ヒッピー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 03:28 UTC 版)
概要
同時代の観察記録である『ヒッピーのはじまり』[1] によれば、ヒッピー(HIPPY)という言葉は1966年ころのサンフランシスコのヘイトアシュベリー地区に住んでいた若者たちを指すものとして使われるようになった。
「HIP」とはその語源がたしかではない。1940年代のアフリカ系アメリカ人の間で流行したジャイブを踊る若者のスラングとしても使用された。当時、HIPは「飛んでいる」という意でもちいられており、それを1950年代のビートニクが採用し、一般化するようになった。ヒッピーはビートニクスの言葉や価値観を引継いでいた。
作家ノーマン・メイラーは1961年4月27日付の雑誌『ヴィレッジ・ヴォイス』の記事「J・F・ケネディとカストロへの公開書簡」上において、ヒッピーという言葉を使って、ケネディの行動に疑問を呈した。 1961年のエッセーの中で、詩人ケネス・レックスロスは「ヒップスター」と「ヒッピー」という言葉をブラック・アメリカンやビートニクのナイトライフに参加している若者を指すのにつかった。マルコム・Xの1964年の自伝によると、1940年代のハーレムのヒッピーという言葉は黒人より黒人らしく行動した特定のタイプの白人「ウィガー」を表現するためにつかわれていた。 アンドリュー・ルーグ・オールダムは、1965年発表のローリング・ストーンズのLP『ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ!』のライナーノートの中で、黒人ブルース/ R&Bミュージシャンをひいて「シカゴのヒッピーたち」と称した。
1967年、サンフランシスコ、ゴールデンゲートパークでの「ヒューマン・ビーイン」集会がおきる。それは同年の夏の爆発的なムーブメント「サマー・オブ・ラブ」へとつながる。以降、ヒッピー文化は急速に普及し、1969年、有名なヒッピーの祭典「ウッドストック・フェスティバル」が開催された。1970年、英国では約40万人の観衆と共に巨大なロックの祭典「ワイト島フェスティバル」、チリでは「ピエドラ・ロハ・フェスティバル」。1971年、30万人ものメキシコのヒッピーたち(ヒピテカス)はメキシコ中部の湖畔アバンダロでのロックフェスティバル[2] につどった。 1973年、オーストラリアでは東部の田舎町ニンビンで「アクエリアス・フェスティバル」と大麻法改革大会、またニュージーランドでは、かキャンピングカーに乗って旅をするヒッピーたちが「ナンバサ・フェスティバル」(1976年-1981年)を催し、オルタナティブなライフスタイルを実践し、持続可能なエネルギーをプロモーションした。
こうした北米、南米、英国、オーストラリア、ニュージーランドにおける一連のヒッピーとサイケデリックな文化は、自由への憧れの象徴となった。
アメリカにおいて、ヒッピーの一部はベトナム戦争と徴兵制に反対し、そのため主流社会の軍事的覇権主義に反対し、父親世代の第二次大戦や原子爆弾への無条件支持の姿勢、ベトナムでの米軍の圧倒的な軍事力による暴力やホロコーストなどに対して、音楽や麻薬、非暴力によって対抗(カウンター)しようとした。結果、自然と愛と平和とセックスと自由、巡礼の旅の愛好家として社会にうけとめられた。彼等は当時、西側の若者の間で流行した毛沢東思想や、コミューンの形成、環境運動や動物愛護、自然食、LSD、マジックマッシュルーム、マリファナ擁護に加えて、ヨガ、インド哲学、ヒンヅー教、禅、仏教などの東洋思想に関心をよせた。これまでの欧米の思想にはない概念を東洋からみちびきだすことによって、より平和で調和に満ちたユートピアを夢見た。
実社会の中で、ユートピアが訪れることはなかったが、その憧れは21世紀において、サブカルチャーに留まらず、欧米の主流文化の中でより一般化されたものとなった。Appleをはじめとした米西海岸のコンピューター文化、ロック音楽や映画、美術、文学、舞踏、アメリカン・アニメといった大衆文化、ヴィーガニズム、菜食主義などより自然志向の食文化、東洋的な精神への関心は高まりつづけている。
詳細
ヒッピー的な自然回帰を志向する傾向は、古くから欧米に存在していた。中世の宗教家、アッシジの聖フランシスコ、さらに性の解放を歌ったコレット、フランスの作家セリーヌ、プルースト、不条理作家フランツ・カフカ、アイルランドの哲学者アイリス・マードック、米国の実存主義作家ソール・ベロー、ユダヤ人作家バーナード・マラマッド[3]、あるいは「森の生活」の著者ヘンリー・デイヴィッド・ソローや19世紀の詩人ウォルト・ホイットマン「ホビットの冒険」「指輪物語」のJ・R・R・トールキン、20世紀ではビートニクスのギンズバーグやバロウズ、ケルアック、また画家ではピカソ、デ・クーニング、ベン・シャーン、レジェ、コクトーなどがヒッピーに好まれた[3]。
19世紀末から20世紀初頭ドイツのユースカルチャー「ワンダーフォーゲル」は、当時の保守的な社会や文化に対する「カウンター・カルチャー」的な側面をもっていた。また保守的、伝統的なドイツのクラブの形式に反して、フォーク・ソングを愛好し、創造的な服装、アウトドア・ライフを志向した。しかしナチス政権時代には、ワンゲルの若者の一部はナチス支持に流れた。
20世紀にはドイツ人がアメリカに移住し、ドイツの若者文化をアメリカにもたらした。彼らの一部は南カリフォルニアに住み、何軒かの最初の健康食品店がオープンした。ネイチャーボーイズとよばれるグループは、カリフォルニアの砂漠で有機食品を育て、自然を愛するライフスタイルを実践した。 ソングライターのエデン・アーベは健康意識やヨガ、有機食品の普及をすすめた俳優のジプシー・ブーツからインスピレーションを受け「Nature Boy 」(1947)[4]という曲を書き、ヒットし、ジャズのスタンダードとなった。尚21世紀の日本のワンゲル部は、60年代70年代の大学でのシゴキ、リンチ事件も影響して、体育会系の保守的なクラブとの見方が強くなった。
注釈
- ^ カーンのこの認識は住民と若者の認識の「ズレ」や「ギャップ」のようなもので、当然どこの国にもある問題だとおもわれる。
- ^ この倫理規定にはある程度「ニューエイジ思想」の価値観と通底したものがみられる。
- ^ 「あなただけを」「ホワイト・ラビット」などがヒットした。
- ^ グレイトフル・デッドはバンドのギターリストでカウンターカルチャーの象徴的な存在だったジェリー・ガルシアが1995年に死去したこと、フィッシュは2004年に突然の解散を宣言したことによる。
- ^ テネシー州で毎年おこなわれている野外フェス。日本からは2004年に「東京スカパラダイスオーケストラ」が参加している。
- ^ これは1968年のフランスの五月革命と同様の精神(68年精神)だった
出典
- ^ ヘレン・S・ペリー『ヒッピーのはじまり』作品社、2021年。
- ^ Usón, Víctor (2017年11月27日). “Avándaro, el festival que cambió la historia del rock mexicano” (スペイン語). El País. ISSN 1134-6582 2018年9月7日閲覧。
- ^ a b 「カトマンズでLSDを一服」植草甚一、195ページ。晶文社。
- ^ “エデン・アーベ Nature Boy by Eden Ahbez” (日本語). Audio-Visual Trivia 2018年9月8日閲覧。
- ^ “Mary Prankster Musical Comedy Special Acquired by Comedy Dynamics”. the Interrobang (2019年11月8日). 26 Jnuary 2022閲覧。
- ^ Farber, David; Bailey, Beth L. (2001), The Columbia Guide to America in the 1960s, Columbia University Press, p. 145, ISBN 0-231-11373-0
- ^ “Longshoremen's Hall | Grateful Dead” (英語). www.dead.net. 2018年9月10日閲覧。
- ^ “Distinguished Magazine - Premier Lifestyle & Art Coffee Table Magazine | D Mag” (英語). Distinguished Magazine. 2018年9月10日閲覧。
- ^ Manseau, Peter. “Fifty Years Ago, a Rag-Tag Group of Acid-Dropping Activists Tried to "Levitate" the Pentagon” (英語). Smithsonian 2018年9月11日閲覧。
- ^ “相次ぐ銃乱射に苦しむ米国、ウッドストック再来は望み薄”. www.afpbb.com. 2019年8月17日閲覧。
- ^ “The Hippie Dictionary, about the 60s and 70s” (英語). www.hippiedictionary.com. 2018年9月18日閲覧。
- ^ “John Lennon Discography”. Homepage.ntlworld.com. 2022年1月31日閲覧。
- ^ “Huey P. Newton”. Biography.com. 2022年5月10日閲覧。
- ^ a b 深作光貞『新宿考現学』 pp.131-132 角川書店 1968年 [1]
- ^ 日本の歴史 > 1960年代の出来事 > ヒッピー族(1960年代) アフロ
- ^ a b 『東京だより (74)(194)』 pp.39-41 東京だより新社 1967年9月 [2]
- ^ 駅東口広場でのフーテン対策 新宿未来創造財団
- ^ 『青少年白書 昭和44年版』 p.146 総理府青少年対策本部 1969年 [3]
- ^ 『青少年白書 1968年版』 p.317 総理府青少年対策本部 1968年 [4]
- ^ a b c 中島らも『異人伝』(講談社文庫)pp.77-78
- ^ 『映画評論 25(10)』 pp.84-88 新映画 1968年10月 [5]
- ^ 日本ゲリラ時代 松竹
- ^ 『名古屋近代文学研究 (11)』 p.42 名古屋近代文学研究会 1993年12月 [6]
- ^ “Jon McIntire 1941 - 2012 | Grateful Dead” (英語). www.dead.net. 2018年9月17日閲覧。
- ^ 『スペクテイター vol.45 日本のヒッピー・ムーヴメント』2019年 197~199頁「日本のヒッピーのできごと史」参照
ヒッピーと同じ種類の言葉
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