誉に輝くものだったが、出場した桜金造とダチョウ倶楽部は途中でリタイアし最後に残った井手らっきょとダンカンで優勝争いを行う展開に。解答権を奪い合う際に、ダンカンが乗る車が大転し、ダンカンはリタイア。最後に残った井手もボケて不正解になり、結局グランドチャンピオンは不在となった。
  • 低俗番組と呼ばれたことから、視聴者からのクレームが放送回数が増えるたびに多くなっていったが、これらのクレームは、当時の出演者のふるまいが「リアクション芸」として認知されていなかった故の非難だったとも言える。このため現在、この番組を『リアクション芸』の発祥として再評価する向きもある。
  • クレームの多さを受け、一部のレギュラー枠を提供しているスポンサー[注釈 6]は別スポンサーに差しかえられる。また、第20回の放送では番組開始前にカウキャッチャー扱いでCMを放送することも多々あった。(トヨタ自動車武田薬品工業=共にたけしがレギュラー出演している「世界まる見え!テレビ特捜部」のスポンサー)また、同じ「世界まる見え!〜」のスポンサーである花王も別スポンサーへ差し替えではなく、PT扱いでCMを流した。
  • 番組が終了した後に、日本テレビの上層部から番組プロデューサーにその件に関する処分が下った。また、参加芸人に対しての賠償も、桁外れな額にのぼっており、それらの負担は総て日本テレビが負った。
  • 後述のように、司会のたけしは参加せずにただ見ているだけで、「ばかやろっ」と悲鳴をあげる芸人をあざ笑っていたため、視聴者からの批判が絶えなかった。しかし、これに対してたけしは「自分の看板番組で自分自身が参加しては、他の出演者が目立たなくなる」ということで参加はしていなかった、と後述のDVDに収録された座談会でダンカンなどが語っている。そもそも、この番組自体の趣旨は「たけしが、まだ売れていないがおもしろい芸人を集め、『救済』という形で仕事を与える」ことにあった、としている。だが、世間の声は無視できず、「たけしも解答者として参加させるべき」という声が、日本テレビ内部(特に製作スタッフ)からも上がった。
  • この結果、第11回大会において、たけしの師匠筋にあたる松鶴家千代若・千代菊が登場し、「たけしも司会で見てるだけではなく、他の芸人とともに参加しろ!」という言葉でたけしも芸人と一緒に参加することになった(『第1回宝田明のお笑いウルトラクイズ』として宝田明が司会)。そして、様々なクイズに参加して活躍し、最後の決勝ではカースタントに挑戦した、だがそのカースタントでは、車が横転して危機的状況になった。車から脱け出したたけしは、車に一緒に乗車し運転していたタカハシレーシング社長の高橋勝大に対して激昂、高橋は現場で逃げ回った。
  • また、「戸塚ヨットスクール事件」で逮捕された戸塚宏を出演させ、半殺し同然のシゴキを披露させたり[注釈 7]梅垣義明が、全身金粉で股間にコテカを装着し、アイヌお祭りを描いた歌謡曲「イヨマンテの夜」を歌い踊ったことで、北海道ウタリ協会(現:北海道アイヌ協会)から抗議を受けるなど、番組自体が社会的に非難された[注釈 8]
  • 1994年8月にビートたけしがバイク事故に遭い療養していたため、1994年秋と1995年正月は収録・放送をせず、1994年12月30日(金)に『金曜ロードショー』枠内で事故を起こす前に収録された『北野武のお笑いウルトラクイズ講座』を放送した(第16回扱い)。これは、本来は3巻分のビデオで発売する予定だった内容の総集編を、更に番組として2時間に再編集したものである(後にビデオも発売)。ビデオの内容は第1日目(第1回〜第6回)、第2日目(第7回〜第10回)、第3日目(第11回〜第15回)の3巻で概要だけでなくボツになった企画(前述)やクイズの傾向も解説していた。(ビデオではサリン北野、ダイオキシン北野などの名義)(1995年2月1日発売 各90分)また、1995年春もたけしが仕事復帰したが、番組は無かった。なお、放送の無かった1994年秋、1995年春にも『スーパークイズスペシャル』にはお笑いウルトラクイズチームが解答者として参加していた。
  • 第13回では、優勝した出川哲朗が「ウイニングラン」として車のボンネットに張り付けになって、大型バス(の張りぼて)に突っ込んで大型バスが爆破する企画が行われた。スタントが終わり出川が張り付けになっていた車から下りた直後、その車がアクシデントで爆発。それを見たスタッフが「惜しかったねー、乗ってるときに爆発すればおいしかったのに」と言った(後に、出川本人が『24時間テレビ』内の深夜のコーナーにて、「あの人達(お笑いウルトラクイズのスタッフ)は頭がおかしいですよ! 乗ってる時に車が爆発したら死んじゃいますよ!」と暴露した。また、後述のDVDに収録された座談会でも語っている)。
  • この番組をきっかけに、1990年代はカースタントや爆破などの体を張ったバラエティ番組が多くなった。また、タカハシレーシングがバラエティ番組の企画に協力する事も多くなっていた。しかし、2000年代に入ると、BPOなどにより規制が厳しくなり、爆破ものを使った企画は少なくなってきている。
  • 沖縄で行われた第5回大会では、オープニングを漫湖公園で行った(名前で笑いを取るため)。
  • 第4回では岸谷五朗寺脇康文が「SET隊」としてツアーに参加していた。芸人が目立っていた中での参加だったが、出番はほとんど無かった。スタジオでもたけしから聞かれると、岸谷は「私達は参加したんですかね?」とスタジオの笑いを誘った。
  • 回数カウントはきちんとされているが、たけしの開催の挨拶では、必ず「第○○○回」と極端に大きい回数(400回台が多かった)が発せられ、とりあえずロケツアーのオープニング映像もその回数で表示される場合が多い。なお、正式な回数は2007年正月放送の時点で、本家『史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ』の回数を3回上回っている。
  • 1991年秋-1994年春まで『スーパークイズスペシャル』では、この番組用にクイズを出題。この番組用だけ行ったゲームでの近似値クイズが中心だった(なお1993年春では、この番組用のロケを行わず、代わりに過去のたけしの被り物の映像を見た後にクイズを出題した)。また、1993年春-1996年春までは出場番組として参加した(優勝したのは1993年春の1回で1995年春は放送の予定が無かったにもかかわらず出場した)。
休止期間中
  • 第19回を最後に、約10年半の長い休止期間に入る。この間、数々のバラエティ番組で類似した内容の企画・番組が放送された(近年の例:テレビ朝日の『Qさま!』・『笑いの金メダル』・TBSの『DOORS 2006』など)。しかし、近年のテレビ界に吹き荒れる規制の嵐の影響で、この番組ほどの過激さを打ち出す事はなかなか難しく、かつての出演者や視聴者などから、本番組を懐かしみ、復活の機運が少しずつ挙がる様になっていく。
  • 2005年12月7日、本番組の放送元・日テレ系の映像ソフト会社であるバップからDVDが2巻構成で発売。1巻が第1回から第9回(創世/過渡期)を、2巻が第10回から第19回(進化/変貌期、第15回・第16回除く)を、人気のあったコーナーや有名な出場者別にまとめた総集編的内容。歴代優勝者の座談会も特典映像として収録された。このDVDの売れ行きが相応に宜しかったことが、2007年の復活を後押しした。
    • このDVDでは諸事情により、佐竹雅昭ら一部の参加者の姿はモザイク処理で消されている。
  • 2006年12月6日放送の情報バラエティ番組『ラジかるッ』にて、本番組の復活版を収録している千葉県富津市マザー牧場に生中継が入った。これは、ラジかるッにレギュラー出演しているザ・たっちが、同番組に参加することになり、スケジュールを合わせられなくなったため、この様なことが起こった。
第20回
  • プロレス字読みクイズの冒頭、解説者としてテリー伊藤の物真似で実況席に座っていたホリの目の前に当の伊藤本人が乱入し、伊藤は激高するあまり実況席を蹴り飛ばすなど、暴虐の限りを尽くした(もちろん演出である)。なお、第1回からスタッフとして番組に関わってきた伊藤が、ちゃんとした形で番組に登場したのはこれが初めてである。

注釈

  1. ^ 第1 - 19回では本名の"伊藤輝夫"名義で構成を担当。
  2. ^ なお、第20回は病み上がりのため欠場。その後2014年7月3日に死去。
  3. ^ この問題は本家「アメリカ横断ウルトラクイズ」の第7回決勝にて最後に出題された
  4. ^ 実際には『テスト』ということでデンジャラスが行った
  5. ^ あちこちオードリー」(テレビ東京)2021年5月26日放送分で出川哲朗が発言
  6. ^ レギュラー枠のスポンサーの一部は『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』、『新春スポーツスペシャル箱根駅伝』などその他の特別番組で振替提供することもある。
  7. ^ なおこの以前に本家の『アメリカ横断ウルトラクイズ』第7回にて「クイズヨットスクール」という名のクイズが行われた(ただし戸塚は出演していない)
  8. ^ この27年後の2021年(令和3年)3月12日に放送した『スッキリ』で、日本テレビはアイヌ問題を再発させることになる。
  9. ^ 1991年9月30日までテレビ朝日系列にも加盟。
  10. ^ a b c d e f g h i クロスネット局は現旧ともに、いずれも日本テレビ系同時枠での放送回のみネット。ただし「火曜サスペンス劇場」の枠で放送した回は、ネットスポンサーの関係により時差ネットで対応する局もあった。
  11. ^ 1993年3月31日までテレビ朝日系列にも加盟。
  12. ^ 日曜プライムタイムでの放送回のみネット。1993年3月31日まではフジテレビ系列に加盟していた。
  13. ^ 1991年3月31日までテレビ朝日系列にも加盟。
  14. ^ a b 1993年9月30日までテレビ朝日系列にも加盟。
  15. ^ 1990年9月30日まで日本テレビ系列にも加盟。
  16. ^ 1994年3月31日まで日本テレビ系列にも加盟。

出典

  1. ^ 乗りものニュース|2019.12.13|斎藤雅道|「角川61式戦車」どこへ? 宮沢りえ『ぼくらの七日間戦争』で搭乗 元『戦国自衛隊』 2.「角川61式」2019年現在のありかは…? ※2021年9月19日閲覧
  2. ^ 『21世紀版 ビートたけしのお笑いウルトラクイズ 非常識大百科』p65
  3. ^ たけしがフジテレビの『北野ファンクラブ』内のトークでこのエピソードを語っている






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